<マタイによる福音書 7:21-27>
「主の名」を用いることは、「主の名」の代理者として生きることです。
しかし、代理者であるはずの人は、
「主の名」を自分の都合で勝手に用いたりする過ちを犯します。
信仰無しに「主の名」を用いることは、神と人の主客が逆になり、
他人を操作したり服従させたりして、
真の人間として互いに生きることを遠ざけることになるのです。
私たちは、信仰を土台とし、
その上に私たちの言動を建てあげる者でありたいと思います。
司祭 ヨハネ 小野寺達
「主の名」を用いることは、「主の名」の代理者として生きることです。
しかし、代理者であるはずの人は、
「主の名」を自分の都合で勝手に用いたりする過ちを犯します。
信仰無しに「主の名」を用いることは、神と人の主客が逆になり、
他人を操作したり服従させたりして、
真の人間として互いに生きることを遠ざけることになるのです。
私たちは、信仰を土台とし、
その上に私たちの言動を建てあげる者でありたいと思います。
司祭 ヨハネ 小野寺達