<ヨハネによる福音書1:29-41>
洗礼者ヨハネが主イエスを指し示して
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。
聖書の中での「羊」を原語であたってみると、
2種類の言葉が出てきます。
ひとつは一般的な動物としての羊を指す言葉であり、
もう一つは生け贄の羊を指す言葉です。
ここでヨハネが使っているのは
文脈からも容易に想像できるとおり後者の言葉です。
降誕日に私たちは
「神の言が肉となって私たちの間に宿った」と学びましたが、
神のご計画は私たちの罪を贖うために
イエスを十字架に挙げたことを福音記者ヨハネは
その福音書のはじめに既にテーマとして提示しています。
イエスの十字架は聖書の中の根幹なのです。
私たちはイエスの十字架を他ならぬ私のためであることを
どのように受け止めるのでしょうか。
司祭 ヨハネ小野寺達
→説教はこちら
洗礼者ヨハネが主イエスを指し示して
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。
聖書の中での「羊」を原語であたってみると、
2種類の言葉が出てきます。
ひとつは一般的な動物としての羊を指す言葉であり、
もう一つは生け贄の羊を指す言葉です。
ここでヨハネが使っているのは
文脈からも容易に想像できるとおり後者の言葉です。
降誕日に私たちは
「神の言が肉となって私たちの間に宿った」と学びましたが、
神のご計画は私たちの罪を贖うために
イエスを十字架に挙げたことを福音記者ヨハネは
その福音書のはじめに既にテーマとして提示しています。
イエスの十字架は聖書の中の根幹なのです。
私たちはイエスの十字架を他ならぬ私のためであることを
どのように受け止めるのでしょうか。
司祭 ヨハネ小野寺達
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