先週末、今年第1回の東北ボランティアに行ってきました。
今回はツアーでの参加。場所は宮城県亘理郡山元町。
http://www.amy-go.com/tour/volunteer/
今回はいつも行ってる仙台荒浜、福島南相馬とは別の場所にしようと思ってた。
新宿から深夜バスで宮城に行く。総勢40人程度。老若男女、今回ボラ初参加の人も多い。
山元町は津波で被害を受けた場所。あまりメディアでは取上げられない。
鉄道は津波で破壊され駅は無人状態。幾つかの民家も全壊。撤去されている。
一方でイチゴやリンゴの栽培は再開されていたり新たに商店も開いている。
先ずは現地の方の案内で「浜中小学校」を見学。今回は建物の中に入れる。
過去、何度もボランティアをしたが壊れた建物の中に入るのは初体験。
ショックを受けると共に・・・ホンネを言えば少し興奮も感じた。
以下、案内の方のお話。
・以前から津波対策はして土を盛っていたが311のときの津波は想像を超えていた。
2階まで届いたので屋上まで逃げた。屋上の狭い倉庫の中で先生と生徒は一晩過ごした。
・翌朝自衛隊が空から救出、ピストン運搬して避難所に運んだ。幸い避難した人は無事だった。
・ここの小学校は無事だったが近くの自動車教習所では多くの人が亡くなった。
また別の幼稚園や保育園ではお子さんが亡くなった。遺体が損壊していてご両親に
見せられる状態じゃないので先生が確認した。2年過ぎた今になって先生が精神的に
参ってしまってる。
・子供たちも転校が続いて精神的に参ってる。不登校も増えている。
・この小学校は遺構として残すことを検討している。でも、お金がかかる。
老人ばかりのこの町でそんなお金は負担できない。是非国で負担してほしい。
・私の家も全壊した。補助金を使って建て直したけどそれでも3千万円借金した。
・被害の大きい地域と小さい地域では温度差がある。一枚岩になっていない。
小学校の中は凄まじい風景だった。破壊しつくされていた。
見ていてコトバが出なかった。また、ガイドの方のお話にも声が出なかった。
3年過ぎても精神的な疵が癒えていない、むしろ疵が酷くなっている。
また、同じ町でも色んな温度差がある。これが「この場所の現実」なのだ。
東京に居ると得てして
「被災地では皆、心をひとつにして復興に向かって頑張っている。」なんて勘違いする。
そんなことは無い。未だに色んな問題を抱えているのだ。そこのことは忘れまい。
以下、浜中小学校の写真。
そして壊れた駅の線路、ホーム。現在JRの駅、線路は別の場所で再開を計画中らしい。
午前中はある個人宅の整地。お庭の土を新しい土に入れ替えて固める。
寒いけど作業をしている間に汗が出てくる。和気藹々と作業を進める。
ガラの悪いオジサンと若者の一団が居るが手際よく作業をこなしていく。
ガテン系の会社の人?
大勢で頑張って午前中に作業は終了。凄いV(^^)
午後は別のお宅で瓦礫撤去。ひたすらうつむいて仕事。腰が痛い(^^;)ゞ
ボクはある大学生と組んで作業。彼はボラ初参加。ボクが指示する。
会社じゃ人と話すのは苦手、部下に指示するのも面倒くさい。
でも、ここじゃ極く自然に出来た。普段の仕事じゃできないのに。
こちらも思った以上に作業がスムーズに進む。瓦礫を積んだ袋が山積み。
現地のボランティアリーダーの人は大喜び。良かった(v_v)”
また参加者の人が感想を言う。先ほどのガテン系のリーダーの人が
「荒れた小学校を見たとき泣きたくなった。そして、こんな大勢で作業しても
ホンの小さなスペースしかキレイにできない。」とおっしゃってた。
ウン・・・・そのとおりだ。
帰りのバスの中・・外に空が広がっている。雲が流れていく。
山元町は傷つきながらも前に進んでいる。でも・・・まだ時間が掛かるだろう。
だけど・・・きっと「大逆転がある」。そう信じてる。
フと涙が出てきた。ぬぐうこともなく・・ひたすら泣いた。
深夜に東京着。東京は華やかな光に包まれている。
あちらこちらでライトアップのオンパレード。節電なんか忘れたみたいだ。
こんな・・派手な光や装いは必要なんだろうか?
山元町で見た光景とのあまりの相違に・・違和感と苛立ちを覚える。
でも・・その東京に「東北のことを想う人」が確かに居る。
今回のツアーでは「ボランティア初参加」の人が大勢居た。
「3年」経って動き出した人も居る。忘れていない人も居るんだ。
そして・・今回のボランティア、凄く楽しめた。いつも感じる後ろめたさは無かった。
3年経って、ようやっと「後ろめたさ、申しわけなさ」は吹っ切れた。
山元町に行ったこと、あそこで見たもの、感じたこと・・忘れない。
そして・・・また東北に行こう。次回は、いつもの荒浜か、南相馬に行こう。
オレは東北が好き、東北の「大逆転」を手伝いたい。
だから、もう後ろめたさや申しわけなさは捨てよう。
楽しむために・・・そして、リアルを求めて行こう。何度でも。
今日は定期検診で会社はお休み。
帰宅後、ヨモちゃんと遊ぼうとしたらウッカリぶつかってしまった。
ヨモちゃん、ビックリして「にゃー!」と鳴く。ゴメンゴメン<(_ _)>
その後も、またぶつかってヨモちゃん、またまた「にゃー!」。
でも、ナデナデしてたらゴロゴロ甘えてきました。
こいつぅ、カワイイぞ~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~
だけど嫁@パンダが帰宅したらオレは放って嫁にベッタリ。\(T▽T)/
明日から、また仕事。その前に東北で頑張ったオレに祝杯♪
オレ、エライ!オレ、サイコー!さ、呑むぞ(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆
(ヨモちゃんの独り言:こいつは直ぐ調子に乗る。アホにゃ)
今回はツアーでの参加。場所は宮城県亘理郡山元町。
http://www.amy-go.com/tour/volunteer/
今回はいつも行ってる仙台荒浜、福島南相馬とは別の場所にしようと思ってた。
新宿から深夜バスで宮城に行く。総勢40人程度。老若男女、今回ボラ初参加の人も多い。
山元町は津波で被害を受けた場所。あまりメディアでは取上げられない。
鉄道は津波で破壊され駅は無人状態。幾つかの民家も全壊。撤去されている。
一方でイチゴやリンゴの栽培は再開されていたり新たに商店も開いている。
先ずは現地の方の案内で「浜中小学校」を見学。今回は建物の中に入れる。
過去、何度もボランティアをしたが壊れた建物の中に入るのは初体験。
ショックを受けると共に・・・ホンネを言えば少し興奮も感じた。
以下、案内の方のお話。
・以前から津波対策はして土を盛っていたが311のときの津波は想像を超えていた。
2階まで届いたので屋上まで逃げた。屋上の狭い倉庫の中で先生と生徒は一晩過ごした。
・翌朝自衛隊が空から救出、ピストン運搬して避難所に運んだ。幸い避難した人は無事だった。
・ここの小学校は無事だったが近くの自動車教習所では多くの人が亡くなった。
また別の幼稚園や保育園ではお子さんが亡くなった。遺体が損壊していてご両親に
見せられる状態じゃないので先生が確認した。2年過ぎた今になって先生が精神的に
参ってしまってる。
・子供たちも転校が続いて精神的に参ってる。不登校も増えている。
・この小学校は遺構として残すことを検討している。でも、お金がかかる。
老人ばかりのこの町でそんなお金は負担できない。是非国で負担してほしい。
・私の家も全壊した。補助金を使って建て直したけどそれでも3千万円借金した。
・被害の大きい地域と小さい地域では温度差がある。一枚岩になっていない。
小学校の中は凄まじい風景だった。破壊しつくされていた。
見ていてコトバが出なかった。また、ガイドの方のお話にも声が出なかった。
3年過ぎても精神的な疵が癒えていない、むしろ疵が酷くなっている。
また、同じ町でも色んな温度差がある。これが「この場所の現実」なのだ。
東京に居ると得てして
「被災地では皆、心をひとつにして復興に向かって頑張っている。」なんて勘違いする。
そんなことは無い。未だに色んな問題を抱えているのだ。そこのことは忘れまい。
以下、浜中小学校の写真。
そして壊れた駅の線路、ホーム。現在JRの駅、線路は別の場所で再開を計画中らしい。
午前中はある個人宅の整地。お庭の土を新しい土に入れ替えて固める。
寒いけど作業をしている間に汗が出てくる。和気藹々と作業を進める。
ガラの悪いオジサンと若者の一団が居るが手際よく作業をこなしていく。
ガテン系の会社の人?
大勢で頑張って午前中に作業は終了。凄いV(^^)
午後は別のお宅で瓦礫撤去。ひたすらうつむいて仕事。腰が痛い(^^;)ゞ
ボクはある大学生と組んで作業。彼はボラ初参加。ボクが指示する。
会社じゃ人と話すのは苦手、部下に指示するのも面倒くさい。
でも、ここじゃ極く自然に出来た。普段の仕事じゃできないのに。
こちらも思った以上に作業がスムーズに進む。瓦礫を積んだ袋が山積み。
現地のボランティアリーダーの人は大喜び。良かった(v_v)”
また参加者の人が感想を言う。先ほどのガテン系のリーダーの人が
「荒れた小学校を見たとき泣きたくなった。そして、こんな大勢で作業しても
ホンの小さなスペースしかキレイにできない。」とおっしゃってた。
ウン・・・・そのとおりだ。
帰りのバスの中・・外に空が広がっている。雲が流れていく。
山元町は傷つきながらも前に進んでいる。でも・・・まだ時間が掛かるだろう。
だけど・・・きっと「大逆転がある」。そう信じてる。
フと涙が出てきた。ぬぐうこともなく・・ひたすら泣いた。
深夜に東京着。東京は華やかな光に包まれている。
あちらこちらでライトアップのオンパレード。節電なんか忘れたみたいだ。
こんな・・派手な光や装いは必要なんだろうか?
山元町で見た光景とのあまりの相違に・・違和感と苛立ちを覚える。
でも・・その東京に「東北のことを想う人」が確かに居る。
今回のツアーでは「ボランティア初参加」の人が大勢居た。
「3年」経って動き出した人も居る。忘れていない人も居るんだ。
そして・・今回のボランティア、凄く楽しめた。いつも感じる後ろめたさは無かった。
3年経って、ようやっと「後ろめたさ、申しわけなさ」は吹っ切れた。
山元町に行ったこと、あそこで見たもの、感じたこと・・忘れない。
そして・・・また東北に行こう。次回は、いつもの荒浜か、南相馬に行こう。
オレは東北が好き、東北の「大逆転」を手伝いたい。
だから、もう後ろめたさや申しわけなさは捨てよう。
楽しむために・・・そして、リアルを求めて行こう。何度でも。
今日は定期検診で会社はお休み。
帰宅後、ヨモちゃんと遊ぼうとしたらウッカリぶつかってしまった。
ヨモちゃん、ビックリして「にゃー!」と鳴く。ゴメンゴメン<(_ _)>
その後も、またぶつかってヨモちゃん、またまた「にゃー!」。
でも、ナデナデしてたらゴロゴロ甘えてきました。
こいつぅ、カワイイぞ~( ̄∇ ̄~)(~ ̄∇ ̄)~
だけど嫁@パンダが帰宅したらオレは放って嫁にベッタリ。\(T▽T)/
明日から、また仕事。その前に東北で頑張ったオレに祝杯♪
オレ、エライ!オレ、サイコー!さ、呑むぞ(゚゜)\バキ☆(゚゜)\バキ☆
(ヨモちゃんの独り言:こいつは直ぐ調子に乗る。アホにゃ)