散歩気分で生きる毎日に一日1本、一行詩!by ミナミヒロユキ
一行詩(うた)メモ日記
じんわりと
晩酌のかわりの水一合舌にしみる
「たのしい感覚」
日曜日、
数カ月ぶりに歩数計の数字が
7000歩になった。
(少し自信がついた)
そして3月26日から
棚上げされていた、「たのしい」という
感覚がじんわりと湧き出てきた。
それも、以前とは違う、
こころの奥の方から……。
特別なことはしていないし、
「たのしむ」ことを
意識してもいなかった。
不思議だ。
でもこの不思議がとても大切な
トビラを開けてくれたように思う。
(じぶんにしか分からない感覚だけど)
まだまだ途中だけれど、
からだと同時にこころも整っていく、
そんな気がした、秋の一日だった。
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つながっている
雨上がりの空に涼しき月の顔
「運転」
数カ月ぶりに、
2時間ちょっとクルマの運転をした。
それも高速だったので、
やや心配だったのだけれど、
問題なく戻ってこられた。
筋力・体力が落ちると
精神力も低下していくし、
内臓の働きも悪くなる。
からだは連動しているなぁ、
単独行動をしていないのだよね。
それはすべてのことに言えるだろうな。
じぶんには関係ないことだと
思っていても、
必ずなんらかの影響にさらされる。
(例えば、政治、選挙である)
もし、月の動きがかわったら、
(十五夜だったので)
地球に影響があるだろうし、
地球に影響があったら、
そこに生きるいのちにも
影響を及ぼす可能性がある。
じぶんのからだの変化を
チェックしていたときに、ふと、
そんなことを思った。
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「喜び利息」
柿の実ぷっくりまだまだ青二才
「一新」
今年は、春夏がじぶんのなかからすっぽりと抜け落ち、秋もまだしっかりと感じることができずに進んでいる。闘病生活というものがすべてを包み込み、いつもならあたりまえにキャッチする日常の感覚を受け止めるセンサーが動いていないのだろう。 でもね、抜け落ちた季節はきっと「喜び利息」がついて還元される日が来るはず。それは、100歳になったときの春になるかもしれないけど。気長に待てば、時間分の「喜び利息」が加算され、届けられるのだと信じている。
この機会をチャンスととらえて、いろんなことを一新しようと考えている。すでに手をつけているものもある。モノ、ヒトトノカンケイ、セイカツシュウカン、カンキョウカイゼンなど、なかにはけっこうお金がかかるものもある。財布はめちゃくちゃ軽くなり、空きスペースがどどどーんと、増えそうだ(この先、だいじょうぶか)。
財布の空きスペース、空き容量が増えたら、きっとそこに世間を旅するお金たちが入ってきてくれるでしょう(大きな賭である)。そのためには、旅するお金たちが魅力を感じて集まってくれる場所をつくらねばいかんのです。
何回目かのスタートラインが目の前に引かれている。第二の人生とか、生まれ変わるとか、そんなのではなく(今までの人生に申し訳ないじゃないか)、レールのポイント切り替え、新しい道の開拓、そういうイメージだ。
そのためには、新たな道具や、力と知恵を貸してもらえる人が必要になってくる。じぶんの力量しだいということだ。耕す力、鍛えないといけません。
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あたりまえのことが
山からトンボが夕焼け小焼け
「よろこび」
水餃子を食べられた(少し)。
すんなりとはいかなかったが、
味もまだはっきりと
わからなかったけど、
ちゃんと胃袋におさまったのである。
食べられる“しあわせ”を感じた。
あたりまえのことって、
ちょっと脱線すると
あたりまえでなくなり、
あたりまえと思っていたことが、
どれだけすごいことかわかる。
ちょっと大げさだけれど、
人生観がかわるような経験を
しているのだと言えるんじゃないか、
じぶんに問うてみる。
二度としたくない体験を
これからに生かしていかなくちゃ、
なにかのチャンスと捉えなくちゃ、
我が“いのち”に申し訳ないものね。
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ひらがなのうた5
<時計>
びょうしつの とけいは
ゆっくり ゆっくり
のんびり のんびり じれったい
・・・一行詩(うた)日記・・・
舌先の痛みもまた生きてる証
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