<ルカによる福音書14:25-33>
主イエスは家族や自分の命でも
「これを憎まないなら、誰であれ、わたしの弟子ではあり得ない」と言いました。
多くの人がこの言葉を理解できず信仰に向かうことを躊躇します。
しかし、この「憎む」は感情的に嫌ったり恨んだりする意味ではありません。
当時のヘブライの言語表現を直訳したために理解しにくい表現になっているのです。
本来の意味は「イエスを基盤としないでそれに無頓着であれば、
誰もイエスの弟子ではあり得ない」ということなのです。
私たちは家族や隣人を愛することとイエスに従うことの中心が一つになり
同じ基盤に立っているかどうかを問われているのです。
司祭 ヨハネ小野寺達
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主イエスは家族や自分の命でも
「これを憎まないなら、誰であれ、わたしの弟子ではあり得ない」と言いました。
多くの人がこの言葉を理解できず信仰に向かうことを躊躇します。
しかし、この「憎む」は感情的に嫌ったり恨んだりする意味ではありません。
当時のヘブライの言語表現を直訳したために理解しにくい表現になっているのです。
本来の意味は「イエスを基盤としないでそれに無頓着であれば、
誰もイエスの弟子ではあり得ない」ということなのです。
私たちは家族や隣人を愛することとイエスに従うことの中心が一つになり
同じ基盤に立っているかどうかを問われているのです。
司祭 ヨハネ小野寺達
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