<マルコによる福音書9:30-37>
近代まで、子どもは未だ労働力として一人前になっていない
無能無価値な存在とみなされていました。
イエスはそのように認識される幼子を抱き上げ、
「このような子どもの一人を受け入れる者は、
わたしを受け入れるのである」と言いました。
私たちは財力や権力を受け入れる事は簡単ですが、
何の見返りもない弱く無価値な存在を受け入れて愛することは難しいものです。
私たちの愛が本当に試されるのは、
この世の基準で愛するに足りないと思われるような存在を受け入れて
愛することができるかどうかという状況にあるときなのです。
私たちは無価値でも神から愛されている存在です。
司祭 ヨハネ小野寺達
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近代まで、子どもは未だ労働力として一人前になっていない
無能無価値な存在とみなされていました。
イエスはそのように認識される幼子を抱き上げ、
「このような子どもの一人を受け入れる者は、
わたしを受け入れるのである」と言いました。
私たちは財力や権力を受け入れる事は簡単ですが、
何の見返りもない弱く無価値な存在を受け入れて愛することは難しいものです。
私たちの愛が本当に試されるのは、
この世の基準で愛するに足りないと思われるような存在を受け入れて
愛することができるかどうかという状況にあるときなのです。
私たちは無価値でも神から愛されている存在です。
司祭 ヨハネ小野寺達
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