散歩気分で生きる毎日に一日1本、一行詩!by ミナミヒロユキ
一行詩(うた)メモ日記
カレー、つくりました。
タマネギ切って休日の涙
5月30日(水)
『我流流カレー道』。
なんともへんてこなタイトルではじまる、ワタクシの「こんなもんでいいやんかぁ、カレーづくり」。
毎週日曜日にカレーをつくっています。
基本は、カレールーは使用しないこと、カレー粉だけとか、カレー粉とスパイスとか、スパイスだけとか、そういう組み合わせをたのしんでいます。
まれにカレールーを使うこともありますが、そのときは「メタル印度カレー」と決めています。他は一切使いません。たぶん、一部エリアでしか販売していないんじゃないかな。
それでは、本日のカレーです。
香辛料は、クミンシード、クローブ、そして、ターメリック、コリアンダー、カイエンペッパー。
材料は、タマネギ、生姜、ニンニク、トマトペースト、塩、ラム肉です。
『スパイシーラムカレー』が、出来上がるまで・・・
材料です、これにラム肉が加わります。
クミンシードとクローブで香りを出します。
タマネギを炒めます。
ニンニクとショウガを加えます。
トマトペーストもね。
香辛料に少し火を通します。
水を入れます。
茹でてあったラム肉を追加します。
10分ほど煮込みまーす。
完成です。
上出来のスパーシーカレーでした。
次回は、どんなカレーにしようかな。
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食べてはいけない?
ワタシノカラダ添加物デデキテル
5月29日(火)
最近、「食べてはいけない食品」という、週刊誌の特集が目につく。ちらちらとのぞき読みしてみたら、えええ、ほんとう、やばいじゃんか、それって子どもも日常的に食べているものだよ、と、目がまんまるになった。
堂々とメーカーの名前と食品名まで出ているということにもびっくりした。やっぱり加工食品は・・・と、思ってしまう。でも、ほんと? という疑問も顔を出す。
日本の食品は安全だと信じている者にとっては衝撃的な記事だ。食べものって暮らしの中心だもの、いつも「あれ食べたい、これ食べたい」と思いながら過ごしている食いしん坊にとっては、「食べてはいけない」、そう言われると、楽しみの土俵から押し出されたような気分になる。
たしかに、いろんな添加物でできている食品をみて、これはほんとうの(自然な)味なのか、付け足した味なのか、想像上の味が加味されているのか、成分表を見て首を傾げたくなることはあるんだけどね。
でもさ、そのメーカーの人たちも食べているんでしょう。社長や役員はとうぜん毎日、安全確認のためにも食べているはず、そう信じていたんだけど、どうなのかな。
あまり神経質になってもよくないし、神経質になることのほうがカラダに悪いようにも思う、ただ、カラダによくないとわかっているものは使わないでほしいものだ。ヨーロッパでは禁止されている添加物とかのチェックもしっかりとしてもらわないと、人に不具合が起こると国も地球もダメになっちゃうよ。
企業は人材こそが・・・とかなんとか言っているのですから、人材は人ですよ、人材と人とは違うと考えているんじゃないでしょうね。なんか、疑いたくなる企業もあるなぁ。
食品関係の企業の方は、自社製品のチェックをよろしく、そして、週刊誌の特集が間違っていたら大きな声で、「それはちがうぞ、ほら、これをみてみろ」、と、証拠を突きつけて声を上げてほしい。
沈黙されると、週刊誌の特集を信じちゃいますよ。いいのかな。
久しぶりに、
ほっけを食べました。
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虎 三連勝
3連勝の不安虎ファン
5月28日(月)
3連勝はうれしい。虎ファンとしては、気持ちがスッキリした。どうじに、このままではいかないだろうから、交流戦で連敗しなければいいんだけどと、よくないことを考え心配する。もう、習性だな、虎ファンの。
虎が連勝するといつも目に浮かぶのは、阪神尼崎の商店街だ。頭上にマジックを記したパネルが動いているんだよ、すごい町だ。
最近は、かなり冷静に見られるようになっているので、むかしのようにバシバシに一喜一憂することはなくなった。甲子園球場にも行かなくなったし、かなり穏やかな応援になったと思うんだよね。
負けても、しかたがない、勝負の世界で勝ち続けることはできなのだと、じぶんを慰める装置も持てるようになった。
※優勝したら飲みたい。
神宮球場にも行ったなぁ、星野さんが監督だった。その星野さんもいなくなってしまって、そうだ、衣笠さんもいなくなった。時代が変わっていくことを実感させられる。やんちゃな方たちがいなくなった寂しさは、誰も埋めることはできない。
いまの選手に求めるのは無理だけれど、やんちゃな選手が出てきてほしい。どの選手を見ても違いがあまりないような気がして、それも応援の熱がひいていく原因でもある。
昭和が終わり、平成もすぎていく。仕方がないのだろうけれど、特別な人たちの集まりなんだから、それもプロなのだから、お行儀が良すぎると、応援もお行儀がよくなる。いいことなのでしょうけど、燃えない。
やんちゃが消えていく、どの世界でもそういう傾向にあるんだろうな。そのうち、「やんちゃ」という言葉も消滅してしまうかも。そのかわり、マンガの世界でしか起こらないと思っていたことが現実の世界でも起こるようになってきた。大谷選手だ。
だってね、マンガのヒーローですよ、投げて打って、ルックスもよくって。いやいや困りました。この次に出てくる選手に期待をしてしまう。
小学生のころに読んだマンガを読み返すと次のヒーローの姿が描かれているかもしれないぞ、ほんと、ほんと、ほんとだよ。
「昼ごはんメモ」
ちょいとおしゃれに、ね。
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2時間笑った
遠ざかる昭和の匂い嗅ぐ
5月27日(日)
朝から町内会清掃に参加。そのあと、じぶん家の雑草退治、ゴミ処理、もろもろ片づけて、ふらふらり、ゆるい疲れというか疲労感につつまれる。
シャワーで汗を流して、昼ビール。つまみは、ミニミニ菜園で収穫した大葉とパセリの天ぷら。そして、若狭や製麺所さんからいただいた素麺とつゆ。完璧な昼食である。
昼食後は、テレビを見て大笑い。久しぶりの大笑い番組だった。関西だけしかやっていないのかもしれないな。2時間、笑いっぱなしというすごさに驚く。
やっぱり、人だよ、人がおもしろいのだ。むちゃくちゃだし、個性というようなあまっちょろいものでも、キャラクターというようなまやかしでもなく、その人の生きるカタチ(性)だな。
きっと、つねに、それも無意識に、目の前にはいつも観客がいたのだろう。本来の芸人と呼べる人は、ほぼ消滅したんだと、思った。続編に期待したい。
なんのことか分からないよね、それは、今日2時から放送された、『さんまが語り継ぎたいレジェンド芸人20人』という番組のこと。笑いでカロリーを消耗したよ。
どんな人でも、どこかにとんでもない性質を(気がついていないかもしれないけれど)秘めていると思う。それが、ある日、なにかのきっかけで飛び出してくる、そうすると、もうじぶんでは制御がきかなくなってしまう。なんていうことが起こっても不思議ではないし、信じられないことでもない。
あるエリアに入ると爆発する。それが芸能や演劇や芸術というステージなのかもしれないなぁ。そのステージもいまでは防菌加工がほどこされ、無菌状態になりつつあるんじゃないのかな。だからどうだと言われても、どうなんですかね、としか答えられないんだけれど。
休日の午後にビールを飲みながら、昭和の匂いを嗅がせてもらった。ちょっとやっかいで、悲劇的で、非常識でパワフルな匂い。じぶんのなかに、そういう匂いは残っているのだろうか、昭和の空気を吸って育ってきたんだからさ、ね。
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乾燥と加湿器
乾燥と乾パンどこか似ている味気なさ
5月26日(土)
乾燥している。いままで気がつかなかったけれど、この時季も乾燥はとまらないものなのか? 九州は梅雨入りしたというし、もう乾燥とは縁が切れると思っていた。
毎朝、湿度計を確認しているとわかる、思い込みはいけないということが。ちゃんと数字で判断するべきだな。
乾燥ねぇ、乾燥に弱い体質なのです。なんか、赤ちゃんみたいかな、いや、そんなデリケートではないので、よけいにちぐはぐ感がふくらむ。いやになる。いやになってもどうにもならないという歯がゆさ、悔しさ、情けなさ、三拍子そろっている、パフパフだ。
乾燥には加湿器だと、片づけようとしていたものを引っ張り出してきてONにしたら、部屋の気温が上昇していくじゃないか、そうか、そうだよ、湯を沸騰させているのだもの、とうぜんだと、なっとく。打つ手なしとなる。
夏にも使える加湿器というのは売っているのか? 夏も加湿しなくちゃいけないのか? 知らない、分からない、無知である、ダメである。調べてみるべきだ。
さすがに梅雨に入ると乾燥もおさまるんじゃないのかな。外は雨、部屋は乾燥、そんなことはないはず。天から水が落ちてきているのだ、加湿は万全、カビに注意となるに決まっている。梅雨を待とう。
※「おれのベンチ」とネーミングした近くのベンチ。
雨の日の読書を期待していたけれど、雨は降らず。吉本新喜劇を途中まで観てから本を読む。夕方から出掛ける予定をしていたので、それまでと読みはじめたら、あっという間に時間が過ぎていった。
本を読むのには、かなりの時間が必要だ。そこで神さまにお願いしたいのですが、本を読むのに費やした時間をためてもらって、それを寿命に変換してもどしていただけないかと、いかがでしょうか、そういうシステムを検討してもらうというのは。
ぜひ、神さまの定例会議にかけて、決定をしてください。強行裁決というやつで、反対意見を蹴散らしてお願いいたします。
そうなれば、どんどん本を読める、みんな読むので、人間同士争っている場合ではなくなるはず。平和のためにも、よろしく。
「架空店舗、UDONyaの炒めそうめん」
鯖の缶詰を使った、炒めそうめん。
そうめんは、「若狭や製麺所」さんにいただきました。
これも、メニュー入り確定だな。
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世代別言語翻訳アプリ
おなかとせなかはくっつかない
5月25日(金)
もう、腹がへって、へって、腹ペコで、お腹と背中がくっついちゃうよ。なんてことって、ありますか。そういう状況って減ったなぁ。
ある時期までは(随分むかしのことだけれど)、毎日、昼夜とそんな状態だったように思うのだけれど、飢餓感をもつということがどんどん減ってきている。
経済的理由というものを棚に上げて考えると、腹ペコになるまで動き回っていたということじゃないのかな。少年時代から青年時代は、呼吸するように毎日毎日エネルギーを発散して生きていたんだろうな。
エネルギーを発散することでエネルギーを得るみたいな循環構造になっていたのかもしれない。
いまの子どもたちは、「おなかと せなかが くっつくよ」という、あの歌の詩を理解できるのかな、「そんなのくっつかないよ」と、返してくるのかな、どっちなんだろう。
歌の歴史をたどっていくと、ちがった歴史が見えてくるかも、おもしろそうだな。生活様式によってもどんどん変化していくから、ダイヤル電話、公衆電話、テレホンカード、テレビのチャンネル・・・そんな歌詞がでてきたら、「意味不明」となっちゃう時代がもうすぐやってきそうだ。
歌詞も骨董品的なものになっていくのか(古典ではなく)。なるほど、なるほど、超・SFになるやもしれぬぞ。なんでもかんでも超えちゃう、次々に新しいものを重ねて、古いものは堆肥として次の成長をうながす役割担う。まさしく、歴史だ。
日常会話だって、ころりとかわっちゃって世代間での共通言語がなくなっちゃうかもなぁ。外国語なんて言っている場合ではなく、国内でも通じないから、世代別言語翻訳アプリが必要になってくる可能性だってある。
未来は、分裂へと向かっているのだ。そして、コミュニケーションというインチキ言葉にカビが生えて、腐敗する前に海に廃棄されるのだ、いや、海ではなく宇宙へ、かもしれない。なんてインチキSF風なことを考えて、わりとまじめに、びびっているワタクシであるのであった。
「昼ごはんメモ」
この時期は、これです。
たびたび登場すると思います。
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100-100=0
誘惑に同化しケーキ下げ帰る道
5月24日(木)
無性に甘いものを食べたくなるときがある、とくに出張帰りに求めてしまう。そして、つごうよく、帰り道にケーキ屋さんがあるのだ。仕組まれた罠のようにガラス越しにケーキが見える。見てしまうと逃れられなくなり、吸い込まれるようにして店のドアを開けてしまう。今回も買っちゃいました。
辛いものも甘いものも好き、もちろん、お酒も好き、珈琲も好き。好きだらけ(すなわち隙だらけ)だなぁ。
ここのところ和菓子に気持ちがいっていたのですが、久しぶりに食べるケーキは格別だった。スタンプカードを新しくつくってもらったので、またまたケーキ日和がひんぱんに訪れることでしょう。
そうだ、カロリーを摂ったぶん、身体を、アタマを、動かせばいいのだ、消費するのだ。100-100=0じゃないか。100のカロリーを摂ったら、100のカロリーを消費する、かんたんな引き算じゃないか、はははは、なーんだ。
しかし、ケーキは甘くても世の中そう甘くはありません。100を消費するのにどれだけの運動を要求されるか、むかしジムに通っていたときに驚いたはずだ。
ゆで卵一個分のカロリーを消費するのに、自転車こぎをどれだけやらないといけないか。それがケーキとなると、果てしなくこぎまくらなければいけないんじゃないのかな。
やっぱり、世の中は甘くないのである。
ケーキは次の出張までがまんしよう。月に二個くらいなら許されるでしょう。仕事と移動と飲み会でエネルギーも使った帰り道だもの、主治医(いないけど)も太鼓判をおしてくれるだろう。
そんなあま~い考えでいるから中性脂肪を落とせないのだよ、おれ。おれよ、おれさまよ、気を引きしめなさい、筋肉をつけなさい、夏のカラダになりなさい(無理があるなぁ)。
ほんとうは、ケーキよりもアルコールを減らすことなんだろうけど、そこはかなり難しいので、間食をひかえることで、酒にまで波紋を広げないようにしたいと思っております。
「朝昼兼用ごはん」
東京八重洲で、
またミニミニモーニングを食べてしまった。
スパイシーなカレーがいいんだよなぁ。
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ヒット曲
求め求められつながる縁かな
5月23日(水)
ヒット曲っていいね。ヒットしていたときはそれほどでも、というか、ヒット曲なんて、と、へんな距離を置いていたように思う。
なのに、しっかりと覚えている。いま、ラジオから流れてくると、ノスタルジックという調味料が振りかけられていて、チクチクとあの頃の景色が胸を刺す。
やっぱり、ヒットするものには力があるんだな。きっと、アイドルの人たちもそうだよ、力を持っているから売れているんだ。
生半可なことでは、どんなジャンルもトップ集団には入れないはず。なんてことを、FMラジオを聴きながら思ったのです。
過去も未来も意識しないで生きる、今を重ねていく、そういう気持ちで日々暮らしているのですが、なつかしい曲が流れてくると、心の隙間からすきま風が入り込んできて、君にもちゃんと過去があり、歴史があるのだよとささやく。
甘酸っぱい口づけに~♪なんて歌もよみがえる。このからだは、このアタマは、いろんなことを通り過ぎてきたのだなと、なかなか耐久力があるなと、感心する。感心は感謝ということかもしれない。
これからもまだまだいろんなことや人と遭遇して影響を受けたい。人は他人によって育ててもらえるのだからね。だから、だれと付き合うかはかなり問題になる。いい人とか、わるい人とかということではなく、そのとき、お互いを必要とできるかどうか、引き合っているなにかがあるか、それが縁だと思う。うまく説明できないけれど。
いま、会いたい人がいますか。話したい、一緒にいたい、そういう人がいますか。反対に、会いたいとか話したいとか、誰かに思われていますか。そういう人がいることは、どちらも幸せだよね。やっぱり人がエネルギーをくれる(奪われることもあるけれど)。
なんだかうまくまとまらなかったけれど、「求める、求められる」って、生きる上での物差しになることは確かだと感じる今日この頃なのであります。
東京にいます。月に二回、東京で飲む人たちにいつも活性剤を注入してもらっている。果たして、エネルギーの交換は成立しているのかな、もらってばかりじゃ申し訳ないものね。
明日、帰ります。
・随分前に書いた歌詞の印税通知がきた。
そうか20曲くらいは、登録されているものなぁ。
印税生活を夢見ていたころもあった、ははは。
まだまだあきらめちゃいけないぞ~、死ぬまで成長、夢を追いかけよう。
「UDONyaの野菜うどん、ラーメン風」
平うちめん(若狭や製麺所)を使用し、
ラーメンスープと合わせてみた。
やさいたっぷりですよ、ニンニクもたっぷり、
スタミナつくぜ~。
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うどんだしカレーをつくった
うどんだしカレー手品のごとし
5月23日(火)
和風カレーをつくってみました。
和風ということで、WAKASAyaのうどんだしを使用しました。
これね、とっても便利です。
おでんにも鍋物にも、
いろんな展開が可能のダシですから
常備しておくといいと思います。
わが家は、冷凍しております。
今日は、野菜中心カレーにしました。
冷凍の残りアサリを放り込んで、
貝風味にも期待・・・期待は、ううでしたけど。
ま、冷凍で安いものだから仕方がありません。
まずは、野菜を炒めます。
野菜は冷蔵庫にあるもの、
特別にカレー用には買いませんでした。
残り野菜を片づけるのにもカレーはいいですよ。
野菜がアチチになったら、
トマトピューレとカレー粉(と小麦粉)を投入し、
少し炒めてから
解凍したうどんだしをいれます。
調味料はいれません。
これもうどんだしのおかげです。
そのまま蓋をしてグツグツ10分ほど煮込んで完了。
簡単です。
和風といってもそれほど強い和風ではないので、
これは店で出しても、食堂カレーとして成立すると思います。
タマゴをのせると、さらにいい。
完食。
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MDは何処に~
戻ることの新しさ想像してみる
5月21日(月)
久しぶりにFMラジオをONにして仕事をしている。ほんとうはAMラジオのほうが好きなのですが、雑音が多すぎるので聴くことができないのだよね。
いまの仕事をはじめたとき、最初の会社は無音、次の会社はAM、その次はFMとCD、仕事と重なる音の歴史がある。
今は、CDか無音かどちらかで、CDをかけていても仕事に集中してくると、終わっても気づかないのでそのままになってしまう。
音楽といえば、MDはどうなったのだ。CDよりも小さいし、これはいいものができたと喜んで使っていたら、いつのまにかMDのついているものもなくなってしまっているじゃないか。
いつだったか、ライブでベースを弾いてもらうことになって音源をMDで送ったら、「すみません、MDを聴けないのです」というメールがきた。
おどろいたよ、そのときはまだじぶんのかなではMDが主流だったから、ええええとなった。周りの人にその話をしたら、「MD、もう使ってませんよ」という返事。「取り残された旧人類」と、こころのなかでつぶやいた。
モノで時代の移ろいを感じるってことがあるんだな。でも、携帯電話からスマホというのは、それほど変化したとは思わずに移行できたように感じるのだけど、レコード→CD→MDは、変化を感じた。カセットテープ、ダットというのもあったな。
このまま進化していくと、もうモノを媒介しなくても直接脳にアプローチして音楽が聴けるようになるかもしれないよ。どうなっていくんだろう、音楽自体も大きく変わるかもしれないね。
レコードしか置いていない音楽バーや喫茶店とか、個人店しかはいっていない昭和の市場とか、アナログがサイコーとは言わないけど、そういうアナログ的エリアってあってもいいんじゃないの。
ぜひ、わが町につくってください。経営は企業ではなく「町」というのがいい。町おこしを目指すのではなく、町の血肉になるようなものをつくる。それこそ夢なのか、夢物語なのか、たまには戻ることもいいんじゃないのかな。
「昼ごはんメモ」
残っていたチャーシューを使って、スパゲティをつくった。
最近、全粒粉の麺を愛好しております。味がある。
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