観光列車から! 日々利用の乗り物まで

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幻の今福線  第2下府川橋梁

2011-03-21 10:38:59 | その他 廃 線 /未線 今福線

ここからは新線、鉄建公団によって建設された区間です。

写真は新第2下府川橋梁で旧線第2下府川橋梁にあった橋梁を撤去し、盛土をして建設したそうです。

【2度目の計画 】
太平洋戦争が終わり、物資が少しずつ手にはいるようになると、今福線を全線開通させようという運動が盛んになってきました。広島県側では、工事が進み、昭和29 年(1954)に加計までの鉄道が完成していたのです。ようやく、昭和43 年(1968)になって、工事の許可がおりました。しかし、当時の国鉄では、全国の赤字路線を廃止自動車輸送に変えようという動きもあり、なかなか工事は進みません。バスやトラックでの輸送が主流になりつつあったからです。

そのような中、日本鉄道建設公団により、新たな鉄道建設計画が出されました。それは、浜田~広島間にトンネル鉄道を作るという計画です。「広島-浜田間に、コースの80%がトンネルの全長89 ㎞の鉄道を作り、ノンストップ特急なら55 分で結ぶ」というものでした。この計画の実現に向けての動きでしょうか、昭和44 年(1969)、新計画今福線の着工許可がおりました。新しいコースは浜田駅からなるべく直線で、すでに完成している可部線の三段峡駅まで結ぶという計画です。駅は、石見今福-旭町-徳田-波佐-芸北-橋山の6駅が予定されました。工事は浜田、佐野、今福で始まりました。鉄道路盤とともに、橋やトンネルが作られていきました。昭和50 年(1975)に今福と佐野の間に下長屋トンネル(長さ1633m)が完成しました。今福駅は高架式にする計画で、連絡通路用の扇形の路盤台が2基作られました。(県道のバイパス工事の時に壊されました。なお、 浜田市高佐町にあった高架橋は平成10 年にこわされました。)旭町でも駅(運動公園下側)の用地買収やトンネル・橋の建設がすすめられました。【島根県側で現存する遺構は、路盤、橋6(佐野2 金城1 旭3) トンネル3( 佐野今福間1 旭2)です。】また広島県側でも用地買収
や測量が始まり、松原トンネルや三段峡トンネルの調査横穴が掘られ、橋山駅付近の用地買収がすすめられました。

こうして、着々と進んでいた新計画今福線も、国の財政圧迫と国鉄の赤字増大の影響で、昭和55 年(1980)に工事が中止され、現在に至いたっています。

 

 

 


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