僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
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ごちゃまぜを生きる~りんりんふぇす2018@南青山梅窓院

2018年10月29日 | 寺尾紗穂
先週土曜日は此処数年の秋の恒例行事「りんりんふぇす」に参加。
場所はいつも通りの南青山梅窓院。開場まで時間あるのに既に多くの人が集まってる。

入り口にベトナム人の出店、カフェ「潮の路」のコーヒー販売、靴「KEEN」の販売。
イベントが始まる前からカオス状態(笑)。でも、このカオスが心地いい。

入場してレコスケ君デザインの入場券、BIG ISSUE、そして冊子を貰う。
入場料がBIG ISSUEの購入代金となり、更にその一部はホームレス販売員の収入になる。
素敵なサポートシステム。更に販売コーナーでカフェ「潮の路」のジンジャージャムを買う。
このカフェもホームレスに仕事を与えたり色んな活動を展開している。
主宰者の稲葉剛さんとお話しできたのが嬉しかった。

入場し、開演迄の間に冊子を読む。冊子には毎回寺尾紗穂さんのエッセイが掲載されている。
そのエッセイを読むのが楽しみ。
今回エッセイの中で今夏に逝去した音楽ライター吉原聖洋さんとの交流が触れられたいた。
ボクは吉原さんと、元春を通じて20年ほど前、交流があった。
ホンの短い交流だったが、此処で吉原さんの名に出逢えたのは嬉しかった。
開演。以下、各ライブレポ




○ライブレポ
トップバッター東郷清丸クンはエレキ弾語り。
ポップな曲のメロディとギターの残響が滅茶苦茶キモチいい♪
とあるイベントのため書いた童謡で寺尾さんとコラボ。素晴らしく楽しかった!

続いて、寺尾紗穂さんとソケリッサ。
寺尾さんは「冬にわかれて」の1Stアルバム収録曲を中心に演奏。
この日はPOPで明るい曲が中心の演奏。声とピアノがホント美しい。
そして、最後「楕円の夢」をソケリッサとのコラボで。
寺尾さんの美しいピアノに合わせて踊るソケリッサの面々。
むくつけきオッサンたちが珍妙な踊りを展開。
凄いテクニックがあるワケじゃない。決してキレイでは無い。
でも・・・・・・でも、美しい。キレイじゃないけど、美しい。
寺尾さんのピアノに包まれながらソケリッサを視てるうちに泣いてる自分が居た。

その後はソケリッサのみで。総勢10人近く居る。
数年前視た時は3、4人だったのにいつの間にか大所帯になってる(^_^;
ユーモラスな振り付けに思わず笑ってしまう。
最後は寺尾さんが参加し「あの日」に合わせてダンス。

座談会の後、再びライブ。アラゲホンジ、ふちがみとふなと、マレウレウの面々。
民謡とロックをミックスしたアラゲホンジの熱い演奏に客席もノリノリ。
ステージ前のエリアでお父さんとお子さんが一緒に踊る様にホッコリ。
ふちがみとふなと。関西出身の夫婦デュオ。名前は知ってたが初めて見た。
渕上純子さんの何ともゆるいトークに歌。黙然とベースを鳴らすふちがみさん。
何とも言えない可笑しみがあって魅了された。
最後はマレウナウ。アイヌ民謡を朗らかに明るく歌う。

どのアーティストも商業ベースのロックフェスにはあまり登場しない個性的な面々。
正直チャンと聴いたことが無い。
その彼等がお寺の祭壇をバックに、ゆるく話して演奏。
場内で子供が絶叫し走り回っても意に介さない。追い出したりしない。 
そんな姿を見るのは愉しかった。いわゆるフツーのロックライブと違う楽しさがあった。


○座談会「ようこそ ごちゃまぜの社会へ」
りんりんふぇす恒例の座談会。
いつも通り、吉水岳彦司会で進む。
参加者は寺尾さん、板橋区で地域リビング活動に取り組む井上温子さん、
稲葉剛さん、BIGISSUEスタッフでダイバーシティサッカー主催者の長谷川知広さん、
そして元BIGISSUE販売員でダイバーシティサッカー選手の佐々木善勝さん。
この佐々木さんのキャラがサイコーでオレ、ファンになっちゃった(T▽T)

座談会の内容はそれぞれの活動の説明。
井上さんは学生時代に高島平団地の活性化に係わった関係でその後も
地元の人と交流を続け、遂には交流スペースまで作ってしまった。
そこには色んな人が集まり話す。みんなボランティアベースで助け合う。
ひきこもりの若者が此処でボランティア活動をしてるうちに元気になり、
就職したという話は・・・感動した。
稲葉さん主宰のカフェ「潮の路」、
長谷川さん主宰のダイバーシティサッカーの話も興味深く聞いた。
ホームレスや障碍者、無職の人に役割を与えサポートし尚楽しんで貰うシステム。
同情じゃない。哀れみじゃない。並んで歩くシステム。

此処には何かに対する「ハンタイ」だの「非難・罵倒」は無い。
あるのは唯「どうすれば良くなるのか?シアワセになれるのか?」の思索。
勿論、制度の不十分さやお金の問題、色んな課題はあるだろう。
こういった活動に関心を持たず、非難ばかりする世相もあるだろう。
でも、ステージに居る皆さんはアタマを突き合せ「どうすれば良くなる?」
それだけを考えてた。それがオレには・・・響いた。
非難や罵倒や対立より、先ず困った人をサポートする。優先すべきはそれだろう。

途中で「コミュニティを創っても参加しない人も居る。そういう人を孤立させない。
置き去りにしないためには何が必要か」について話が出た。
中高年の男性は「孤独が好き」「独りで大丈夫」とこの手の活動には参加しない。
実はイッパイイッパイなのに周囲に助けを求めない。
あまりに孤立が進むとクレーマーになるリスクもある。そんな話が続いた。
一方で「共同スペースに年寄りだけで無く若い人が居ると来る」
「餅つき大会・お祭りの類だと参加して指導力を発揮する」という話もあった。

オレも中高年。聞いてて身につまされた。オレが若し独り暮らしになっても同じだろう。
コミュニティから要請されれば参加する。頼まれた事は絶対する。責任は果たす。
でも、個人的な人間関係を作ったり関係性を深めようとは思わない。
困ったら助けを求める?どうやって助けを求めたら良いんだろう?
この年齢になって他人に愚痴を吐いたり弱音を吐く・・が出来ない。
やり方がワカラナイ。他人に自分の弱みを見せるなんて真っ平ゴメンだ。
そんな恥ずかしいこと絶対できない。
そして孤立して、その挙句がクレーマーになるなんて笑えない。
自分が困ったとき、外とどう繋がるか、それは今後考えなければならないと思った。

毎回、この座談会を聞いて新しい視点を貰ってる。今回もそうだった。刺激ある時間だった。


オーラスは出演者全員でムッシュかまやつの「どうにかなるさ」のcover。
寺尾さんのピアノとアラゲホンジの演奏にのって全員歌う。ソケリッサが踊る。
渕上純子さんがソケリッサと楽しそうに踊ってる。女の子がステージに上って飛び跳ねてる。
ステージも客席もみんな笑ってる。お年寄りのお客さんも楽しそうだ。
此処・・・・イイな。此処・・・好きだ。
ここには罵倒も自己責任論もヘイトも無い。ひたすら自由で心地いい。
一歩、外に出たら色んな問題が山積みだ。
自分の基準で他人をぶった斬りにし責め立て嘲笑し、無関心が渦巻く世界。
此処にはそんなイヤなモノが一切ない。
それは束の間の幻想(ゆめ)、錯覚かも知れない。それでも、構わない。
この空間に居ることがひたすらシアワセ。ずっと居たかった。

終演後、寺尾さんに話し掛ける。
冊子に吉原さんについて書かれていて嬉しかった事を伝えて御礼を言った。
吉原さんの親族でも友人でも無いオレが御礼を言うのはヘンだが・・・・
それでも・・伝えたかった。寺尾さんは真剣に耳を傾けてくれた。

このイベントは来年で一旦終わる。来年は場所を変えて山谷の玉姫公園で行うらしい。
イイね!山谷のおじちゃん達にも是非見て欲しい。
それこそ、「ごちゃまぜの世界」になるだろう。ステキだ。

写真はりんりんふぇすでゲットした収穫。

「潮の路」のジンジャージャムはとても美味い!
「冬にわかれて」のアルバムはずっとリピートして聴いてる。
そして寺尾さんのエッセイ「彗星の孤独」を今、読んでる。
このイベントに参加したことで色んな物を貰えた。

「ごちゃまぜの社会」か。
正直、精神的引きこもりのオレがごちゃまぜの世界で気持ちよく生きれるか自信ない。
多様性とは自分が苦手なモノ、キライな世界とも交流していかなくちゃイケナイ。
嫌いな奴とは話したくないし、苦手なモノはなるべく遠ざけたい(゚゜)\バキ☆
でも、孤立して他人を自分自身の基準でぶった斬る様なニンゲンにはなりたくない。
孤立してクレーマーになるよりは。。
嫌いな奴・苦手な世界も受容れて・・・交わって行く方がマシな筈だ。豊かな筈だ。
いや、ホント自信無いんだけど(^_^;

まぁ焦らず・・少しづつ・・自分の中に色んなモノを取り入れていこう。
少しづつ・・ね。な、ヨモちゃん☆

コメント

カランコエの花雑想2~つ・き・あ・い・た・い

2018年10月10日 | Art・本・映画
「カランコエの花」。映画の感想は前トピで。ここからは映画とは関係ない内容。
昨今のマイノリティを巡る諸々について感じたことを列記します。
あくまで個人的見解です。不快に思った方居たらスルーしてください。

この10年マイノリティについてメディアで取上げる事が増えてきた。
ジェンダーも含めて毎週の様にネットや新聞に何らかの記事が載っている。
自分自身はマイノリティについて関心はあるが、詳細な知識を持っているワケでは無い。
気になる記事・本を読んで面白そうなイベントがあれば参加する程度。
例えば貧困ならばホームレス支援の「りんりんふぇす」に参加するとか。
或いはフェアな視点で語れるアーティスト、例えば
写真家の安田菜津紀さんやシンガーアジカンGotch、寺尾紗穂のコラムを読んだりする。
そんな程度。

当然差別や不公平はいけない。ここ数カ月世間を騒がせた「新潮45」の記事はダメだ。
議員さん・それを擁護するライターとも無礼極まりない内容だ。
「AよりBへの支援を優先すべき」「Aの支援を大勢の賛同を得られるでしょうか」。
これを、公共のメディアに載せて何の意味が有る?何かよくなるのか?
大体LGBTの方が特別な恩恵を受けてる話なんて聞いた事が無い。
「異性カップル」と同じ権利を求めるのがそんなにダメなんだろうか?
そんなに非難されることなんだろうか?
勿論、思想・表現の自由はあるが、公人なら自分の行動の意義を考えて欲しい。

一方で、これはホントに個人的な所感だが・・・・
「LGBT」「性的マイノリティ」「少数派」この手の表現に何か違和感・心地悪さを感じる。
この分け方・名称って何?マジョリティにより差別されてる・権利を奪われてるっつーのは
何となくイメージできる。
でも、「マイノリティ・少数派」なんて付けるのも・・・失礼な話じゃないか?
一体「マイノリティ」だの「少数派」って誰が決めてるんだよ?どんな定義があるんだよ?
同時に「マジョリティ・多数派」ってのも何だ?それ誰が決めた?

オレ自身は「男性」で女性を愛してる。そして結婚してる。
「ストレートで既婚者」。これって「フツー」なのか?「マジョリティ」なのか?
よせよ。オレが「マジョリティ・多数派」なんてワケがあるか。
子供の頃から周囲から散々「変わってる、浮いてる、おかしい、ズレてる」
と言われ続けてきたニンゲンが「多数派」のワケが無い。

それにオレは別に男に生まれたくて生まれてきたワケじゃない。
別に男にしてくれ、なんて頼んでねーし。
生まれたときから男なんだから仕方なく男で生きてる。
別に女性や他のモノになりたいワケじゃない。男って事で色々得してる事もあるだろう。
でも、若い頃、周囲が押付ける「男性像」と自分にズレを感じてホント苦しかった。
苦痛だった。今なら「草食系」だのフツーなんだろうが。
「男らしくない」だの「ナヨナヨしてる」だの、いつも否定されてきた。
今なら言える。「オマエらが勝手に決めた男をオレに押付けるな」。
でも、若い頃はそうじゃなかった。
周囲の言う「フツーの男」になれない自分がダメな奴・劣ってると思って落ち込んだ。

だから、多数派・少数派なんて分類はキライだ。意義を感じない。
勿論マクロ的な視点で「少数派」のために社会制度を整える意見は大賛成。
そういう場合は仕方なく使うけど・・・他の場面では使いたくない表現だ。
「多様性」もそう。「多様性を損なう意見はダメだ・、認めない」・・・って
それ自分の決めた基準に合わない奴を「多様性」というコトバを利用して、
ディスってるだけじゃん。
「多様性の実現」のため、マイノリティを支援するのか?違うだろ?
ある属性のため他の属性と同じ利益を享受できない。それ不平等じゃん。理不尽じゃん。
それは質すべきこと。それは「多様性実現」とかは関係ないと思うけど。
(多様性の実現に反対してる訳じゃなくて「多様性」を他人を攻撃する武器として
 使う事に・・違和感があるってこと)

LGBT、マイノリティの方の苦しみは理解したいけど・・・分かるワケが無い。
理解できるなんて言ったらウソだ。詭弁だ。
そもそもLGBTもマイノリティも・・・要は個人だ。それぞれ違うんだ。
それを十羽一括りに理解しようなんて大雑把すぎる。傲慢だろう。

社会制度の整備・改善については勿論声を出して訴えていく。
ただ、それ以上、ムリに「分かろう」とかしないでおこうと思う。
機会があれば触れる。考えてみる。そして、飛び込んでみる。
それを続けていこう。
そうすれば何かが視えるかもしれない。わかるのでなく「視える」かも・・。

そして・・・もし、いつか彼ら・彼女らと友達になれたら・・・チャンとつきあいたい。
彼ら・彼女らの属性は・・・こういっちゃなんだがオレにはどうでもイイ。
国籍だの人種だの宗教だの属性と付き合うワケじゃない。
そいつがオモシロい奴か、愉快な奴か、オレにとってメリットがある奴か。
大事なのはソレダケ、だ。
我ながら乱暴だし矛盾だらけだが・・
でも、そいつと笑って酒呑めるなら・・・後はどうでもイイ。

キヨシローがこう歌っている。">


 ″もしもオイラが偉くなったら 偉くない奴とはつきあいたくない
  たとえそいつが古い友達でも 偉くない奴とはつきあいたくない
  オイラが昔世話になった奴でも いくらいい奴でもつきあいたくない
  だけどそいつがアレを持ってたら オレは差別しない Ohつきあいたい
  つ・き・あ・い・た・い
  (RCサクセション「つ・き・あ・い・た・い」)

これだよ!これ!流石キヨシロー。いい事歌ってるぜV(^^)

単純に考えすぎかもしれないけど、多様性!とかポリコレ!とか訴える前に、
目の前に居る人と面白可笑しく過ごしたい。願うのはソレダケ、だ。

そして、オレも人に「つきあいたい・オモシロい奴」と思って貰えたらサイコーだ。

生きてたら、どんな出逢いがあるかワカラン。
オレは嫁と逢った。結婚したら何と彼女はパンダだった\(T▽T)/
そして・・ヨモちゃんと逢った。超オモシロいにゃにゃんだった。
これから、どんな人たち・イキモノたちと逢うのかな?楽しみだぜ☆


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映画「カランコエの花」雑想1~贈られた芽

2018年10月09日 | Art・本・映画
最近ネットで「カランコエの花」という映画が話題になっている。
映画のテーマを大きく括ると「LGBT」。
https://kalanchoe-no-hana.com/

LGBTについては自分は学生の頃、拒否し面白がっていた。
30代位になって、映画・文学作品でこのテーマに触れることが増えた。
橋口亮輔監督の映画や「月の瞳」を視たり、江國香織「きらきらひかる」を読んだり。
少しづつ自分の中でイメージが変わっていった。
或る展覧会でゲイの作家さんと話したら楽しかったりして自分の中の拒否反応は消えた。
唯、それはあくまで創作物を通じての話。身近なテーマとして真剣に考えた事は無い。
LGBTへの偏見・差別は勿論ダメ。
でも今春映画「ナチュラルウーマン」を視て、
トランスジェンダーの主人公に対して周囲が行った仕打ちについて色々考えてしまった。
「平等・差別はダメ・多様性」綺麗ごとは幾らでも言える。
でも実際、自分がその場面に立ち合ったらどうする?
彼/彼女に対しオレが罵倒しないと言い切れるか?
いや表面的な差別はしないかも知れない。でも係わるのを恐れて逃げるんじゃないのか?

今回「カランコエの花」はLGBT当事者だけで無く周囲も含めて描くという事で関心があった。
「新潮45」でLGBTについて色んな意見が飛交ってる中、是非見て視たかった。
仕事を定時で退けて渋谷に向かう。上映会場は渋谷UPLINK。
客席は8割がた埋まっていた。若い男女だけでなく年配の方も結構多い。



 ○ストーリーのあらすじ(ネタバレなし)
  とある地方の高校で、ある日唐突に「LGBT」についての授業が行われた。
  他のクラスでは無いこの授業。
  不審に思った一部の生徒が「教室内にLGBTが居るのでは?」と詮索を始める。
  その事が原因で教室内、仲良かった友人の間に様々な波紋がもたらされる。

出演の俳優さんは不勉強で申し訳無いが一切知らない。
でも、それが良かった。登場人物の行動パターン、ストーリー展開が一切想像できない。
わずか40分の上映なのに、その中に色んな感情が詰まっていて、あふれ出して・・
いや、こぼれ出して、見てるオレも揺れっぱなしだった。
「ナチュラルウーマン」とはまた、別の衝撃・余韻があった。
この映画では、「差別反対!」とか「二項対立」は描かれない。
描かれるのは、あくまで若者の恋。それが・・・素晴らしかった。
衒い無い主人公たちのココロの揺れが真っすぐオレのココロに刺さった。

一方で映画を見てる間、ずっと考えてた。もしオレがあの場に居たらどの立ち位置だ?
面白がるのか?拒否するのか?心配するのか?
若い頃のオレは面白がり拒否した。現在(いま)のオレはそこには居ない・・筈だ。
でも、実際あの場に居たら当たり障りの無いキレイごとだけほざいて、距離を取って
安全な場所に逃げ込む・・・そんな気がする。
画面の中の若者たちからずっと「アンタどうする?」と問われてる様なそんな気がした。

そして・・ラスト。あれで良かったのか?いや、あれで善いんだ。
いや、もっと続きを視たい。色んな感情が湧き出た。
ただ・・ただ、あの2人はこれで終わらない。ここから、またはじまる。
いや、ここから変えられる。そう信じたい。

上映後、中川駿監督のトークがあった。ネタバレになるので内容を詳しくは書けないが。
「ゼロをプラスにしたいとは思わない。でも、せめてマイナスをゼロにしたい」のコトバ
が印象に残った。お客さんの多くがそのコトバに頷いている事に救いを感じた。
オレも、あのコトバを胸に刻んでいこう。何ができるのかワカランが。


この映画を見てもうすぐ1週間。未だにその余韻が消えない。
その余韻が何なんのか?自分でもワカラン。説明できない。
この映画を見て何か答えを見つけたワケじゃない。LGBTについて分かったなんて言えない。
いや、この映画はそういう答えを出す作品じゃないだろう。
観た人が印象を持ち帰って考え続ける・・・育て続ける。そんな映画なんだろう。


また見てみたいな。
もし可能なら、画面の中に飛び込んで彼・彼女たちと話してみたい。
若いあの子たちがむさ苦しいオモシロくもないオッサンと話したがるか自信無いが(^_^;

もし、仲間に入れて貰えたら、あの子たちとただダラダラと話したい。
一緒に笑いたい。創り笑顔で無く・・・ホンキで笑って。
あるいは一緒に泣ければ・・・と思う。ただ、一緒に居て。そこに居て。逃げずに。

・・この映画を見た事で何かをいただいた気がする。
自分の中に残っている余韻・・・それはきっと芽を贈って貰ったんだと思う。
この芽が花として咲くのか、それとも別の何かになるのか・・・或いは枯れるのか。
それはワカンナイ。でも・・・考え続けよう。・・・
ゆっくりとゆっくりとこの芽を育てていこう。

この映画はオレの「トモダチ」だ。(勝手に指定(゚゜)\バキ☆)
ウン、また行こう。あのコたちに逢いに。また逢いたい。
トモダチなんだから。また逢いに行かなくちゃ。な、ヨモちゃん☆

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おたんじょうび

2018年10月08日 | 
今週は色々あった。仕事のゴタゴタ。映画「カランコエの花」、元春ライブ。
それらについては、また書こうと思う(特に「カランコエの花」については絶対書く。)

昨日はMOTO友さんを我が家に呼んでパーティ♪毎年恒例梅酒会。
そして、ヨモちゃん10歳のおたんじょうび♪♪
お友達皆さんも一緒にお祝いしてくれました。Thanks<(_ _)>
ヨモちゃんはお祝いして貰ってるのを感じるのか嫁@パンダにベッタリ甘えっ子☆


Twitterにヨモちゃんのお誕生日について書いたら
何人かのフォロワーさんから「別嬪さんなので女の子と思ってた」との書き込みが。
ボクが何度も「ヨモちゃん別嬪さんだって」って言うのを嫁@パンダは呆れ顔(^_^:

ヨモちゃんの名前・・ヨモギは映画「めがね」の登場人物から付けた。
ボクが嫁に元春他好きなアーティストの名前を出したら即却下。
嫁は花や植物の名前を考えていて偶々見ていた映画「めがね」の登場人物
ヨモギ君(加瀬亮が好演!)からいただいた。
ヨモギ君みたいな純朴な別嬪なコになってほしいなと願って名づけた。

その願いのとおり、ヨモちゃんはとても良いコになりました☆
今、思うと我ながらイイ名前を付けたと思う。
ヨモギが何時の間にか、ヨモちゃんになってその他にゃにゃん・坊ちゃん・王子ets。
ヨモちゃんももう10歳。立派な大人。坊ちゃんも無いけど(T▽T)


幸い大病も無くずっと元気に過ごしてる。
ヨモちゃん、ずっと元気で息災にいてくれよ。長生きしてくれ、な。
そして、オレより先に逝くなよ。絶対だぜ☆
キミと嫁が居てくれたらオレは笑って生きれる。これからも家族3人愉快に生きようぜ♪
な、にゃにゃん☆


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