ルクノス ~ともし火~

日本聖公会 北関東教区 宇都宮聖ヨハネ教会のブログです。

復活節第3主日

2020年04月25日 | 宇都宮聖ヨハネ教会
復活節第3主日 (ルカによる福音書 24:13-35)― エマオへの道 ―

今日の福音書は有名なエマオへの道あるいはエマオの巡礼と呼ばれるルカ福音書の24章です。
この二人の弟子の道行きに寄り添って聖書を読みますと、古今聖歌の31番の
「日暮れて闇深まり、我が魂は衣いとさびし…主よともに宿りませ」
という聖歌を思い出します。 

これはドイツの牧師であるブルームハルトの『夕べの祈り』から取られた歌詞だそうですが、
私達の誰もがいつか迎える、人生の黄昏を迎えたときの信仰の祈りです。
今、世界は新型コロナウイルスによって誰もが「死」というものを
これまでにないくらい身近に感じているでしょう。
まさに、黄昏どころか、真っ暗闇にいるかのようです。

今日の福音書の中で、二人の弟子は、主とともに食卓を囲み、
イエス様の祝福されたパンを裂く姿に、眼がひらけて、イエス様だとわかります。
「すると、御姿が見えなくなった。」とあります。
しかし、主イエスはいなくなったわけではありません。
姿はみえなくとも私達とともにいてくださいます。

弟子たちはこの出来事の後、すぐエルサレムに引き返すために出発します。
食事の後ですから、当然真っ暗な夜道です。
エマオへ来る時は、日中でしたから、明るかったはずです。
しかし、その明るさの中でも弟子たちは、
主イエスをその光によっても見る事もできない「暗い顔」で闇に支配されていました。
しかし、その反対の夜には、光輝く思いで、
暗闇をものともせずエルサレムに走り帰って行く。
ここに信仰者の姿があります。

主に出会った人生は、
暗闇の中にあっても絶望することなく自ら世の光となって進むことができます。
今は、ともに礼拝をまもることができませんが、
この闇にあっても、人の為に祈り続けて暮らすことで、
私達は信仰者として、光に護られた豊かな人生を歩むことができます。
この闇に怯むことなく光の子として歩みたいと思います。
(司祭 マタイ 金山昭夫)

 13この日、〔すなわち週の初めの日、〕二人の弟子が、
エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、
14この一切の出来事について話し合っていた。
15話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
16しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。
17イエスは、「歩きながら、やり取りしているその話は何のことですか」と言われた。
二人は暗い顔をして立ち止まった。
18その一人のクレオパという人が答えた。
「エルサレムに滞在していながら、この数日そこで起こったことを、あなただけはご存じなかったのですか。」
19イエスが、「どんなことですか」と言われると、二人は言った。
「ナザレのイエスのことです。この方は、神と民全体の前で、行いにも言葉にも力のある預言者でした。
20それなのに、わたしたちの祭司長たちや議員たちは、
死刑にするため引き渡して、十字架につけてしまったのです。
21わたしたちは、あの方こそイスラエルを解放してくださると望みをかけていました。
しかも、そのことがあってから、もう今日で三日目になります。
22ところが、仲間の婦人たちがわたしたちを驚かせました。婦人たちは朝早く墓へ行きましたが、
23遺体を見つけずに戻って来ました。
そして、天使たちが現れ、『イエスは生きておられる』と告げたと言うのです。
24仲間の者が何人か墓へ行ってみたのですが、
婦人たちが言ったとおりで、あの方は見当たりませんでした。」
25そこで、イエスは言われた。
「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、
26メシアはこういう苦しみを受けて、栄光に入るはずだったのではないか。」
27そして、モーセとすべての預言者から始めて、聖書全体にわたり、
御自分について書かれていることを説明された。

 28一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。
29二人が、「一緒にお泊まりください。
そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、
無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。
30一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、
賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
31すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
32二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。
33そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、
34本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。
35二人も、道で起こったことや、
パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。
(ルカによる福音書 24:13-35)