北海道のきのめ塾長が見舞いの支援物資を送って下さいました。
シップや絆創膏にタオルetc.
文章塾という場所で知り合っただけの僕のために
「今、仕事をしている人が少しでも元気になってくれればと思っています。」
というお手紙とともに

本当にありがとうございます。
1週間以上車中泊を続けていた時に家に呼んで何日も泊めて下さったMさんの家があるほか、色々とコメントなどで応援して下さった皆さんが居る仙台市内から遠くは関西までの西側や
色々と力を分けてくれたり調べごとをしてくれた友人たちがたくさん居る東京方面を含む南側
についで
北の地へも足を向けて寝られなくなりました。
今回の震災で人の温かさを知り、感謝する事も憶えました。
いま、行方不明になっているかたや亡くなられたかたの知り合い縁者の数だけ悲しみや絶望がある事も知りました。
こんな歳になって、
今まで知っていると思っていたことも色褪せるほどに色んな事を感じ直しました。
この一ヶ月
すごく怒りっぽくもなりました。
すごく涙もろくもなりました。
すごく心広くもなりました。
きっと、ストレスやら不安やらなんやらなんだろうとも思います。
そのうち少しずつ元に戻っていくのだろうとも思います。
または、前にもぐらさんが仰っていたように
ぺちゃんこになったままなのかもしれません。
粉々になって違う形に固まっていくのかもしれません。
数年後の僕は今の僕を振り返ってどう思っているのか
今回の震災、県庁所在地のある仙台市も被災した上に、気仙沼・女川・石巻・南三陸町・多賀城・七ヶ浜町・名取・岩沼・亘理・山元などの津波が酷かった地域を抱えて避難人口も多い宮城県がすごくクローズアップされていますが、原発がらみも加えてのトリプルパンチとなっているうえに、ここ数日震度6弱など酷い余震に悩まされている福島県も、あまり報道されないけれどかなりの津波被害を受けている青森県八戸から、津波と液状化などに悩まされた千葉県まで太平洋側の全ての県で悲しみと途方に暮れておられる方々が多数おられることと思います。
「がんばろう日本」という言葉だけでは言い尽くせませんし
「がんばれ」というにはあまりにも過酷な状況だとも思います。
今の僕に、人のために出来ることはあまり多くありません。
だけど、出来る範囲で恩返しをしていこうと思います。
お世話になった方々に
そして、同じ災害に見舞われた数多くの方々に
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