ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

聖霊降臨後 第6主日

2006年07月18日 | ショートメッセージ
今日の福音書(マルコによる福音書6:7-13)において、
弟子たちは「杖一本のほか兄も持たず、
パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、
そして『下着は二枚着てはならない』と命じ(8-9)」られて派遣されました。

たしかに、旅行者をもてなすことが信仰的にも美徳とされた
ユダヤ社会を背景として語られている言葉であるとしても、
これでは杖と履物以外には旅行者として必要なものさえも
携行できないことになり、とても極端な命令です。

ここで言う、杖と履物という旅行束は、
彼らが自由に旅行できる「市民」であること
(つまり「奴隷」ではないこと)を示してはいますが、
実際は逗留(とうりゅう)する地域の人々の施しに依存して
生きることをもあらわしています。

今日、イエス様の弟子たちへの派遣命令は、
先週の聖書箇所の「預言者は故郷で敬われず」という言葉をふまえて考えると、
まるで弟子たちに「敬われない預言者」となるように言っているように聞こえてきます。
すなわち、イエスは弟子たちを「敬われない」者として、
宣教することを求められました。

ただ、神様から与えられた賜物を「神から与えられたもの」として
人々に届けることが「預言者」の使命であるとすれば、
それを届けるのは、この世的には誰よりも無価値であることが要求されたのでしょう。
「こんなに偉い人が言っているのだから」
「これだけの能力を持った人が言っているのだから」というようにして
福音が宣教されることを、イエス様は拒絶し禁止しておられるのです。

弟子たちが、そこに留まることを要求されつつ、
飽くまでも「旅人」のままにされるのも、
神様から与えられた賜物が彼らの「この世」的ステイタスとして
定着することを避けるためだったのではないでしょうか。

もしかしたら、彼ら同様私たちも行く先々で常に「敬われない預言者」
となることを求められているのかもしれません。