goo

耳を鍛えよう

雨粒ぽつりマスクに滲む絶望感


最近FMを聴いている。
ラジオを聴きながら仕事をするのは久しぶりだ。なつかしい。
どちらかと言えば、FMよりAMが好きなのだけれど、AMは聞き入ってしまうので仕事のBGMには合わないんだよな。その点、FMは流して聴けるので都合がいい。ただし、なつかしい曲が流れてくるとCDがほしくなる。ほしくなるとアマゾンへ飛んでいく、飛んでいくとポチッとしてしまう。いかん、出費が増える。
もうCDを買うという行為は時代遅れなにかもしれないが、やっぱりCDがほしい。ジャケ買い(なつかしいことばだ)からFM買いへと変化している今日この頃(中学しか!)。
もうひとつFMの良さは、新しい楽曲を聴けること。流行というものから遠いところにいるので、「なるほど、いまはこんなのが受けているのか」を知ることができる。聴かず嫌いを解消できる、味見ができるのがいい。

東京で暮らす前は、FM大阪、FM802といのがあったはず(あったよね?)。東京から戻ってきたら、FMCOCOROになっていた。どうしたのだ? なにがあったのだ? 消滅したのか? まだ存在するのか? わからないまま過ごしております。
調べたらわかるのだろうけど、まぼろし~のままでいいかもと「?」だけをふくらませてあれこれ推理している。


※雪の写真はいかが、ずいぶん古い写真です。

ラジオ復活運動を! 聴くということで鍛えられることもあるはずだぞ、視覚情報に頼っているとなにかが退化していくような気がする。
耳を鍛えよう運動だ! 耳から脳へ、想像力をふくらませよう。わりと大事なんじゃないか。勝手に盛り上がっております。
ラジオ局のみなさん、『脳トレにラジオ!』キャンペーンをしてみてはどうでしょう。もうしてるか?





・・・・・・・
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

さくららんち

儚さに魅了される儚き生物が人

わが町の桜は、
そろそろ満開になりそうです。今週がピークになるのではないかな。
渡り鳥もいつのまにか姿を消したし、しっかりと季節は動いています。
コロナ禍ではあるけれど、たぶん土日は人が多くなるはず。それまでに花見ランチをできればいいな。花粉と黄砂という敵が待ち構えているので、ブレーキはかかるが、帽子、メガネ、マスクでガードすれば、大丈夫かもしれない(そんなことはないか)。
敵は、コロナウイルスだけではないという、このからだ。一歩外に出ると敵だらけではないか、うーん、つらいなぁ。人類は、目に見えにくいモノ、見えないモノに滅ぼされるのかもしれないよ。じわじわじわじと、攻め込まれて気がついたときには全滅。まんざらデタラメ物語でもないような気がする。


※今週、満開だな。

3月も終わる、終わりを飾るために桜は咲いてくれているのか、桜の花はうつくしく、さびしい。うつくしさのなかにさびしさが含まれているように思う。
そういえば、桜のうつくしい場所に住んできたな(偶然ですけど)。今住んでいるところも、かなりの数の桜の木が植えられている。完全に意図的なものだけれど、それでもうれしい。
桜の木にも寿命があるそうだから、樹齢1000年とか、長老木になることはないのだろう。限りある命というところも、桜の魅力なのかもしれないし、共感できるところかもしれないね。儚さをまとっている? なるほど。

さて、花見ランチ、できるか。
コンビニのサンドイッチでも、スパーのお弁当でもいいので、花見ランチを決行しよう!お昼休みの1時間で。





・・・・・・・

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

あの店のあのカレー

アルバム開けばカレーの匂い


♪カレーライスが食べたくなったら~ 君を思い出す~♪
♪カレーライスの匂いがしたら~ あの店目に浮かぶ~♪
という歌をつくった。
あの店、あの店へ行きたいなぁ。あの店とはどの店だ。それは君が好きだった店である。
君とは誰だ、中学のときに出会った友人である。彼は、十代の頃からあの店のカレーがうまいと言っていた。その時は、「ふーん」と、力なく聞いていたのだ(まだカレーを今のように好きでなかったから)。
ある日、彼のことばを思い出し、あの店へ行くことにした。もう十代ではなかった。大人の舌を持ち始めていた頃だ(二十歳という輝かしい年齢だ)。食べた感想は、なんとも言えない味で、好みか、好みでないか、はっきりとわからなかった。

それから十数年経過したある日、再びあの店のカレーを食べる機会があった。
カウンターに座り、「なつかしい」とつぶやきながら(カレーがなつかしいのではなく、彼の当時の発言を思い出して)食べた。むむむ、うまいじゃないか。最初に食べたときの曖昧な感想は吹き飛び、スコーンと気に入ってしまった。時は、味覚を育てるのかもしれない。お子ちゃま味覚がおとな味覚に変身したか! そして、時々無性に食べたくなる存在になった。

果たしてその店は、「インデアンカレー」です。梅田にある店、そこが思い出の店である。生意気な中学生がおとなぶって「インデアンカレーはうまいぞ」と教えてくれた、なつかしいインデアンカレー。



他にも彼には、味噌ラーメンのうまい店というのを教えてもらって、二人で難波まで食べに行った。そうだ、パフェもおいしいところがあるというので、二人で食べに行った(女っ気ナシの時代だ)。十代の少年たちは、日々たのしく暮らしていたんだろうね。






/////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「うちめん 鍋チキ」006

我が人生の3分の価値を喰らう

みなさんご存じのチキンラーメンを取り出しまして、次に棚の隅に隠れていた鍋を引っ張りだし、「鍋チキ」をつくってみました。
もともとチキンラーメンも鍋で煮込む派だったので、今回は新たな煮込みに挑戦をしてみました。
思いつきなのでレシピはありません。先のことなど考えずにスタートしました。

いざ、鍋チキ!



冷蔵庫にあるものでつくる、これ基本。
ちくわとネギとニンニクがあったので、ごま油で炒めてみた。


香りが出てきたら水を入れる。


湯気が出てきたら卵とネギを加える。


蓋をしてしばし煮込む。


完成!


卵をつぶしかき混ぜて、いただきまーす。


丼鉢いらず。ただし、レンゲは必要です。





・・・・・・
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

「上を向いて、歩こう」18

立つ鳥水を濁さず春はゆく

立春過ぎても気温は上がらず。
部屋の中にいるからよけい寒く感じるのかもしれないけれど、スコーンと春の暖かさにはならないようだ。
春だよ、春だと、心躍った日々は何処へ?それは遠いむかしのように感じる。「思えば遠くにきたもんだ~」気分かな。
しかし、うつむいていてはいかんのである。上を向いて、歩こうなのである。光を感じて暮らしていこう、なのである。
草花は春の匂いを漂わせはじめているぞ、桜ももうすぐ満開になるぞ、渡り鳥も飛び立っていったぞ(無事に目的地に着けるように)、わが町にも春が来る。







深呼吸をして、
細胞にも春のエネルギーを注入して、
上を向いて、歩こう!






///////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

花見散歩

土筆にょっこり顔出して春


チューリップが咲き出した。
さくらもぼちぼちでんなぁと開き始めた。
自然の時間はいつも通りに進んでいる。
春をたのしみましょう。

まだまだコロナ禍であり、なんら対策も講じず人任せの日本ですが、身を守りながら新しい春のたのしみかたを見つけようと思う。アイデアと工夫である。すなわち想像と創造だな。
創造と想像力が今一番この国で欠如していると思われるけれど、庶民には、やりくりという能力があるのだ。
大事なのは、『生活に即した、想像力と知能指数』だぞと、じぶんに言い聞かせて、気合いだ!気合いだ!

春休み、子どもたちは行動を制約されてつまらないだろうな。でも、いまは家の中でもたのしめるものがあるから、少しは救われるか? つづくとあきるだろうけど。
昭和の子どもたちだったら、ゲームもネットもDVDもなかったので室内遊びができない。ほとんどの子どもは外で走り回って遊んでいたから、コロナ禍と遭遇したら・・・今よりも大変だったかもしれない。あばれる君続出!なんてね。
もちろんいまも子どもたちは外で遊びたいだろうから、かなりストレスがたまっているはず。将来、この体験がどういう影響を及ぼすのか、気になります。



週末は、散歩コースのさくらを見ながら春を実感したい。缶コーヒーくらいは買って、さくらを見ながらベンチで飲むかな。花見散歩、思考回路が広がるかもしれない。
からだにもこころにも、春が来たぞと知らせてあげないといけないよね。部屋にこもっていたら体内時間がずれてくるから、光と風を浴びて調整しましょう。






//////////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

給料日

雲と雲がぶつかって毛虫

25日というと、
ずっとむかしは給料日だった。会社勤めをしていたときは、うれしかった。うれしかったというか、これでまた一カ月は生きられるという感じだった。貯金というコトバはわが辞書には書かれていなかった(いまもだけど)ので、その日暮らし、いやその月暮らしだった。
よく生き延びて来られたと、周りの人たちに感謝する。確実に一人の力でも甲斐性でもない、ラッキーというしかない。そのラッキーは、周りが与えてくれた。


※お世話になったインスタントのカレーうどん。

給料日、なんとも昭和な響きだ。現金支給か振り込みか、今はもっと違う方法もあるのかな。仮想通貨でくれるとか。仮想という名前からか、労働と結びつかないような気がする。
最初に手にした給料で何を買った? まったく覚えていません。ならば、最初手にしたバイト料で何を買った? 中学生の頃に年齢を誤魔化してゴルフ場で日曜日にキャディさんの仕事をしたのがはじめてだったような気がする。オヤジに自転車で坂道を送ってもらった記憶がある。
忘れもしないのは、とてつもなくイヤな人(お客さん)とびっくりするほどやさしい人(お客さん)の両方を担当したこと。やさしかった人はいまもおぼろげながら覚えている。馬鹿息子を連れてきていたイヤなヤツの顔は鮮明に覚えている(不思議だ)。中学2年生の男子は、ぜったいにこんなおとなにはならんぞと、思った。

そうだ、給料日の話だ。きちんと封筒に入れてじぶんにじぶんで手渡しをしてみようかな、給料日ごっこ。ごっこ好きとしては、やってみたいな。明細も必要か、ふむふむ。





・・・・・・・
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

ヒミツの丼ショー

噛みしめて味わうサラミのうまさよ
(いいサラミと出合った)


卵焼き丼ってあるのか?
親子丼、カツ丼、他人丼、カレー丼、玉子丼、しかし、卵焼き丼というのは見たことも聞いたこともないということに気がついた。
ごはんの上に卵焼きがのっている、へんだ、無理がある、ごはんが皿になってしまう。東海林さだを大先生に手紙を出して聞いてみたくなる(メールではなく手紙)。

だし巻きでもだめか、卵とじ卵焼きというのはどうだ、どうもおいしいイメージが出てこない。やはり卵焼きはお弁当のなかで輝く存在なのか、一歩、弁当箱から出ると威力がなくなってしまうのか、なかなか手強い問題である。



目玉焼き丼は食べたことがある、好きだ。できれば目玉焼きはごはんにのっけて食べたいとおもうくらい好きだ(食堂のメニューで見たことはないけれど)。
卵焼きとはちょっとちがうが、天津飯はうまい。名前を天津卵焼き丼にすれば、この問題は解決するか? しません。やはりカタチにこだわりたい。あの卵焼きのカタチだ。
ならば、あんかけ卵焼き丼にすればいのではないか、ふむふむ。一瞬考える。卵焼きのカタチとあんかけの相性は? 敵対しそうだ、対決しそうだ、癒合しそうにない。友情も愛情も芽生えそうにない関係のようにおもう。

これはなかなか難問である。頭を抱える前に試して見よう。卵焼き丼を実際につくればいいのだ。もしかしたら大発見かもしれない。「こんなうまいものをどうしていままできがつかなかったのだ、やらなかったのだ」と、叫ぶかもしれません。
今週の課題ができました。






//////


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

時間貯金

春来れば渡る鳥あり無事を祈る


あしたは病院だ。
定期検診はつづくのであります。8月末で治療が終わって2年になる、時の経つのは早い。
レッドカードを出されたのが1019年3月26日、今年の8月で約2年半だ。あと3年は経過観察だから、時間貯金は5年くらいになる。
時間貯金というのは寿命に+されるのである(勝手に決めている)。利息だってつくでしょう。景気が良くなれば5年が10年になるかもだぞ(お気楽思考)。信じて日々コツコツがんばろう。

基本、水曜日が定期検診となっている。治療中から水曜日が特別な日になった。とにかく水曜日だ、水曜日が終わったら後半だと、がんばりの一里塚にしていた。
もうひとつの一里塚は「サザエさん」だった。「サザエさん」を見ながら、1週間の治療が終わった、あと◎◎日だと沈む気持ちを浮上させていた。なので、いまも「サザエさん」は大事な番組なのです。


※ミニミニ菜園、今年もスタート。

少しずつ体力も戻ってきた。土曜日の朝の町内清掃(清掃ではなく重労働だ)も2年振りに参加できたし、最後までやり通せた。まだリハビリ期間だけれど、チビチビと前進していると思う。
このまま前進したら10年、いや20年くらい体が若返るかもしれん。ガハハハ、どーだ。ライザップも真っ青になるぜ~と、妄想の達人は、妄想を膨らませております。妄想の世界ではヒーローなのだ。めざせ、暴れん坊将軍!
しかし、暴れすぎて落馬したら(脳の反射神経と体の性能の誤差生まれて)、アホれん坊将軍になってしまう。いや、将軍から足軽に格下げになるかもしれん。
脳も鍛えないといかんな、アホれんぼう将軍は危険だ。
なんのこっちゃ?





・・・・・・・


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

サクラサク

つぼみ微笑む春分の朝

日曜日は雨だった。
サクラが気になりますが、
わが町のサクラは順調のようです。

池の周りのサクラは、
咲く時期がずれているので、
わりと長く楽しめます。

ぱっと明るく、
町に光を放ってくれる花、
その光を受けて、
日々たのしく過ごしたいね。



長い冬眠から覚めて、
一気に開花する、
オーケストラのような
華やかなサクラたちです。

くちびるにうたを、
むねにサクラを、
そんな感じでいこう。

あしたはきっと、
いい日になるのだと
毎日信じて暮らすのである。





/////////
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ