ここ数年、死を題材にした本や映画やドラマに触れている。
311の影響か、ここ数年で親族や知人との別れがあったせいなのか。
本では、いとうせいこうの「想像ラジオ」、木皿泉「昨夜のカレー、明日のパン」、
西川美和「永い言い訳」、荒木惟経「チロ愛死」。
映画・ドラマは「悼む人」、「ソレダケ」、「その街のこども」「ど根性ガエル」。
特に木皿さんの本「昨夜のカレー・・」は何度も何度も読んだ。
「ソレダケ」「ど根性ガエル」には胸に響くセリフがいくつもあった。
先週、湯本香樹実の「岸辺の旅」を読了。これも「死」を題材とした小説。
黒澤清監督、深津絵里、浅野忠信主演で映画化されているが、こちらは未見。

失踪した夫・優介が3年ぶりに妻・瑞希の元に突然帰ってきて「自分は蟹に食べられて
死んだ」と告げる。つまり、現在ここにいる優介は「幽霊」なのだ。
瑞希は戸惑いつつも夫婦で、幽霊になった夫の3年間の遍歴をたどり直す旅に出る。
優介は普通に動いて歩き食事も仕事もする。他の人に見える。普通の人間と変わらない。
優介が失踪中に出会った人々との交流を通し瑞希は夫の知らなかった部分を知る。
その中で心は落ち着きを取り戻し、旅が永遠に続くことを願うが・・・・。
静かな・・静かな物語だった。物語は瑞希視点で進み瑞希の感情の揺れが描かれる。
対して優介や他の人物の心理描写は全くない。静かにそこに佇んでいるだけ。
読み進めるうちに何度もこの人たちは実は優介同様、幽霊でとっくにこの世に
居ないんじゃないかと思えた。いや瑞希でさえ幽霊じゃないか、と思った。
この物語では生と死が対立していない。すぐ隣にある。繋がっている。
そのことに・・・妙な安心感を感じた。
幽霊か。。。ときどき亡くなった親父や友人に逢いたくなる。どうしようもなく。
優介みたいに幽霊になって逢いに来ないかな?
でも、フと気づく。オヤジも友人もオレの下には現れないだろうって(^_^;
親父とオレは決して仲が良くなかった。友人とも「大の親友」だったワケじゃない。
彼ら、彼女らが幽霊になったとしても、真っ先に会いにいくのは「オレ」じゃぁない。
多分・・・別の人だろう。
でも、まぁそれでもイイ。オレ自身が逢えなくても、大切な人が別の形で
この世界の何処かに居る。そう想うと嬉しくなる。それは決して悪い事じゃない。
それにもしかしたらオレは会っているのかも。自分で気づいてないだけで。
ヨモちゃんが偶に家の中で誰も居ない廊下や壁を観ているけど、もしかしたら
「来ている」のかも知れない。ヨモちゃんにはそれが見えるのかも。
そのうちオレにも見えるかな?
幽霊である、ということは成仏してないってこと。ホントはこんなこと願っちゃイケナイ。
でも・・でも・・若しも叶うなら・・・逢いたい・・・よ。
貴方と・・もっと・・逢いたかった、もっと・・話したかった。
