今年9月に出た寺尾紗穂新譜「しゅー・しゃいん」。もう素晴らし過ぎてハマってる。
歌われるのは市井に生きる様々な人々の姿。戦災孤児、ウクライナ戦下の子供、家族を亡くした人、
愛する人と別れた人、ゴールや希望が見えない人。太陽を背に歩く人、
愛のある場所、太陽を背に歩く人、そして。。加川良cover。
基本は寺尾さんの歌とピアノ。そこにサポートミュージシャンの楽器が控えめに入る構成。
前作の「余白のメロディ」が戦争や社会問題を描きながらPOPで明るい作品だったのに対して今作は静謐。
聴きながらボクは自分を囲む世界、そして個人的な事に想いを馳せ・・何故か涙が止まらなくて困った。
これLiveで生で聴いたらオレどうなるんだろう?泣き叫びそうで怖い(^^;
先週金曜日赤坂サントリーホールで寺尾さん新譜発売Liveが開催。当然行きました(笑)。
ただ、先週は仕事でイッパイイッパイ。仕事で揉めてかなり疲れ果ててた。
他にもSNSで嫌な事があったり過去の嫌な思い出が蘇って精神状態かなり酷い🤣
この日も仕事に追われ出発が遅れ、何とか開演に間に合った。もう疲労困憊😢
クリスマスの派手な飾りつけを見ても心ときめかない。オレ大丈夫か?
福島2021年ライブDVDを購入して着席。最初は前の席で観ようかと思ったが・・・
この疲労困憊の状態で寺尾さんの歌とピアノに前の方で触れたらオレ絶対おかしくなる。
あえて後ろの席で観ました。これが正解だった!V(^^)
主催者ジョー長岡さんの丁寧な挨拶でLiveは開始。因みに4回目の開催で初のソールドアウトとの事。
先ずは寺尾さんのピアノ弾語り。アルバム「風はびゅうびゅう」収録「立つことと座ること」から開始。
2曲目は早速「魔法みたいに」。「Dearにっぽん」VerとオリジナルVerのマッシュアップで。
「もしも二人が笑えるなら。。」の後に続くフレーズに色んな想いが溢れて来る。
この時点で既に涙腺崩壊(^^;
その後はいよいよ「しゅー・しゃいん」の曲を演奏。
「ゴールはどこだい」はCDと違ってエレキギターはないけど、だからこそピアノが胸に響いた。
「同じような顔した日常に 残された時間は少ないよ」の歌詞が。。響いた。
そして「骨の姉さん」。自分的に前半のクライマックス。亡くなった姉に対する弟の想いを綴る。
決して仲良くはなかったけど他に家族はなく病身の姉を介護する弟の複雑な想い。
「桜色した姉さんの骨」「残り時間を知っていたら」にヨモちゃん🐱を送った日を想い出した。
ヨモちゃんの骨。。。キレイだったな。骨になっても可愛かったな😿
あんなに早く逝くなんて思わなかったよ。
もっと遊んであげれば良かった。もっと抱きしめてあげるんだった。
そう想うと・・後悔で涙が止まらくなって苦しくなった(/_ ;)
「ゴールはどこだい」「骨の姉さん」、どちらも「残された時間(とき)」を歌ってた。
その事にボクは何とも。。うん。。。上手く云えないな。コトバにできない。。😿
第1部最後は寺尾さんの学生時代の友人の想い出を綴った歌。その友は既に亡くなっている。
寺尾さんが言った「逝ったヒトは遺したヒトに対して元気でね楽しんでねと思ってくれてる」
のコトバにまた・・・泣いた。
第2部はサポートメンバーを入れて音色が一気に多彩になる。
「希望ににたもの」は現在(いま)の世の中の先が見えない状態が重なる。
「うまく生きれないよ 誰を責めればいいの」は。。常に自分が想ってること。
他人を責めても世界を恨んでも仕方ない。そんなの、分かってる。アタマの中では。
だから、なるべく思わない様に口に出さない様にしてるが。。でも、どうしてもこぼれる。
それを寺尾さんはサラリと歌ってくれた。ありがたかった。
「悲しみが悲しみであるうちに」の歌のモチーフ。
ウクライナ戦下の子供が戦争を止める方法をネットで探したが見つからず絶望し武器を取る、
は痛かった。日々の生活に追われ外国いや国内の社会問題に対しても何もしてない自分。情けない。
そして、タイトル曲「しゅー・しゃいん」。靴磨きをする戦災孤児が歌のモチーフ。
「死んだ仲間もいる」「僕も死ねばよかっただろうか爆弾が落ちた日に」「1人で生きる意味は何」。
生きること、死ぬことへの想いが静かに。。ホントに静かに紡がれる。
寺尾さんもバンドも殊更叫ばない。寧ろ淡々と歌い演奏する。だからこそ響く。
そして「太陽を背に」。。。これ、参った。ダメだった(T_T)
「明るさと力強さをほしがる人」「暗闇とやりきれなさを嫌がる人」これ。。全部オレだ(T_T)
子供の頃は無邪気で明るい子だったらしい。
でも大人になるに連れ色々しくじった。
それで人付き合いが面倒になり心にシャッターを下ろし自分の世界に閉じこもった。
昔読んだあすなひろしに「おテントウさまに背を向けた人間は自分の前にある影を見て行くんだ」
という台詞があった。オレはそういう人間だと思ってた。
明るい場所は嫌だ。暗い場所がイイ。暗い場所で独りでのたれ死ぬする。
それがオレにはお似合いだ。そう思ってた思い込んでた。
でも、或る時から友人が増えて家族もできて・・外に出る様になって明るい場所も悪くないと思えた。
それでも、心の奥の何処かで「オレは太陽に真っ直ぐ向かえる人間じゃない」と思ってた。
寺尾さんは歌った「光は目指すものじゃなく背中を押してもらうもの」と。
これ聴いて。。。もう泣いた。
嗚呼、オレ太陽に真っ直ぐ向かい合わなくてイイんだ。背を向けてイイんだ。
何か嬉しかった。ステージ見てると涙が出そうで天井のシャンデリアを視た。眩しかった。
後で気づいたが、「しゅー・しゃいん」の歌は色んな人の自問自答が詰まっている。
背景には戦争や貧困他社会の問題があるけど、綴られるのはあくまで個人の想いだ。
この日、Liveで寺尾さんの歌を通して自分が歌の中の人と語り合っている錯覚に陥った。
だから、あんなに心に響いたのかも。。。。。そんな気がした。
本編最後はバンド全員で「リアルラブにはまだ」で終了。明るいPOPな曲。
「歌が生まれる場所」で終わるかと思ったので意外だったが、ようやく息つけた(^^)
アンコール。トンでもなかった。
先ずは加川良「こんばんはお月さん」のcover。アルバム中最も泣いた奴だ(T_T)
酔っ払った男の意味がわからない感情を綴った歌。
この日最も寺尾さんは熱く歌いピアノをかき鳴らした。それにオレの感情は掻き回された。
歌詞に共感も感動もしない。ただ。。ただ。。涙が止まらない。
カラダが震える。いや例えじゃなくてマジで震えてた。
震えながら泣いてた。泣きながら震えてた。
オレ、ヤバい。。。どうかなっちまいそうだ。(/_;)
ㇷと周りを見ると泣いているお客さん結構いる。そうかオレだけじゃないんだな。
それ視て安心して落着いた(^^)
そして最後の曲「楕円の夢」。寺尾さんのLiveではお馴染みのフィナーレ曲。
寺尾さんは昨今の戦争や選挙の混乱を嘆き「簡単に敵を作っちゃいけない」と言って歌い出す。
「あいまいを生きていく」
「明るい道と暗い道の狭間の小さな道を行く」
このフレーズが響き。。もう涙が止まらなくなった。
現在(いま)の世の中、正義同士がいつも叩きあってる(特にSNS)。
それぞれが自分の正義を声高に唱えて反対の立場にいる人を口汚く攻撃する。
お互いに敵を見つけ叩きあってる。偶にオレもその渦に巻き込まれて痛い目に合う(^^;
その度に思う。この人達は何でそんなに自分の「正しさ」「正義」に自信を持ってるんだろう?
何で会ったことも話したこともない人に酷い言葉を投げつける事ができるんだろう?
勿論、意見や批判は大事だ。
でも、対話がなく言葉を銃弾の様に使って撃ち合う叩きあう。
その事にためらいはないのか?葛藤はないのか?正義なら何をやってもイイのか?
そして、結局オレのコトバは通じない届かない。乱暴なコトバにかき消されていく。
ズレてても間違っていてもイイんだよって。
自分にこんなに涙があったのか。。。そのことに気づき、そのことにまた泣いた(/_;)
Liveはこれで終わり。予想通りぶっ壊れた。ココロが果てた。もう空っぽ。
でも、満たされてたシアワセだった(矛盾^^;)
帰宅後、会場で貰ったジョー長岡さんと寺尾さんの往復書簡を読んだ。
御二人の丁寧なコトバが空っぽのココロに刺さり満たされまた泣いた。
昨日は福島Liveの「楕円の夢」の映像を見てまた泣いた(泣いてばかり^^;)
Live後、Xに「感想なんて書けない。書きたくない」とほざいてたが
2日経つと色々書きたくなってコトバが溢れて書いた(^^;
でも、どんなにコトバを尽くしてもあの場で感じた震え、涙は書けない。
ホント震えるオトだった。震える歌だった。
そして寺尾さんを追い続けてきてホントに良かったと思った(^^)
休日はこのコ達と過ごして少し元気が出ました。
ズレてていいあいまいで結構!
悩んで葛藤して別れたヒトを想って元気に愉しく生きような。
そして、迷ったりココロの行き場を失くしたら、寺尾さんの歌を聴いて泣き叫ぼう🎵
な、ヨモちゃん☆