きのうの続き・・・・
ウォーキング倶楽部の2010年の最終回「納会ウォーク」
で「龍馬の足跡をめぐって」
参加したメンバーが倶楽部専用の掲示板に「よかった!」と
書き込んでくれている
ありがたい、テレビで見た後なのでいまさらということで
あったらまずいと案じていたが案内してよかった
たかだか二キロ程度の高瀬川をはさんで日本の将来を思い命に
代えて刃を向かい合わせ命を落としていった二、三十代の若き
人達のことを思わずにはおられなかった
その足跡がいまはかろうじて「碑」として川のほとりや建物の
陰で行き交う人の足音を聞きながらじっと佇んでいる
なにを見ているのやら
なにを感じているのやら
なにを思っているのやら
テレビが終わればいずれまたもとのようにあの人達は忘れて
朽ち果てていくのだろうか
龍馬33歳、自分がその年齢の時を思うと果たしてどうで
あったか、みんなを案内しながら問い続けた
33歳の時、煩わしい病に会社を辞め、無謀にもひとりで
世の中へ自分自身を放り出した時だった
かろうじて、おぼろげながら将来への「志」があればこそ
だったがまるで見通しなどはなかった
しかしそれはあくまでも個人のささやかな「志」だった
高瀬川のほとりに眠る人達の国を思う「志」とはまるで違った
脱藩を許された龍馬はわずか「お叱りの七日間」を土佐藩邸
に足止めされなにもできない自分を悔しがり惜しんだという
”この海の向こうに広い世界があるじゃぞ”
いつも目指すところは「海」、最後の場面も「海」だった
「坂の上の雲」も海だ
いま日本の若者が海外へ出て行かなくなっているという
「海」の外への意識がなくなり小さな島国意識でどうなるのか
しかしそれを言うなら
国の最高責任者すら「海」の外意識は感じられない
感じさせてくれるビジョンもことばもまったくといってない
海はどんどん外国にせめこまれて脅されても「貝」になって
「ほとぼり」が冷めるのを待っているのだろうか
政治に「志」がなければ若者には何も示せない
龍馬
”わしはこの命を使いきれたがかいで?”
中岡
”まだ、まだ”
龍馬
”そうか、まだまだか!そうじゃのお・・・”
テレビの最後のやりとりを急いでメモしていた
「命を使いきれたか?」
自分がいまそう聞かれたらなんと応える!?
あの時代と今はあまりに生きるという意味が違う
時代が違うと言えばそうかもしれないが
それがごまかしかもしれないな
”もうやるだけのことはやった!”
と人からも言ってもらえるような
自分からも心から言えるような
せめて残された人生で実現させないと生きた値打ちがない
冬の日、龍馬の跡をめぐり歩きながら単なるブームにのって
”龍馬のおっかけ”に終わらないように、せめて、残された
自分の人生を考えてみたい
ここで志の旗をもう一度上げないと自分も納まらないから。
ウォーキング倶楽部の2010年の最終回「納会ウォーク」
で「龍馬の足跡をめぐって」
参加したメンバーが倶楽部専用の掲示板に「よかった!」と
書き込んでくれている
ありがたい、テレビで見た後なのでいまさらということで
あったらまずいと案じていたが案内してよかった
たかだか二キロ程度の高瀬川をはさんで日本の将来を思い命に
代えて刃を向かい合わせ命を落としていった二、三十代の若き
人達のことを思わずにはおられなかった
その足跡がいまはかろうじて「碑」として川のほとりや建物の
陰で行き交う人の足音を聞きながらじっと佇んでいる
なにを見ているのやら
なにを感じているのやら
なにを思っているのやら
テレビが終わればいずれまたもとのようにあの人達は忘れて
朽ち果てていくのだろうか
龍馬33歳、自分がその年齢の時を思うと果たしてどうで
あったか、みんなを案内しながら問い続けた
33歳の時、煩わしい病に会社を辞め、無謀にもひとりで
世の中へ自分自身を放り出した時だった
かろうじて、おぼろげながら将来への「志」があればこそ
だったがまるで見通しなどはなかった
しかしそれはあくまでも個人のささやかな「志」だった
高瀬川のほとりに眠る人達の国を思う「志」とはまるで違った
脱藩を許された龍馬はわずか「お叱りの七日間」を土佐藩邸
に足止めされなにもできない自分を悔しがり惜しんだという
”この海の向こうに広い世界があるじゃぞ”
いつも目指すところは「海」、最後の場面も「海」だった
「坂の上の雲」も海だ
いま日本の若者が海外へ出て行かなくなっているという
「海」の外への意識がなくなり小さな島国意識でどうなるのか
しかしそれを言うなら
国の最高責任者すら「海」の外意識は感じられない
感じさせてくれるビジョンもことばもまったくといってない
海はどんどん外国にせめこまれて脅されても「貝」になって
「ほとぼり」が冷めるのを待っているのだろうか
政治に「志」がなければ若者には何も示せない
龍馬
”わしはこの命を使いきれたがかいで?”
中岡
”まだ、まだ”
龍馬
”そうか、まだまだか!そうじゃのお・・・”
テレビの最後のやりとりを急いでメモしていた
「命を使いきれたか?」
自分がいまそう聞かれたらなんと応える!?
あの時代と今はあまりに生きるという意味が違う
時代が違うと言えばそうかもしれないが
それがごまかしかもしれないな
”もうやるだけのことはやった!”
と人からも言ってもらえるような
自分からも心から言えるような
せめて残された人生で実現させないと生きた値打ちがない
冬の日、龍馬の跡をめぐり歩きながら単なるブームにのって
”龍馬のおっかけ”に終わらないように、せめて、残された
自分の人生を考えてみたい
ここで志の旗をもう一度上げないと自分も納まらないから。