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ロト6で、


悪党の数字並べて一億円


「ロト6」

 ここに「ロト6」の申し込みカードが一枚ある。さて、どうしたものか。六つの数字をピタリと当てると、かなりの額の賞金をいただける仕組みだ。
 ピタリと当てる、ならば、占い師にみてもらうか。そういうのは占いじゃない? たしかに占いとは言わないだろう。
 数字というと、ついついじぶんの誕生日だとか、好きな人、ペット、なんかの誕生日を選んでしまう。前に考えたのだけれど、これまでクジ運というものがよくなかったじぶんを思うと、じぶんの誕生日の数字は、だめじゃないのかと。
 もっとクジ運のいい人、もしくは、大スターなんかの誕生日から数字を選んだ方がいいんじゃないか、賞金を引き当てそうな匂いがする人の。

 その方向で数字を選ぶとしたら、果たして誰がいいのか。世界的な記録を残しているとか、世界的大スターとか、超・大金持ちとか、そういう人をピックアップして、誕生日の数字をもらっちゃう、とってもクジ運が良さそうだものね。
 イチロー選手は候補としてあがるでしょう。ビルゲイツ氏なんかもどんまんなかじゃないのか。CDの売上げトップアーティストという意見もありそうだ。ええぞ、ええぞ、どんどん出てくるぞ。

 100万人のオーディションから選ばれた人、なんかはとくべつクジ運がよさそうだ。あ、そうだ、そうだ、そうだ、今この国で一番の悪者、悪党、という選択もあるぞ。悪を反転したら、幸福なる善になる、なーんちゃってさ。
 悪党、悪者ならすぐに何人もピックアップできるはず。それ、いいかもしれないな。もし、そんなチョイスで一等賞が当たったら、なんか後味が悪いような気がするかもしれないけれど、それでも当たったら、いただいちゃうよ、棄権・放棄は致しません。
大判振る舞いしちゃうよ、はは。


『にゃん画』









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「大型溜息連休」


ベッドに沈むわが身の重き疲れかな


「不安」

 ・新聞に載っている本の広告を見ていると、「なになにのヒント」とか、「カンタンなんとか」とか、「人生に無駄はうんたらかんたら」とか、いっぱい教えてやるぞという本がわんさか、自己アピールをしている。
 「へぇ~、みんなどんだけ~」ヒントや教えを必要としているんだろう。とにかく答えを求めることが優先なのかなと、驚いてしまう。
 まず、じぶんで考えるよな、それにそんな本を信じないよな、万人に向けて書いているのだから、あたるも八卦あたらぬも・・・じゃないのか。
 「私ってさ、かわっているからぁ~」なんて口で言いながら、万人対象の無個性な本を読んでいるのか? 天の邪鬼なワタクシは、理解できません。
 最近の新聞広告を見て思った。



 ・大型連休がはじまった。いきなり疲れているので、休みであることはありがたい。うまく仕事もこなしつつ、からだを休めたいと思う。
 大型連休、迷惑なひともたくさんいるだろうな。勝手に決められたけれど、休めるのは大手企業のひとたちだけじゃないのかな。ぜーんぶ、大手企業を向いた政策のような気がするのは、ワタクシだけでしょうか。

 ・「大型溜息連休」そうネーミングをした。いっぱい金をつかってばらまいて、ゴルフやお誕生日会でしっぽを振って、ナデナデしてもらっている「人」はたのしいだろうけれど(湧き出る財布を持っているのか?)。ほとんどのひとは、やっていられないわと思っているよ。
 この国の外にいるひとから、「日本はだいじょうぶなの」と言われているのになぁ。

 「ソンナコトヲ イワレテイルクニデ クラシテイルワタシハ カナシイ ハズカシイ」
 「シタノハタケニカクレタイ」


「にゃん画」


にゃんこ番長、よろしくお願いします。







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気分は調味料


青空に浮かぶ雲よさつまいも


「気分をプラス」

いきなりですが、「今日はすき焼きだ」と、たとえば、夜のメニューを決めると朝から気持ちを「すき焼き」にもっていくようにしませんか? 「そんなことしないよ」という声が聞こえて来ますが、ワタクシは、しちゃっています。
気分を盛り上げて、盛り上げて、「ごたいめ~ん」をしたいのです。そうすると、うまみメーターが、びびびびびーんと、跳ね上がるでしょう(跳ね上がらない?)。

料理の味を引き立てる調味料のひとつが、「気分」だと思うのです。とくに外食の場合は、大事です。もちろん、味そのものも問題ですが、サービスや雰囲気(インテリアを含む)、整理整頓、清潔感なども「気分」に影響を及ぼします。
「気分」が低空飛行をはじめると、味も下降していきます、困ります、その店に入ったことを後悔します。食べものの後悔は、歯ぎしり、ギシギシですもんね。


※ステーキとタケノコ 相性バツグン


※やさいたっぷりの汁もの

食べる、食べられるって幸せです。「口福」ということばがあるくらいですから。だから食べることを、食べる時間を、大切にしたいのです。
コンビニごはんだって、気分を高めて食べるとぜんぜんちがいます。間に合わせ気分ではなく、うれしい気分でいただくとおいしくなります。気分は、調味料になり、スパイスになるはずです(勝手な思いこみかもしれませんが、信じています)。


※ハワイから送られてきた写真を一枚

ということで、今夜はなにを食べようかな。朝から決めておこう、そして夜ごはんをたのしみに仕事をしよう。わくわく。
え、「あほじゃないか」って、みなさんそう思われるでしょうが、いやいや、やってみてください、いつもとちがう食卓がまっていてくれますよ。


「にゃん画」









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アン・ラッキーのアンを消せ!


迷路への切符ぶら下げあっちへこっちへ


「つかれた」

 あっちへ行き、こっちへ行き、もとに戻り、またまたあっちへ、こっちへ。こういう移動はとても疲れる。午後からずっとそのパターンだった。解放されたのは5時過ぎで、戻って来たのは6時30分頃、疲れた。
 あしたから連休だけれど、あしたの朝にも急遽予定が入った。なので、文楽のチケットが紙切れに変身しちゃうわけだ。もったいないけれど、この時点で(金曜日午後7時)あしたの11時から文楽に行きたい人は見つからない。残念で、断念。
 しかし、これがチャンスを引きよせ、ラッキーの花を咲かせてくれる、記念として残るチケットになると、信じよう。信じる者は救われなくてはいけないのだ。



 夕方、クルマはちょっと渋滞していた。今日から移動する人がいるからだろう。渋滞は、過去に何度も経験しているから、その辛さはよーくわかる。奈良~金沢、京都~金沢、東京~金沢、奈良~東京、GW、盆と正月、行き来しておりました。
 「あの頃、ぼくは若かった」であります。仕事終わりで、夜中に走った。着くのは朝方だった。あの感覚はいまでも覚えている。行きはいいのだけれど、帰りがキツイのだ。渋滞に必ず巻き込まれていたから。
 
 長期の休みは、どこにも行かない。それが一番だと今は思っている。近所でいいじゃないか、電車とバスで、いいじゃないか、日帰りでいいじゃないか、と。でも、ふるさとというものがある人は、そうはいかないのだろうな。
 日本国は、一斉に休みになるのでしかたがない。一斉に休みじゃないと、不都合な人たちもいる。みんなが満足するシステムは、ありません。世の中、すべてにおいてそういうもののような気がする。むつかしいものだ。


「にゃん画」









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ある日の食事


飛び去る景色にからまる時間かな


「なに食べた?」

パンより米、パンより麺類、というのがわが食生活の基本である。
しかし、最近はパンも食べるようになった。

もともとは、嫌いではないのだけれど、主食という感じがしなかった。
それと、小学生の頃の給食がパンから遠ざかる原因になっているように思う。

で、いきなりパン。
ホテルの無料朝食ということで、「そうなの、それならば食べちゃおう」と、1階まで降りていった。
予想していたのは、ごはんと味噌汁と漬けもの、納豆、かんたんな煮物にサラダだった。
その予想はスコーンとひっくり返された。パンだった。無料だもの、しかたがない。用意をしてくれている気持がうれしいじゃないか。
本日の一食目は、



たまにはパンもいいものだ。こういうときにしか食べないもの。

でもやっぱり、おこめも食べたい。腹の底に力が蓄えられないのだ。
ということで二食目は、新幹線のなかでおにぎりと緑茶となった。
やっぱり米はいいぞ。



今日はおやつも食べちゃおうということで、ひさしぶりのケーキをチョイス。
「ごぶさたしております」と、あいさつをしてからいただいた。あまいものはうまいものだ。



昨日今日とちゃんとしたもの(バランスのいいもの)を食べていない。そうなると、バランスをくずしていく。気持ちもしゅんとしてくる。食べものとはすごいものだ。生きることに影響する。
この二日間の食事を補うために選んだ三食目の主役は、タケノコだ(味噌汁、刺身、サラダ付)。旬をいただくことが健康へとつながるのだと、信じている。



ごちそうさまでした。







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「サケノバ 第二回 野毛」


はなうたのひとつも出るかはしご酒


☆酒を飲むところ、そこが「サケノバ(酒の場)」。

今回の「サケノバ」は、
野毛ですよ、
コアな店が並ぶ地下街に上陸。

もちろん昼から飲みモードが
あふれておりました。
近所にあったら、
アル中になるかもしれません。

もちろん、「はしご酒」狙いです。
最低3軒はやっつけたいと、
拳を突き上げ突入いたしました。

まずは、『はなみち』。
開店前だったので少々並んで、
無事席を(もちろん立ち)確保しました。





瓶ビールとマグロ、貝、たまらんです。
新鮮でボリュームもある、
そして安いのだよ(売り切れごめん)。

いい感じでスタートをして、
二軒目は『ゴールデンもつ』。
ここで着席をして、
すこし落ち着くことに。
焼きものもいっときましょう。
ホッピーが合うねぇ、
まだ昼だよ、シャーワセだなぁ。











一旦地上に出て散策。
老舗かどうかしらんが、
気分のわるい対応の店(餃子)あり。
二度と扉を開くことはないでしょう。

やっぱり地下だということで、
元の場所に戻ることに・・・

入った店は、イマイチというか、
その対応はなんだ! だったので、
そこは飛ばすことに(カウントしない)。
(中国のおねえさんだけちゃんとしてた)

三軒目は、『じぃえんとるまん』。



うーん、サイコー。
店の人の対応もバツグンだった。
鉄板の前でひとり奮闘する
おねえさんがカッコ良かった。
やっぱりじぶんの仕事に
一生懸命の人は、ステキだ。
(惚れちゃいそう)














なんだかんだと、
はしご酒をしちゃいましたけど、
シメはやっぱり、
一軒目の『はなみち』だよなと、
全員の意見が一致し、
再度『はなみち』へと向かいました。







野毛の飲み屋街を堪能しました。
ワタクシは、
新横浜から新幹線に乗って、
京都へと向かったのであります。
もちろん、崎陽軒のシウマイを買ってね。

酒を飲むところ、そこが「サケノバ」。
次回は、どこへ上陸するかな、







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あめちゃん


一粒の飴でテンション上がるはずもなく


「飴」

 なぜか、あっちこっちから「飴」が出てくる。ポケット、カバン、小物入れ、ギターケースなどなど。
 たぶん、いろんなところでもらってくるのだろう。よく行く東の居酒屋さんは、帰りにいくつかくれるので、その場では食べずにポケットやカバンに入れて忘れてしまう。
 ほかでも店のカウンターに、「ご自由にお取りください」と書いて置いてあるところがある。そうすると、ついついもらってしまう、すぐに食べないのに。
 そういうのがたまっていっているのだと思う。いまもこの原稿は、とつぜん出てきた「飴」をロレロレしながら書いている。たぶん、これは、あの居酒屋さんにもらったものだ(いつもらったのかわからないけど)。

 「飴」の魅力。なんかあるのだ。無視できない光線がシューシューと出ているんじゃないか、その光線にあたると、ついつい手をのばしてつかんでしまうという仕掛けだ。「飴の不思議」。
 ただし、大阪のおばちゃんから「飴」をもらったことはない。道を歩いていて「兄ちゃん、これ食べ」と、「飴」を強制的にポケットに入れられたこともない。「大阪のおばちゃん飴神話」は、まさしく神話ではないだろうかと、ちょっと疑っている。


※豆腐あんかけラーメン

 じぶんで買う「飴」は、「のど飴」くらいだ。とくべつどこどこの「飴」を買って食べたいと思ったことは、うーん、記憶にないなぁ。だからスーパーで飴の袋が並んでいると、だれか買う人いるのかな、ほんとうに売れているのかな、と、クビを傾げるときがある。
 ちゃんとメーカーは存在しているのだし、店頭でも売られているのだし、コマーシャルだって(ローカルだけれど)見るときがある。やはり、ファンがついているのだな。
 なかなか神秘的な商品ではないか? 目立たないけれど、密かに売れている。憧れる生き方である。


「にゃん画」









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「写ケッチ」


ポケットに入らぬカメラの存在感


『写ケッチ』
新しいカメラ(SONYα6300)で、
気になる「モノ・コト」をスケッチするのだ。
まだまだ使いこなせていないけれど(ずっと使いこなせないだろうけど)、
とにかくレンズを向けてシャッターを切る。

むつかしけれど、
ぶくぶくと沈んでいき、
モノトーンの部屋に潜り込もうと思う。
モノトーンの部屋から想像する、
色のついた世界は、
とても輝かしいだろうな。

カメラ初心者がゆく!

第一回 「写ったぞ」















シャッターを切れば、写る。
ははは、なんとすばらしいのだ。
「ソニ子」とのお出掛けが増えそうです。





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青春の味、カップヌードル


青春はつるりんと終わる細く短く


「カップヌードル」

 急にカップヌードルが食べたくなった。そういうときってあるでしょう。食べたくなるものはそれぞれちがうけれど、突然、胃袋の奥から「あれ、べたーい」というものが現れる。
 そういうときに食べたいものって、高級なものじゃなくって反対にジャンクなものが多いような気がする。
 「上等な和定食を、たべたーい」なんてことは思わないものね(思う人もいるかもしれないけれど)。イタリアンでもフレンチでもなく、単品一発勝負だ。今回は、カップヌードルだった。

 スーパーへ行きました。カップヌードルを買いに。そして迷う、若かりし日から(カップヌードル時代から)変わらず、腕を組み、定番かカレーかと、真剣に考えるのだ。わりと長い時間。
 今回も若かりし頃とおなじ行動となった。しかーし、異変が、時代は移ろっていたのだよ、マイルドというものが出ているじゃないか、うううう、れれれれ、はじめて見た。
 「はじめて」に弱いわたくしは、迷いの世界から瞬時に飛び出し、手に取った。
 やさしくなったカップヌードル、そのやさしさをチェックしてやろうじゃないか、見かけだけのやさしさじゃないだろうなと、にらみをきかして買い物かごに放り込んだ(定番ものよりも安かった)。



 記憶をたどれば、「カップヌードカレー」と「どん兵衛」が発売されたときにはおどろいた。よく食べたなぁ、最初のおどろきというものは忘れないので、いまでもカップラーメンの一等賞は、日清食品だ。胃袋に刷り込まれている(袋麺は、サッポロ一番シリーズ)。
出会い頭のすり込みというのはとても大事だな。きっとなんでもそうだよ。
 ということで、カップヌードルの昼食となりました。たまに食べる、その空いた時間が味を引き立てるのだろうな。常備しておきましょう。


「にゃん画」









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カメラマンだぁ~ぞ、


標的にレンズ向け引き金を引け


「デビュー?」

 プレッシャー。月曜日の本番に向けて、新しく買ったカメラを扱えるようにならなければいけない。似非カメラマンとなるのであるが、似非であっても仕事にはちがいないのでミスはゆるされないのだ。印刷物になる可能性があるということだから。

 マニュアルを読まずに操作できるのか、カメラもしだいに複雑になってきているので、むかしのように「マニュアルなんて必要ないぜ」とは、いかないだろうな。
 オートにしてシャッターを押すだけなら、だれにでもできる。しかし、しかしである、それでは求めている写真を撮ることができないのだ。相手は動くのである。自由に動くのだ。その動きを一瞬にして焼きつける、そうです、止めてしまわなければいけないのである。


※何年ぶり? ミックスジュースを天王寺で飲んだ。

 本日、しっかり練習しようと思います。奈良へ行くので動き回る鹿を撮ってみようかと(激しく動いている鹿を見たことないけれど)。まず、手に馴染むということでしょうか、相思相愛にならなくちゃものごとはうまくいかんですからね。
 だいじなのは、「スキンシップ」です。ぬくもりを伝えあえる関係、こころがつながりあう関係、それでしょう、それですとも、そうじゃないと一体になれないのだ。

 ドキドキするなぁ。本番の被写体は、人間です。服を着ています(あたりまえだ)、ヌードではありません(男子ですからヌードはお断りです)。もちろんカラーです。
 もし、採用されたら、ワタクシ、「スナップしか撮れないカメラマン」として、いまからプロを目指そうかと・・・。キャッチフレーズは、『写真の出来映えは、カメラに聞いてくれ!』というのは、どうかな。
 だれか仕事をくれるかな?(できれば一泊二日食事付きということでお願いします)。


『にゃん画』









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