鬼ヶ城(おにがじょう)は三重県熊野市木本町にある海岸景勝地。国の名勝(「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」〈くまののおにがじょう つけたり ししいわ〉)の一部である。
熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震による隆起によって階段上に並び、熊野灘に面して約1.2km続いている。
志摩半島から続くリアス式海岸の最南端で、これより南はなだらかな砂浜の海岸(七里御浜)へと変わる。
東 . . . 本文を読む
大井宿(おおいじゅく)は中山道の46番目の宿場。美濃国恵那郡大井村(現・岐阜県恵那市)に存在した。江戸方から、横町・本町・竪町・茶屋町・橋場と5町があった。それぞれの町は6ヶ所の枡形によって区切られていた。大井宿から槙ヶ根追分を経て、下街道を利用する旅人も多かった。なお、川越街道の大井宿(埼玉県ふじみ野市)とは別物である。
美濃路随一の宿場大井宿は中山道69次のうち、江戸から数えて46番目の宿場 . . . 本文を読む
三ツ石神社(みついしじんじゃ)は、岩手県盛岡市にある神社。
盛岡市の東顕寺の裏手にあり、境内に注連縄が張られた3つの巨大な花崗岩が立ち並ぶ。この3つの石は岩手山が噴火した時に落ちてきたとされ、古くから「三ツ石様」と呼ばれて人々の信仰を集めていた。
伝説では、現地に羅刹鬼という鬼が里人や旅人に悪事をし、困り果てた里人たちは「三ツ石様」に「悪い鬼をこらしめてください」とお願いしたところ、三ツ石 . . . 本文を読む
小田原城(おだわらじょう)は、神奈川県小田原市にある戦国時代から江戸時代にかけての日本の城(平山城)。北条氏の本拠地としても有名で、江戸時代には小田原藩の藩庁があった。城跡は国の史跡に指定されている。
北条氏は、居館を今の天守の周辺に置き、後背にあたる八幡山(現在の小田原高校がある場所)を詰の城としていた。しかし、建築者は不明である。 居館部については北条氏以前の大森氏以来のものとするのが通 . . . 本文を読む
報恩寺(ほうおんじ)は、岩手県盛岡市名須川町にある曹洞宗の寺院。山号は「瑞鳩峰山」と号し報恩禅寺と称する。本尊は釈迦如来。境内にある五百羅漢で有名である。大光山 聖壽禪寺、大寶山 東禪寺、寶珠盛岡山 永福寺、雍護山 敎淨寺とともに盛岡五山(盛岡五個寺とも)の一つとされる。
この寺は、1362年(貞治元年)南部守行の開基、通山長徹の開山により、1394年(応永元年)に南部守行に . . . 本文を読む
岩村城(いわむらじょう)は岐阜県恵那市岩村町にある中世の日本の城(山城跡)で、岩村遠山氏が建造し代々城主となっていたが、戦国時代末期に団忠正や河尻秀隆が城主となった時期もあった。江戸時代には岩村藩の城となった。付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城とも呼ばれる。中津川市の苗木城、可児市の兼山城と並び岐阜の三山城と称される。岐阜県指定史跡。
岩村城は恵那市の南部に位置し、明知鉄道明知線岩村駅 . . . 本文を読む
石割桜(いしわりざくら)とは、岩手県盛岡市にある一本桜。巨大な花崗岩の割れ目から育った直径約1.35m、樹齢360年を越える桜である。見ごろは4月の半ばから。
JR盛岡駅から徒歩20分の、盛岡地方裁判所構内に所在する。1923年(大正12年)に国の天然記念物に指定された。寛永年間頃に南部藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、明治初期には桜雲石と呼ばれていた。家老の屋敷内の庭にあった . . . 本文を読む
明治4年〜明治7年、石川啄木の父・一禎も小僧としてこの寺で修行しています(後に玉山村の常光寺住職に)。当時の曹洞宗では、戒律が厳しく、僧侶の妻帯が許されなかったため、妹のカツが身の回りの世話をすることになって龍谷寺に入り、結果、石川一禎とカツが結ばれることになったのです。
明治37年1月8日、啄木は友人・阿部修一郎の姉・梅子の葬儀に参列のため龍谷寺に赴き、妻となる堀合節子に出会っ . . . 本文を読む
櫻山神社(さくらやまじんじゃ)は、岩手県盛岡市に鎮座する神社である。
創建から江戸時代後期江戸時代中期の寛延2年(1749年)、盛岡藩第八代・南部利視により盛岡藩初代・信直の遺徳を偲び、盛岡城内淡路丸に神殿を建立、同年9月26日、その神霊を勧請して「淡路丸大明神」と奉ったのに始まる。盛岡藩第十一代・利敬が文化9年(1812年)8月13日に「櫻山大明神」と改称。その後、利敬は同15年(1818 . . . 本文を読む
マリーナベイ・サンズ(Marina Bay Sands)は、シンガポールのマリーナ・ベイに面した統合型リゾート(IR)である。土地を含め総工費80億シンガポールドルで建設され、世界でこれまでにないほど高額なカジノの不動産物件となった。マリーナベイ・サンズは2011年2月17日に開業。これと同時に7つの著名なシェフによるレストランも開業した。
ラスベガスのカジノリゾート運営会社ラスベガス・サン . . . 本文を読む
啄木が新婚生活を送った旧家
現存する盛岡唯一の武家屋敷。明治38(1905)年に石川啄木と妻の節子が結婚当初、3週間ほど過ごした家。
ほぼ当時のままの姿で残されており、啄木の随筆『我が四畳半』に描かれている生活ぶりがうかがえる。
当時、処女作あこがれを出版した彼の、質素な生活や、彼の感性に少し、触れることのできる気がする観光スポットです。近代日本文学や啄木に関心の . . . 本文を読む
小浜温泉(おばまおんせん)は、長崎県雲仙市小浜町にある温泉。島原半島の西側、雲仙国立公園の西麓に位置し、橘湾に臨む風光明媚な温泉地でリウマチ・神経痛に効果のある高温で湯量の豊富な温泉として昔から多くの人に親しまれており、『湧出量×湯温』で求められる放熱量が日本一といわれている。また、2013年には小浜温泉の未利用温泉を活用した210kW級の小浜温泉バイナリー発電所が稼働を始めた。
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武家屋敷通り (仙北市)
武家屋敷通り(ぶけやしきどおり)は秋田県仙北市角館町の道路であり、古城山(かつて角館城があった地である)山麓の国道46号から南へ伸びて、かつての侍町である角館の内町を貫く南北方向の通りである。
仙北市の正式な道路の路線名は、「市道武家屋敷通線」といい、かつての中・下級武士の侍屋敷である旧家が建ち並び、黒板塀と枝垂桜の木立が大きな特徴となっている通りである。仙北市角 . . . 本文を読む
盛岡築城時に三戸より移転。本堂は宝形式反り屋根を持ち、盛岡の文化財に指定されている。寺宝に“お菊の皿”がある。山門真正面に本堂独特の宝形式反り屋根の木造平屋建の寺院が見える。始め瓦葺だったが修理して現在の銅板一文字葺になったと言う。車寄せ屋根は起り(むくり)破風であるので垂木は一本曲がりものでできているが,本堂は反り屋根,車寄せは起り(むくり)破風で対照が面 . . . 本文を読む
日本大正村(にほんたいしょうむら)は、岐阜県恵那市明智町にあるレトロテーマパーク(野外博物館)である。
1989年(昭和63年)4月、恵那郡明智町の町おこしとして構想・立村された。初代村長は高峰三枝子、1999年に司葉子が二代目村長、2015年には竹下景子が三代目村長に就任した。特定の敷地内に設けられた施設ではなく、街全体(旧・明知町)として大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗、資料館、博物 . . . 本文を読む