<マルコによる福音書7:31-37>
福音記者マルコは実際にイエスの使っていた言葉アラム語で「エッファタ」と記し、
耳が聞こえず話すことに不自由であった人を癒した時の臨場感を伝えています。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の事なかれ風土の中でこそ、
イエスは「開け」と言っておられるのではないでしょうか。
真実に基づくコミュニケーションを回復して新しい次元を神の御心に適うように開こうとして、
主イエスはわたしたちにも「エッファタ」と言っておられることを思い巡らせてみましょう。
神は私たちの関係の中におられ働いてくださいます。
司祭 ヨハネ小野寺達
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福音記者マルコは実際にイエスの使っていた言葉アラム語で「エッファタ」と記し、
耳が聞こえず話すことに不自由であった人を癒した時の臨場感を伝えています。
「見ざる、言わざる、聞かざる」の事なかれ風土の中でこそ、
イエスは「開け」と言っておられるのではないでしょうか。
真実に基づくコミュニケーションを回復して新しい次元を神の御心に適うように開こうとして、
主イエスはわたしたちにも「エッファタ」と言っておられることを思い巡らせてみましょう。
神は私たちの関係の中におられ働いてくださいます。
司祭 ヨハネ小野寺達
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