おじさんは都度顔を出し「助かる助かる」と喜んでくれ途中でコーヒーを差入れ。
空にトンビが飛んでる。畑に烏が下りてくる。
草を抜いているうちに地面から虫が出てくる。団子虫、ミミズ。
そういえば9月に海岸付近の農地の泥出しをしたとき虫が全然いなかったな。
地震、津波の異常気象が原因なのか、あそこには「命の息吹」が全く感じられなかった。
でも、ここには生命(いのち)がある。ここの地面は確かに生きてる。
そう思ったら・・・急に泣きたくなった。うれしくなった。
普段「生命の尊さ」なんて丸で考えない冷血漢の癖に、そんなことを感じた。
今日のクライマックス。ホウレン草刈り取り。リーダーと協力してどんどん刈り取る。
雑草の中にホウレン草が生ってる。ひたすら必死になって根から抜いていく。
工夫も作戦もない。ひたすら真っ白になってた。
ホウレン草の束がどんどん出来てくる。まだ少し残ってたけど時間が来て終了。
畑から見える夕焼け空がキレイだった。
バスが迎えに来たので農家さんにお別れの挨拶。大根やホウレン草をお土産にいただく。
おまけにおばさんが「帰りに食べなさい」と特大のオニギリまで握っていただく。
いえいえ、こんなに沢山のお土産をいただいちゃバチが当たります。
おじさんはまた「ありがとう。貴方達のおかげで助かりました。」と深々とお辞儀。
お2人ともホントに喜んでくれた。オレでも少しは役に立てたのかな?
もしも、もしも少しでも皆さんが前に進む役に立てたのなら
地震野郎・津波野郎にパンチを喰らわせることが出来たってこと。そうならウ・レ・シ・イ♪
帰り道、また空を見た。夕焼けがキレイだった。目に焼きつけた。ウン忘れない。
バスに乗ってスーパー温泉に入る。カラダ中が痛い。筋肉痛。
でも、この痛みも「リアル」だ。痛い思いもしないで他人様の役に立てるか。
自分も痛い思いして手を汚して、ようやく「支援」と云えるんだ。
痛みが自分のカラダに刻み付けられたこと。。ミョーに嬉しかった。
その後はメンバーと呑み会。前回は一人で寂しく食事だったので今回は話したかった。
皆さん、色んな思いをかかえてこのツアーに参加してる。
NPOのリーダはみな20代前半、他の仕事をしながらボランティアをしてる。
下手するとオレの息子・娘の世代。でもえらそうにアドバイスすることなんてない。
みんな、それぞれ素晴らしい。オレなんかより余程おとなだ。
沖縄から来た若者と色々話す。沖縄の基地問題。実際は新聞報道とかなり違う。
そうTV、ニュースはある一面を要約して伝えるだけ。真実はそこにはない。
真実はそこで生きる人それぞれに或る。簡単に「要約・情報化」なんて出来ない。
その若者が「戦時中の散骨が色んな処にあって、それを集めるボランティアもある」
と云う話を聞いた。それを聞いて思った。いつか・・・いつか行ってみようか。
勿論、先ずは仙台ボランティアを継続すること。そんなにアレコレ出来ないし。
このボランティアも先は長い。ずっと続けなくちゃイケナイ。
でも、いつの日か・・終わったら・・・その後は・・・。
その後は王将で二次会。あれだけ呑んで喰って中華料理食べれるの?皆さん若い!
ある若い女性に
「今回還暦のおばさんが参加したけど、ながわさんは60でボランティアに参加します?」
と聞かれた。迷わず「参加する」と答えた。当然です。オレのケンカは一生続きます。
酔っ払い状態で帰りのバスに乗る。咳が止まらない。狭い空間に居て苦しくなる。
でも何とか無事に東京着。原宿では夜遊び帰りの若者が沢山。
仙台で見た光景とのギャップに唖然。でも・・・これが「東京」なんだよ、な。
遊んでる奴もいれば被災地のため頑張る若者もいる。バラバラでイイ。
帰宅。
嫁に「オレが居なくてヨモギは寂しがらなかった?」と聞くと「いたってフツー」
との回答(T〇T)
でも、ちょっと甘えてくれて嬉しかった(゚゜)\バキ☆
ボランティアツアー、主催NPOはやり方や場所を変えるかも知れないとの事。
12月にまだツアーあるけどボクは今回で今年分は終了。
次回は年明けで考えます。先ず仕事をチャンとやって体調を整えなくちゃ。
今回のツアー、本当に実り多かった。行ってよかった。だから当然また行く。
次回ラウンドは地震野郎・津波野郎からダウンを奪えるようにがんばらなくっちゃ☆