僕と猫のブルーズ

好きな音楽、猫話(笑)、他日々感じた徒然を綴ってます。
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おたんじょうびと元春ベストアルバム

2020年10月10日 | 
今週水曜日はヨモちゃんおおたんじょうび!
ヨモちゃん、12さいになりました~!

ウチに来た時は、こんなちっちゃかったヨモちゃんが今や立派なオトナのオトコ♬


因みに、この日は元春40周年ベストアルバムの発売日。
おまけにGLIM SPANKYのNew Albumの発売日。
ヨモちゃん、凄いぞ!
元春とレミと亀ちゃんが(゚゜)\バキ☆キミのおたんじょうびをお祝いしてくれるぞ!
(違う!(゚゜)\バキ☆)

ヨモちゃん、ウチを選んでくれてありがとな。
これからも元気でいてね。そして、ずっと一緒に笑っていような☆

(嫁@パンダに高い高いをされて、ゴキゲンなオトナの赤ちゃん(T▽T))

ここからは、元春ベストアルバムのお話。
今年がデビュー40周年でソニー時代とCOYOTE曲を集めた2枚のベスト盤を発売。
買って、早速のソニー盤の1枚目から聴く。曲は当然アンジェリーナ!
普段、初期のアルバムは全く聴かないボク。アンジェリーナ聴くの何年ぶり(^_^;
「スターダストキッズ」こんなオトだっけ?
「ダウンタウンボーイ」は50過ぎのオッサンにも未だに響くな。


上にも書いたが、普段元春の初期3枚のアルバムは殆ど聴かない。
初期の曲のキラキラ感が・・・正直自分にはかなり苦手だった(現在はOK)。
LIVEで聴くと楽しいし感動もするが、普段CDを鳴らすことは先ず無い。
何より、元春の初期の歌で高らかに謳われる美しい風景や世界観は自分には合わない。
真実に興味はないし、ギブ&テイクのゲームもこなす。
かなえたい夢も理想も別にない。嫌いな奴にもアタマ下げるし、嫌な相手にも従う。
自分の生き方を貫く?どうでもイイ。
飯が食えて稼げるなら妥協もするしウソもつく。
キレイ事で生きていけるか。つまんない大人?幾らでもなってやるよ。
家族3人生き残るのが優先だV(^^)

昨日、会社の帰りウォークマンで今回のベスト盤収録の「太陽」を鳴らした。
「無事にたどりつけるように 家にたどりつけるように」の歌詞に泣きそうになった。
たどり着きたい場所は無いけど・・・帰りたい場所はある。
嫁、ヨモちゃんが待ってるウチに無事帰る。
それで、イイんだな。そう思えた
(嫁@パンダは「別に待ってない、帰ってこなくてイイ」と言うが(T▽T))

こうやって30数年、元春の歌を好き勝手に解釈して自分に都合よく利用して生きてきた。
これからもそうやって生きてくし、そうやって何とか生きていける。
元春の音楽のおかげで楽しく過ごせてる。
そのことに唯々感謝したい☆
今日は「COYOTEベスト」を聴こうっと♬

コメント

雑想2~映画「ミッドナイトスワン」にまつわるいろんなこと

2020年10月01日 | SMAP
前記事に書いた「ミッドナイトスワン」の感想は主に凪沙について書いた。
この映画は凪沙だけでなく他の登場人物も魅力的。映画自体も様々なテーマを孕んでいる。
凪沙以外の事で映画を見て感じた事を綴っていきます。
なお、ネタバレ沢山あります!
また、此処に書いてる事はあくまでボクが感じた個人所感である事をお断りしておきます。


①一果について
 この映画のもう1人の主人公一果。演じるのは服部樹咲さん。演技初体験。
 ともかく立ち姿が美しい。存在感がある。草なぎクンとも堂々と亘り合ってるし。
 バレエのシーンは美しくて魅了された。
 そしてバレエだけで無く凪沙との衝突シーン、ココロを通わせるシーンも良かった。
 何度も書くが佇まいが素晴らしい。人に媚びない・孤高な故の美しさ。
 最後、一果が着ていたコートを見たとき、声を挙げた。グッと来た。
 
②トランスジェンダーの描き方
 専門家の方から「トランスジェンダー」の描き方について、かなり批判が寄せられている。
 この映画の描き方が正しいのか、それとも批判が正しいのか・・・正直ボクはワカラナイ。
 そもそもボクは社会的な問題を正しく描くことを映画やフィクションに求めてないし。
 唯、凪沙という存在に魅了されたし凪沙の働くお店の面々も魅力的に映った。
 因みにお店のママは田口トモロウが演じてたのね。気づかなかった(笑)。
 「正しい正しくない」は正直わかんないが、
 折角この映画を見たのだから、知る切っ掛けにはしたいと思う。
 今後、機会を設けて実際にLGBTの方のインタビューを読んでみようと思ってる。

③差別表現について
 この映画の中ではトランスジェンダーに対する差別的な発言が度々出てくる。
 それを言うのは全員男性。女性は比較的その存在を受け容れている。
 実際にはトランスジェンダーの存在を受容れる男性も居るし差別意識を持った女性も居る。
 「男性のみ」を差別者として描く手法は少々極端な気がして違和感を持った。
 また、トランスジェンダーを罵倒し貶める男性が遊びに行くのが
 ニューハーフのショーのお店。更には性交渉の相手として選ぶのはトランスジェンダー。
 この‥矛盾は何なのか。そこはこの映画では深堀りしていない。
 そんな中、凪沙が就職試験を受けた会社の面接官の男性が「LGBT流行ってんでしょ」
 と愛想笑いしたシーンには失笑した。
 確かに失礼極まりない発言だが、彼は彼なりに理解しようとしていたのかも知れない。
 ここは、一寸ホッとした。
 
④男性の不在
 この映画では男性は重要な役割を一切与えられていない。
 登場するのはトランスジェンダーを理解せず差別する輩だけ。
 そして・・父親が一切登場してこないのも気になった(りんの父親は居るが)。
 凪沙の父親、一果の父親‥おそらく亡くなったか離別したのか・・・
 父親が登場する回想シーンも一切ない。これは明らかに意図的な描写だろう。
 上の③の男性の極端な描写といい父親の不在といい、その意味するモノは何だろう。

⑤東京
 この映画には度々東京の夜景が出てくる。舞台となる新宿の夜景も含めて。
 そのどれもが美しい。いや新宿の街は決して美しいとは言えないのだけど・・
 その汚さも含めて美しく撮ってた。
 そして・・・凪沙は東京に住んでいたからこそトランスジェンダーとして
 生きられたのでは無いか。故郷の東広島ではあの姿では生きるのは難しかったのでは。
 ある番組でLGBTの方が「地方でカミングアウトしたら色々言われるけど東京は
 放っておいてくれるから素の自分を出せる」と発言していたのを思い出した。
 (勿論、現在は色んな地方でLGBTへの理解を深める活動を進めている)

⑥りん
 一果の友人りんも素晴らしかった。バレエが大好きだけど一果ほどの才能は無く
 でも、一果に嫉妬や憎しみの感情は向けず、一果をサポートする。
 別々の場所でりんと一果が同じ曲で踊るシーンのシンクロ具合は鳥肌モンだった。
 りんは悲しい最後を迎えたけど・・・
 消えるあの瞬間まで、りんはバレエを楽しんで笑っていた筈だ。そう思いたい。
 
⑦ナチュラルウーマン
 実はボクは過去トランスジェンダーを主人公にした映画を見ていた。
 2018年春に日本で公開されたチリの映画「ナチュラルウーマン」。
 美しいヒロインのポスターに惹かれて、前情報も無しに見た。
 実は主演の女優さんダニエル・ヴェガは本当にトランスジェンダー。
 ヒロインが恋人を病気で失うが、トランスジェンダー故に色んな差別を受ける。
 恋人の葬式に参加させて貰えない。墓参りも断られる。
 恋人を殺した犯人として警察から拘留される。
 海外ではLGBTは理解されていると思っていたのでその扱いの酷さに唖然とした。
 ヒロインは、周囲からの罵倒や暴力を受けながら理不尽と敢然と闘う。
 その姿は美しかった。魅了された。
 「ミッドナイトスワン」とはテイストが違うが、この映画も素晴らしいです。
 機会があれば色んな人に是非見て欲しい。
 

⑧小説版
 前の記事でも書いたが、内田監督自身が書いた小説版が実にイイ。
 映画見る前に、途中で読むのをやめた。結末を知りたくなかったので。
 映画見た後、早速読破。
 映画後半の唐突な展開(SNSで批判を受けているのは主にこのシーン)
 も小説を読んで納得した。
 内田監督、是非この小説版を完璧に再現したディレクターズカット版を作って欲しい。
 いや現在上映されているVerも素晴らしいけど、小説版を完全に再現したVerも見たい!
 

⑨クレーム(笑)
 「ミッドナイトスワン」物語の展開に多少難はあるが映画自体に不満は無い。
 唯一の不満はパンフレットを作っていないってこと!
 オレ映画見たら必ずパンフレット買って映画を反芻するんだけど今回それが出来ない!
 ネット上でムック本が売ってるらしいし、ネット各所に剛クンや監督のインタビュー
 が載ってるけど・・・やっぱり紙媒体でパンフレットを読みたい。
 映画ヒットしてるし、パンフレット今からでも作ってくれないかな(^_^;

何度も書くが、この映画見て本当に良かった。
LGBTへの理解が深まったか?は自信は無いが、
劇中出てくるトランスジェンダーの人を差別し侮蔑するオヤジみたいにはなりたくない。
そう思った。

正直「何が差別か」は自分でも分かってないし、
差別を反対するにしても、どう行動したら善いかわからない。
オレ自身も気付かないまま差別をしてるだろう。排除もしてるだろう。
学ぶべきことは沢山ある。知らなくちゃいけないことが山ほどある。

ただ、オレが今迄、生きてきて感じたのは
相手の個性を認めず、属性で他人を決めつけて勝手にレッテルを張って否定する。
それが「差別」だと思う。

数年前、SMAP解散発表時に一部ロックファンやヤフコメが5人とファンを小馬鹿にしてた。
SMAPの5人が何を歌い何を演じ、ファンが彼等に対しどんな応援をしたのかを
知ろうともせず「どうせアイドル、その信者」と決めつけて罵倒・冷笑した。
今回も同じ。この映画についても似た様な無礼な発言をSNSで見た。
アイドルで何がいけない?そのファンで何が問題か?
彼等とそのファンはずっと被災地を応援してる。誉められこそすれ貶す理由は無い筈だ。
失礼なことを言うんじゃない(-_-メ)それ全然ロックじゃねーし。

後、オレには「マジョリティ―だのマイノリティ」なんて表現自体が差別に見える。
誰が多数派とか誰が少数派とか…分けるその意味は何だ?
他人に貴方は少数派です、なんて言うのは失礼極まりないだろう(逆も同じ)。
こんな表現がフツーに世の中に罷り通っていることにゲンナリする。
勿論、LGBT、障害者、日本に住む外国人その他不利な立場に有る方に十分な権利と
保証を与えるのは当然だ。彼等が不利を被らない様に守るのも当然。
でも、それはマイノリティーと呼ばれる人だけじゃない。
貧困に苦しむ人、DVハラスメント被害者、どんな人だろうと守らなくちゃいけない。
そこに・・多数派とか少数派の分類は必要だろうか。
こんな分類、却って分断と対立を深めるだけじゃないだろうか。

オレがこんな風に思うのは、子供の時から色んな場所で排除されてきたから。
何処に行っても「ヘン、おかしい、フツ―じゃない、ズレてる」と言われてきた(T▽T)。
大人になっても、言われた。
時に、彼等の仲間に入れて貰えなかったり追い出されたり・・。
オレが受けていたアレは「差別」だったんだろうか、それとも「区別」?
オレは排除されても仕方ない人間だったんだろうか?(かなりダメ人間だし^^;)
ま、大人になって嫁やMOTO友さん、ヨモちゃんに逢って自分の居場所が出来てからは
そういうのは気にならなくなったが。

唯、折角排除された経験があるなら・・オレは奴らと同じ事はしたくない。
この映画を見ても、トランスジェンダーの正しい理解は出来なかった(これから学ぼう)。
でも、この映画の中でトランスジェンダーが受ける差別や理不尽は絶対おかしいと思った。
もし、その理不尽を人間の悪意や憎悪がもたらしているなら・・・それは差別だ。
オレはそれを認めたくない。そいつにF××Kを突き付けたい。

正直、大きい声を挙げて抗議する勇気は無い。○○活動に参加するのも何か違う。
でも、差別する輩に対して・・・小さく「ダセェ、カッコ悪い」と呟く位なら出来る。
それ位は・・・しないと、凪沙に申しわけない。

この映画見て‥小さいけど勇気を持てた。持たなくちゃいけないと思った。
この勇気を消さない様に、育てようと思う。
そして、もし何処かで凪沙に逢えたなら、胸を張って握手できるようになりたい。
ヨモちゃん、やっぱこの映画見て良かったわ。
改めて凪沙にありがとうと言いたい。Thanks☆
  
コメント

逢いたかった人~映画「ミッドナイトスワン」雑想1

2020年10月01日 | SMAP
現在全国公開中の映画「ミッドナイトスワン」。
草なぎ剛クンが主演、しかもトランスジェンダーを演じるという事で興味があった。
一方で、トランスジェンダーに対する理解が薄い自分が興味本位で見て良いのかという
葛藤もあった。
LGBTをテーマとした映画やドラマはかなり見てるけど、その度に思い悩む。
オレは差別はしない「積り」だ。でも実際に彼・彼女と対面した時フランクに付き合えるか?
口では「差別はダメだ」なんて綺麗事をぬかして、
実際に相対したら愛想笑いして逃げるんじゃないのか?
それがホンネじゃないのか(ここまでの文章も失礼極まりないが・・)。
そんな自分が剛クン見たさでこの映画を見ていいのか逡巡があった。

でも、「週刊文春WOMAN」の最新号で草なぎクン演じる「凪沙」の写真を見て気が変った。
「美しい」と思った。この人に逢いたいと、この人を知りたい、と思った。
決めた。絶対この映画を見る。


映画を観る前は基本情報は全てシャットダウンした。
剛クン、内田監督のインタビューも読まない。SNSに溢れてる感想もなるべく無視した。
専門家がこの映画をこっぴどく批判している記事もスルーした。
事前に買っていた小説版も途中で読むのを止めた。
人(凪沙)に逢う前に、その人に関する情報を入れるなんて真っ平ゴメンだ。
真っ新な状態で逢いたい。

月曜日は所用で休暇。用事の後、上野TOHOシネマズで「ミッドナイトスワン」を見た。
館内には草なぎクンが映画館に送ったサイン入りポスターが掲示されていた。
これ1つ1つ書いてるのかな?だとしたら凄い。

以下、感想を。ネタバレがかなり有ります。要注意


映画は凪沙がメイクしているシーンから始まる。
手から腕、そして顔を映す。・・そこに居たのは「草なぎ剛」で無く「凪沙」だった。
その瞬間、映画を観る前に抱えていた不安や逡巡は消えていた。
凪沙という存在に目を奪われ・・・目を離せなくなっていた。
凪沙が引取る一果の佇まいやバレエを踊るシーンも素晴らしかったが・・・
ボクはともかく凪沙を見ていた。このヒトの一挙一同を見逃したくなかった。

凪沙は女性の体を手に入れたくてニューハーフショーのお店で働きお金を貯めている。
お店の同僚とは仲良くしているが、一緒に騒がず何処か醒めている。
その佇まいが良かった。
それは一果も同じ。殆ど話さず笑わない。醒めた目で世界を見ている。
2人の醒めた目、それは2人の孤独をそのまま表している気がした。
2人があんな視線を持つようになったそれまでの人生を想像すると心が痛くなった。

最初は心を通じることが無かった2人が中盤、心を通わせる。
腕を噛む一果を抱きしめてながら凪沙が放った叫び。
「ワタシたちみたいなのは1人で生きてゆくしかない。強くなるしかない!」
このシーン、凪沙の核に触れた気がした。その核にあるのはやっぱり孤独だった。

孤独な2人。でも一果は凪沙と違っていた。一果はバレエの才能を持っていた。
踊ることで一果は友を持ち師を持ち、どんどん世界を広げた。
でも、凪沙は一果が前に進むのを喜び応援する。
凪沙の満たされた笑顔・・・あれは母性なんだろうか。それとも別の感情?
ボクは・・・居場所が無かった凪沙が一果という愛する存在を見つけて
一果の夢を応援する事で、自らの居場所を見つけた・・・と理解した。
自らの幸福を追求するのでなく他者を愛し慈しむことで得られる幸福。
凪沙が一果と食事したり一緒にダンスするとき見せる満たされた笑顔に・・・
余計、凪沙の孤独を感じて・・ボクは胸を衝かれた。

後半、一果のバレエに係る費用を稼ぐため凪沙は身体を売ろうとしたり男になって就職する。
夢を叶えるためにはお金が必要で、お金を稼ぐために必要なら男になる。
それは…凪沙にとって苦しい選択だったんだろうか。
いや、男の姿で一果を抱きしめる凪沙の姿がボクには凄く幸せに見えた。
献身がもたらす幸福というものがあるのだ。このシーンは胸に深く突き刺さった。

ここから最後まで物語は急展開する。一果の実母の登場、一果の友人りんの取った行動。
ダンスコンクール、母親に連れ戻される一果。外国に渡って女性になる手術を受ける凪沙。
凪沙と一果の母親との対決。
正直、展開が唐突すぎて、物語にすんなり入り込めなかった。
何故、自分を虐待していた母親を赦して一果は一緒に暮らしたのか。
何故、凪沙は急に女性になることを決心したのか。
小説版を読むと、その辺りの流れや感情の動きがつかめて理解ができたが・・・
映画だけではそこが上手く掴めなかった。それが残念。
でも、内田監督はそういう省略する手法を取る人なのかも知れない。
全てを語る必要は無いし、全てを見る必要も無い。そういう描き方もアリだと思う。

(因みに小説版も素晴らしいです。映画観た後、読んだけど結末泣いた。おススメ♪)

映画のラスト。凪沙は成長した一果と再会する。
身体を壊し失明し、弱り切った凪沙に対し世界に旅立つチャンスを手に入れた一果。
対照的な2人。
海辺で踊る一果を見ながら、凪沙は逝く。微笑みを浮かべながら。

このシーンについて、映画を観た後、
「マイノリティの主人公を可哀想な存在として描いてマジョリティの涙を誘うお涙頂戴
の物語」と言う批判を読んだ。
勿論、意見は色々あって良いが、海辺のシーンにボクは違う印象を持った。
(その意見を書いた方を非難しているワケではありません。念のため)。

海辺のシーン、ボクは凪沙を可哀想なんてこれっぽっちも思わなかった。
寧ろ、サイコーにシアワセなシーンだと思った!
だって、凪沙が愛する一果が大好きなバレエで世界に旅立つんだぜ。
凪沙が一果のために行った献身が報われたのだ。
そして、最後一果のダンスを見ながら凪沙は逝った。
愛する者のサイコーに美しい姿を見ながら自分の生を終える。
サイコーじゃん。シアワセじゃん。
オレはこのシーン見てて本当に幸福な気分に包まれたよ(泣いたけど(^^;)

もし、オレがあの海辺に居たら眠る凪沙にこう話したい。
「がんばりましたね。(貴方の)夢が叶って良かったですね」と・・・。
そう凪沙は悲しい可哀想な存在なんかじゃない。立派に自分の生を生き切ったのだ。

そして・・・本当のラストシーン。見た瞬間、涙が一気に出た。
泣いた後、オレはまた笑った。良かったな凪沙。唯々そう想った。


観終わった後、サントラを買った。
渋谷慶一郎さんのあの美しいメロディを是非手元に置いて聴きたいと思った。
毎日聴いてますV(^^)


映画を見て暫くは感想がまとまらなかった。
でも小説版を読んでサントラ聴くうちに映画のイメージが自分の中で消化(昇華)できた。
見て良かった。凪沙と一果に逢えて良かった。

そして、改めて「草なぎ剛」が凄い役者だと思い知った。
剛クンは今回、役作りは全くせず現場の空気に任せて自然に演じたと話していた。
いやいや、あれを自然体で演じられるってどんだけ凄いんだ?
この人の中には、どれだけのデーモン(魔物)が棲んでるんだろう。
もっと年取ったら緒形拳とか小日向文世の様な演者さんになるのかも。
(勿論、剛クンのままで良いんですが(笑))
彼がこれからどんな映画に出るのかドラマに出るのか注目したい(来年の大河楽しみ♪)。


以上、長々と感想を書いたが、それでも未だ語り足りない(笑)。
他にも色々感じた、それこそジェンダー、差別と言うテーマについても。
そちらについては、別記事に書いた(^_^;
この映画は視て映画館を出て終わる映画じゃない。
過去視た「ソレダケ」「カランコエの花」「ナチュラルウーマン」「海辺の映画館」
同様、視て感じたことを持ち帰って育てていく・・・そういう映画だ。
未だ終わらない。これからも付き合っていくよ。ヨロシク頼むぜV(^^)

ヨモちゃん、凪沙に逢ってきたよ。美しい人だった。逢えて・・・良かったよ☆

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