ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

顕現後第2主日

2006年01月15日 | ショートメッセージ
本日の旧約聖書はサムエルの召命物語(サムエル記上3:1-20)です。

少年サムエルは、夜中に自分を呼ぶ声で目覚めて司祭エリの所に走って行きます。
彼はまず、司祭に聞いたのです。そして、司祭エリの指示に従って
「主よ、お話ください。僕は聞いております。」という言葉に至るわけです。

この少年サムエルの「聞く姿勢」これは重要です。
それは、「聞く」ということがとても大切であり、
私達が聖書研究をするときも、み言葉に「聞く」ということが主眼であり、
同時にそれは「聞く訓練」でもあるということにもつながります。

また、祈りとは「願い求めること」であると、つい私達は考えがちです。
もちろん、願い求めて良いのです。
しかし、祈りの基本はむしろ「聞く」ことにあるということも言えるのです。

私達は、神様に向かって「主よ、主よ」と願い訴えます。
そして、その熱心な祈りの先にやっと、
全てを神様に委ねることができるのでしょう。
そして、「自分」というものが空になって初めて、
神様が語りかけてくださるような気がします。

それは、「私」という器に神様の恵みが盛られようとしている、
と言ったら良いでしょうか。
瓶の容量は人それぞれでしょう。
しかし、神様はその土の器に一杯に注ぎ込んでくださる。
必ず私達の必要に応じて満たして下さるのです。
そして、口いっぱいまで来たら、
おのずと主の恵みは溢れ出るのではないでしょうか。
それが「御業」なのです。

神に委ねることを忘れて自分の業や自我に固執している間は、
この恵みをしっかり受け止めることは出来ません。
ただ、すべてを神様にお委ねし、
私達は恵みを受け取る手を差し出すだけで良いのです。
そして、サムエルのように
『主よ、お話しください。僕は聞いております。』と、
神様のお声に耳を傾けたいと思います。

執事 マタイ金山昭夫 《2006.1.15 週報より》