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「がんばって!」は、 時として惨い言葉に ・ ・

2011-03-17 22:48:43 | 日本の被災対応
「がんばって!」は、 よく聞く言葉。

平時、ありふれた日常生活の中では 特に害の無い言葉でも、
時として惨い(むごい) 言葉になる事があります。

言葉を掛ける側の人と、掛けられる側の人、

お互いに 同じ様な環境、立場、境遇の場合なら問題無く、
立場や環境に大きな差がある時には注意が必要になります。

特に、一方だけが様々な理由や条件によって、精神的に
打ちのめされている場合には 最大の注意が必要です。

「がんばれ!」って 声を掛けられる以前から、
掛けられる言葉の回数の 何百、何千倍以上の回数で
自分自身に対して励まして、なぐさめ、激励し尽くし、
それでも変わらぬ状態に陥ってしまった人は 多くいるのです。

そんな時、身近に寄り添い、見守りもせず 、
遠くから 「がんばれ!」と声を掛けられても ・ ・ ・


* * *

人は さまざまな“衝動”によって 突き動かされ行動するものです。

哀しい体験をした人を見ると ・ ・ ・

□ 「 何かしてあげたい! 」 という “衝動” と
□ 「 何かをして、責任から逃れたい 」 という “衝動”

これら 二つの“衝動”が 同時に心の中に生まれるものです。

前者は 人としての善良な心から生まれ、後者は 偽善的な心から生まれる
と、よく言われてはいますが ・ ・ ・、

哀しい体験をした人の側にとってみれば、
どちらも大きな違いが無い行為になる事が少なくありません。

そう! どちらとも、「 偽善的な行為 」・・ と見えるのです。


* * *

その理由は、とても簡単です。

哀しい体験をした人も“人”ですから、 他の人に 「 がんばれ! 」と
声を掛けた時に、自分自身の中に“ 偽善性 ”を感じた経験があるから
です。

ですから、一方の立場が大きく異なる場合、特に 相手の立場が
追い込まれている状況では、単に 「 がんばって! 」と声を掛けるだけ
では、誤った “サイン”を与えてしまいます。

却って 相手を更に追い込む危険性がある事を 理解しなくてはなりません。


* * *

ボランティア の話に移りましょう。

例えば、震災の現場へ行って、避難所へ行って ボランティア をしたい!
と 考えた場合には、 慎重に考えを巡らす必要が あります。

遠くから、「 がんばって! 」と 言うだけの行為よりも、ずっと尊い
行為になる可能性 は 確かにあります。

しかし、避難所へ行って、その場の人にでも出来る事をしているだけ
では、被災してしまった人を 単に “被災者”扱いしているだけで、
被災という現実から 自分自信の力で 立ち直ろうとして自分自身で
叱咤激励している人 の 心を挫く事になってしまう危険性を 充分に
理解しなくてはなりません。

所詮、ボランティアとして行く あなたには “戻る場所”や “戻れる
生活環境”があるのです。
そんな人から、安易に 「 がんばって! 」と 施しを受けつつ聞かさ
れる身は、とても辛い響きにもなるのです。


そんな危険性を避けてボランティをするには、その場に居る人達には、
自助努力では成し得ない行為・技術 を発揮するのが最善です。

例えば、「 医療従事者による医療・医療補助行為 」とか
「 弁護士や司法書士による法律相談・手続き 」は、適切な手続き
を踏んでの行為であれば 歓迎されるでしょう。

他には、「 運転免許取得者による車両持込み運搬作業 」、
または 地方自治体や役場などの 要請に応じての 行為 であれば
有効です。


* * * *

ボランティアをしたい! という心 や、「 がんばれ!」と 声を
掛けようとする “衝動”は 自然だし、人らしい行為です。

しかし、それを 受ける側の人の “パーソナリティ” を無視して、
施しを与えるという意識が混入したままの行為であれば、
決して 良い結果を招かない場合があるという 危険性 を しっかりと
認識をすべきです。

「 美談 」 と 「 悲劇 」は、時として 裏・表 の関係にあるのです。



“心の被災” を重篤化させ、利益を得るマスコミ達と ・・

2011-03-17 20:29:03 | 日本の被災対応

3/11(金)の震災発生以来、明日(3/18)で一週間となる。

「先週の金曜日に ・ ・ ・ ・」 という想いが頭をよぎると、

被災された方々にとっては、その瞬間が フラッシュバック !
決して 心地良さや 安堵感は感じない。

毎日辛抱を重ね、次第に落ち着いて考えられるようになったとしても、
その瞬間、悪夢な想いが腹の底を蹴り上げ、一気に頭の中まで
駆け上がっていく、とてつもなく不安な不快感。

決して、その感覚を理解せよ!とは言わないが ・ ・
TVの特番で[ 一週間前のその瞬間!]などと 映像を再放送したり、
「ようやく一週間が過ぎましたね」などとインタビューする事が
無い事を強く願うばかりです。

* * * * *

被災は人生にとっては一大事だが、人生にとって被災は特別な事
ではありません。

人は生きていく途中で、大小を問わず何度かの“被災”を経験する。
例えば、急病で入院加療や手術が必要になったり、交通事故などの
何らかの事故に遭遇して短期的にでも身体の自由が奪われたり、
突然の肉親の不幸、そして突然の倒産・解雇も被災の一つと言って
も過言ではありません。

その影響度や期間は様々ですが、人は誰でも経験する事でしょう。

では、ここからは“被災”を、あなた自身の身に置き換えて考えて下さい。


【 三種類の“被災” 】

どんな“被災”でも、その殆どは 同時に 三種類の“被災”が襲ってきて
います。

1. 物質面の被災 ・ ・ 物 、例えば 食糧や水、車や家の喪失など
2. 生活面での被災 ・ 家族や近所の中での生活や 仕事の喪失など
3. 心理面での被災 ・ 心の中の喪失感、社会からの隔離・差別感

この中で最も注目され、世間全般から多くの支援が集まるのが、1. の
「物質面での被災」に対してサポートです。

次に、公的機関や親族などから一部のサポートを受けるのが 2. の
「生活面での被災」に対するもの。

しかし、3. の 「心理面での被災」つまり “心の被災”は、いつまで
解消できずに永く続くものです。
“その時の想い”が、何かある度に鮮やかに蘇るという経験は誰でも
あると思います。
決して、1年や2年で解決して忘れられるものではない筈。

まして、今回の様な被災であれば、一層に深刻で10年や20年で克服でき
るものではありません。

私達は、自らの経験や想いを元に、深刻な被災の現場にほうり込まれた
ばかりの人達に対して、どのような “人としての接し方” であるべき
かを考えなくてはなりません。


【 交通事故に遭ったとしましょう 】

突然ですが、あなたが道を歩いている時、車に跳ねられたとしましょう。
そう、交通事故に遭遇したのです。
悪い例えかも知れませんが、日常生活の中で誰しも遭遇する可能性は
必ずあるので、この例え話にお付き合い下さい。

* *

急に前触れもなく、宙に放りだされる身体
そして 瞬間とも永遠とも感じられる 非日常的な光景が目の前を過ぎ、
鈍い感覚と共に 大地が身体へ衝突し、動けなくなりました。

意思は極めてはっきりしているのに、頭が回らない。
目も見え、音も聴こえるのに、何かが違う。
“その瞬間”の直前まで、あなたの人生は あなたの人生だった。
でも、今は 急に あなたの人生が見えなくなった !

・・ 事故(被災)とはそういうものです。

そんな時、熱心なマスコミ人が現場近くに居て、たまたま 事故発生
の現場をカメラに収めていたとしましょう。

そして、そのマスコミ人が近づいて来て、カメラを廻したままで
あなたに言います。

「 今、痛いですか? どこが痛いですか? 」
「 今、何が(して)欲しいですか? 」 と 、

そう! マスコミ人は それが使命であり職務だと信じているのです。
“人”として優先されるべき事を考えないままに。

こんな光景は決して稀なことではありません。
きっと今、あなたは毎日見ているでしょう。


【 避難所の無軌道な悪夢 】

避難所 とは、被災した人が命をつなぐために行く場所です。
役場などの行政に指示されて入った人も居るでしょうが、
命からがら逃げ込むように、すがるように入っている人が多く居ます。

他に行く場所に選択の余地は殆ど無いのです。
そこに行くのは、自己防衛本能に導かれるままの結果なのです。

( 事故の後、最寄りの病院に運ばれるのと同じです )

そこで、あなたは様々な処置を受けながら、避難所に入っている自身
を冷静に分析しつつ、失ってしまったものの大きさが信じられず、
深い喪失感の中で溺れてしまいそう中で、一生懸命に生きていく事に
もがいているのです。

* *

そんな時、明るい撮影用ライトと共に先ほどのマスコミ人がやって来て
あなたに問いかけます。

「 今、何が一番足りないですか? 欲しいですか? 」
「 無くしたものは何ですか? 」

* *

少なくとも、報道機関名を名乗り、公的な避難所の責任者に取材許可
を取っているならば、

その避難所で足りない物を訪ねるのは、その場の責任者に尋ねなさい。
各避難所の責任者のインタビューをTVにそのまま流せば、より正確な
情報が多くの人に伝わるし、責任を負って行動している人を正しく
評価してねぎらう事につながる。 それが、あるべき姿だ。

(事故の例えで言えば ・・)

搬送されたベッドの上で、これからの事が無秩序・無制限に頭の中を
駆け廻っている最中に、突然に マスコミ人にインタビューを受けて
「 どこが悪いのですか? 」 「 どんな具合になっているのですか? 」
と訪ねているのと同じである。

※ TV でそんな光景を見たあなたは、何を考え、何をすべきか?


【 “被災者” という人は居ない! 】

避難所は、正にマスコミ人にとっては格好の猟場“スポット”だ。

そこへ行けば、確実に“獲物”がゲットできるからだ。
しかも“獲物”は大勢いるから、取りっぱぐれが無いから安心だ。

そこで、職務意識だけが旺盛なマスコミ人がリポートの中でよく使う
用語が “被災者” だ。

“被災者” という言葉・用語を、どんなに丁寧に使ったとしても、
“被災者”という用語は隔離用語であり差別用語であり、あまりにも
無分別で無理解なままに使う事が “心の被災”を酷くしている事が
認知されていない。

被災した人は誰でも、被災以前の人生へと還りたくてもだえている。
それまでの人生や社会生活の中で、人は誰もが その人らしい考え方、
個性や特技など“パーソナリティ”を築き上げるものです。
人は、独自の“パーソナリティ”があるからこそ、人として認められ
社会の一員として自信を持って生きています。

でも、被災以前の人生を取り戻せない現実と、それ以前からの人生
の延長を歩もうとする意識とのギャップの大きさに面食らい、傷つき
もがき、哀しむものです。

これが、“心の被災”であり、例え 食糧や住居環境が整い、家族と
共に新たな生活が始まった後になっても、ずっと、ずっと 続くもの
です。

それを、マスコミ人は、ただ 避難所に居るだけで、その人独自の
“パーソナリティ”を全く無視して、「あなたは“被災者”」 と
言ってしまい、“パーソナリティ”の回復に協力するのとは逆に
突き落とし、“心の被災”を一層酷くしているだけなのです。

TV取材という、公開リンチを目にした時、あなたは何をしますか?


* * * *

ここまで一気に書いた文章ですから、誤字や脱字があると思います。
そんな中、賛同 or 非賛同 を問わず、読んでくれたあなたに感謝します。

どちらの方向であれ、あなたの心の中に小さな波が生まれたなら、
私の願いが叶った事になります。

1995年1月17日、神戸にて就寝中に自宅全壊の被害に遭い、少なからず
私の人生はその時から変化せざるを得ませんでした。

そして、一番に大きな痛手は、3. の“心の被災”です。
今、現在でも強く残り続けています。

でも、それは決して 「マスコミ人」だけによってもたらされたわけではあり
ません。
「マスコミ人」だけ であるならば、もっと軽く収まったでしょう。

社会を構成する一人一人が、全ての事を自分自身の身に置き換えて、
他の方々の立場や考えを推測し尊重しあえるならば、どんなにか
平穏で平和な社会になる事でしょうか。

直ぐにそれが可能になるとは思いませんが ・・・
こんな機会だからこそ、想いと考えを深めて、“人” としてあるべき
方向へと進む人が増える事を願っています。



3/11 以来、 作成作業は ・ ・ ・

2011-03-17 20:13:51 | Webサイト 作成日記
■ 残念な事に、3/11の震災以来、Webサイト作成作業は殆ど進んでいない
■ 残念と言うのは、震災の発生や死傷した方の人数、そしてそれ以上に
“臨界”マネージメント能力の低さに対して
■ このままでは、被災直後から“臨界”の現場で身の危険を顧みず、破滅への急降下から日本を救おうとして犠牲になった多くの方々の無念が晴らせない、
何かしなくては!

* * * * *

今日(3/17)は、

○ 「心の被災」を重症化させる行為・言動を行ない視聴率を稼ぐマスコミと、そのマスコミの行為へクレームを発しない視聴者達 ・ ・

○ 世界が観ているのは“臨界”マネージメント という表題で、日本政府が行なっている行為のレベルを世界各国がどう観ているのか、話題にしてみたい

以上の 二つのテーマで作成する文章をアップしたい。



30km の “結界” の内側で、(日本を臨界から救う)

2011-03-16 21:39:05 | 日本の被災対応

福島第一原子力発電所を中心として、半径20kmの圏内の住民に避難指示が、
同じく30km以内の住民には 屋内退避を呼び掛けている。

政府に従順な国民性故に、どちらも 「命令」 ではなく 「指示」 お願いと
なっているが、実情は そんなに優しい処置でない事は容易に理解できる。

3/16 付けの NHKニュースでは、30km圏外からの立ち
入りを厳しく制限している様子が伺える。

その上、20km圏内の避難指示を出した日から、新たな航空規制を出して同圏内
への航空機による立ち入りが制限され、現在は30km規制へと変更されている
ようだ。

こうして、地面だけでなく空を含めた 半径30kmの結界(シールド)が張られ
ており、それだけに厳しい状況に備えている事が理解できる。

日本の経済や物流、観光や外交などあらゆる面で大きな影響を残しかねない
“臨界”の現場に立つ日本だが、結界が張られた事によって“一大事”への
対処が更に見え難く不透明になるようでは、決して納得できるものでない。

* * * * *

ようやく、現場での状況がより詳細に分かるようになった。

【 防衛省、自衛隊は当初 200名ほどが現場に 】

政府からの派遣命令を受けて、自衛隊の特殊部隊など200名ほどが現場に
入り、3号機への注水活動などに携わる。
しかし、3号機建屋の爆発事故に巻き込まれ、4名の方が負傷して、内1名の
方が被ばくされて病院へと搬送され、命には別条無いと判断された様子。

しかし、防衛省はこの事故の結果によって、「作業を行なうかどうかを
慎重に判断」との見解を示す。
3/15付 NHKニュース より
3/15付 産経ニュース より

国にとっての“自衛隊”の意義や意味を踏まえた判断を迫りたい。
雪像作りへの貢献は期待しないが、こういう日本の危機の場面に際した
判断が大切である。
こういう“現場”こそ本来の“実戦”現場だと、防衛省のトップだけでなく
国の最高機関は判断すべき時の一つである。


【 厚生労働省の基準緩和によって 181名の方が 】

3/16 厚生労働省の決定により、作業する方の労働基準が緩和されて、東京
電力や関連会社の方々が作業現場により深く関わる事になりました。

しかし、現場での放射能量は爆発事故発生時などに致死量相当の量を計測
している事もあって、作業を担当する方々への負担が一層大きくなる。

臨界の現場に立たず、結界の中にも入らず、指揮をしている人には、
今まで以上に重大な責任が掛かる。
指揮系統の最高責任者は同じ過ちを繰り返す事は今まで以上にしてはなら
ないし、最終的には 事の顛末を事細かく説明する責任を果たすべきだし、
国民は求めなくてはならない。
3/16付 産経ニュース より


【 防衛省、自衛隊でのヘリ作業を断念する 】

福島第一原子力発電所の3号機、使用済み核燃料棒用のプールへの水投下
作業へと臨むが、安全基準を超える環境のために作業を断念する。

防衛省が定めた 自衛隊員の安全基準 ・ ・ 、

日本の臨界の現場での、自衛隊員の安全の意味は、
世界でも トップクラスの防衛費を費やし、国の安全を守るためとして
憲法9条さえはみだし、公海上での交戦の可能性さえ選んだ組織が、
自国の国土の上では ・ ・ ・ ・
3/16付 NHKニュースより 防衛省は作業を断念


【 警察庁、機動隊を出動させる 】

福島第一原子力発電所の4号機の、使用済み核燃料棒用のプールへの放水
作業に 警察庁の機動隊が出動することに。

ただし、防護服は 自衛隊 から借り受けて行なう事に。
3/16付 NHKニュース より 機動隊出動


* * * * *

派遣を要請された米国、原子力関連の専門家を含む部隊を派遣してくれ
るなど協力的だが、その実 この “現場” への警戒感はかなり強い。
実際に、現場から 90km離れた 仙台港への入港を拒否して 新潟港への
入港を選択するほどで、米国だけでなく 世界各国は客観的な立場に
立っての警戒感を隠そうとしていない。

現状のまま解決した場合でも、海外からの日本への出国規制の緩和は
なかなか進まないだろうし、日本からの渡航は場合によっては拒否され
るのは間違いない。

それだけでなく、農産物の輸出はもとより、各種の工業生産物の輸出
さえ “放射能汚染の疑い” によって大きな規制がかかり、現状でも
電力規制などで生産現場の体力が弱っているのに、さらに局面は悪化
する事が容易に想像される。

この様に、震災の画像や被災した人数に気を奪われてしまっている
内に、日本にとっての “臨界” が 目の前で 大きな口を開いている
事をしっかりと自覚して、 真の現場で 日本の危機を食い止めようと
している 人々 に対して、今こそ 私達全員が応援する時なのです。

一緒に見守りつつ、心からの声援を出しましょう!



“友達”にサポート金を届けよう! [六次の隔たり]

2011-03-16 20:49:57 | 日本の被災対応
日本赤十字やNHK など 公共や公共的機関によって、[ 東北沖地震 ]で
被災された方々への募金が“義援金”として募集されています。
これは、9月末までの長期プログラムで運営されている事からも、被災された
方々への支援活動は決して短期間で終了できない事を示しています。

同様の活動は、街頭での募金からコンビニエンスストアでのカウンター募金など
まで広がりをみせており、それらの支援が適正・適当且つ効果的に運用される事
を願うばかりです。

* * * * * * * * *

≪ 以下は、これを読む皆さん 及び 皆さんのご家族やご親族が直接的に ≫
≪ 被災されていないとして書く事をご了承願います ≫

しかし、あえて多くの皆さんに勧めたいのが、“友達”へのサポート金の提供です。

“友達”と言っても普通の友達ではありません。
その友達・知り合いのご家族やご親族が被災され、その友達・知り合いが
そのご家族やご親族の支援を深く考えている、そういう “友達” のことです。

国や公共的機関を通じての支援も悪くはないが、決して細かな所まで対応でき
ない事は簡単に理解してもらえる筈です。

そういう細かい所への対応をしっかりする事が、被災された一人ひとりを単なる
一個の国民・市民として扱うだけの不条理から、その人独自のパーソナリティを
尊重した支援となる事へと繋がるのです。

そして、その人独自のパーソナリティを尊重した支援を行なえるのは、先に述べ
た “友達” に他なりません。

そして、信頼できる “友達” にとっての最大の支援は、活動資金となるお金・
“サポート金” です。
だから、 “友達” を見つけて、サポート金を届けましょう。

これは、私からの提案であり 心からの願いです。


* * *

以上の考え方を、現在の 社会システム的な考え方で説明すると以下のように
なります。

六次の隔たり

◇ 1967年、心理学者 ミルグラム教授によって実験され提唱された説で、
「 人は自分の知り合いを 6人以上介すれば、世界中の人々と間接的に知り合い
になれる 」 というものです。

◇ この考え方は、FACEBOOK など SNSサイト 上で改めて注目されている
もので、「知り合いの知り合いは 知り合い」という具合に、友達の輪を
世界中に広め、参加した人自身の世界を広げていくのに大変に有効です。

◇ だから、身の周りの友達の中に “友達” が居なくても、 友達の友達には
居るかも知れません。 少し、努力して “友達” を探してみるだけで、社会的
に大きな貢献につながるでしょう。

◇ 現地へボランティとして行く事も良い事かも知れませんが、震災前からの
パーソナリティを回復させたいと願っている被災した方々に対して、適切な対応
が出来るものではありません。 しかし、震災前からのパーソナリティをしっかり
と理解して親しんできた“友達”であれば、しっかりとした対応が出来るのです。


P2P (ピァツーピァ)

◇ この言葉は、インターネットなど通信方式上の独自の考え方を示すもので、
前記の言葉よりも理解が難しいと思いますので、説明は簡単にまとめます。

◇ 通常、一般的に行なわれてきた インターネット上での通信方式は、
「クライアントサーバ方式」といって、ネットワークの中心に サーバ という
大き装置を置くもので、 サーバを通じないと PC から PC への送信連絡や
データ受信が出来ないものです。

◇ 一方、 「 P2P 方式 」は PC と PC を直接に結び付けた 大きなネット
ワークを サーバ無しで構成するもので、IP電話(インターネット電話)や
動画配信サービス(Youtube など)での活用に適したシステムとして多く運用
されています。

◇ 従来の「クライアント サーバ」方式が 政府などの大きな組織を頼っている
方式だとすれば、「P2P」はそういう組織を頼らずより直接的かつ自発的な運用
システムと言えます。 従来の組織に頼った活動だけに終わらず、自発的な活動
に参加する事によって、お互いに補完しあえる社会的な活動になると信じています。