今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ヤン坊マー坊天気予報が開始された日

2009-06-01 | 歴史
『ヤン坊マー坊天気予報』は、民放テレビ局で放送されているヤンマー(旧・ヤンマーディーゼル)の1社提供による気象情報を伝える番組であり、1959(昭和34)年の気象記念日にあたる6月1日よりスタート、以来長期にわたり放送され、「天気予報」番組と言えば、この番組を思い出すほど慣れ親しんできた番組であるが、今日・2009年(平成21年)6月1日で放送開始から50周年を迎えた。
『ヤン坊マー坊天気予報』と言えば、すぐに思い出すのが、双子の兄弟ヤン坊とマー坊の愛くるしいキャラクターと、「ヤン坊マー坊の唄」である(歌詞と譜面はここ)。
僕の名前はヤン坊
僕の名前はマー坊
ふたりあわせてヤンマーだ
君とボクとでヤンマーだ・・・♪
この歌の作詞は、当時のヤンマー宣伝部長であった作詞家能勢英男が担当し、作曲は、美空ひばりの『りんご追分け』や『365歩のマーチ』などの名曲で知られる米山正夫
ヤン坊とマー坊のキャラクターは、ヤンマーのHPの記載によると、1959年(昭和34年)の当時から今日まで、大阪在住のアニメーター中邨靖夫氏によって制作されているようだが、初期にはスマートに描かれていたが、その時代・流行とともに様々に変化し、1960年代後半から今日に見られるような2頭身で描かれている。冒頭に貼付の画像は私が、貯金箱のコレクションとして所持しているものであるが、ヤンマーHPに掲載分と比較すると、どうやら、1968(昭和43)年デザイン変更時のもののようだ。私にはこの時のデザインの方がそれ以降のデザインよりも、よく見えるのは、自分が持っているからの贔屓目だろうか?
この双子のヤン坊マー坊の見分け方として、洋服に「Y」の字がヤン坊、「M」の字がマー坊であることは、すぐにわかるが、もう1つ髪型(モミアゲ、前髪、後ろ髪)の形の違いがあり、冒頭・貯金箱の画像の向かって左側がヤン坊、右側がマー坊と言うことらしい。
そして、このキャラクターの性格付けとして、お兄ちゃんのヤン坊は、“本を読むのが好き。でも、天気のいい日は外で遊ぶのが好き。スポーツも、サッカーはもちろん野球、スキー、何でも大好き。食べ物は好き嫌いがなく、何でもオイシク食べ、何をするにしても慎重なタイプ。それに、誰にも負けないくらいのアイデアマンで、新しい遊びを考えたりするのがとっても得意。ただ、オバケやこわい話しが苦手”・・・だそうだ。
弟のマー坊は、“TVゲームやラジコンを操作するのが大好きで、好奇心が旺盛。でも、少しアワテモノ。持ち前の冒険心もあって、危険なところでも平気。食べ物は「ゴハンがあればOK!」という感じで、朝からモリモリ。魚も大好き。そして、ケンカが大嫌い。何に対しても研究熱心で、いま研究していることは、自然、宇宙、生物のことなど。”・・・だって・・。このキャラクターを創出した中邨靖夫氏は、「いずれ、2人が主役の長編アニメ映画をつくってみたい」と言っているそうだ。
現在のヤンマーは1912(大正元)年 創業者の山岡孫吉によって、「山岡発動機工作所」(大阪市)として創業したのが始まり。滋賀の農村出身の山岡氏は1921(大正10)年、動力もみすり機に載せるための小型石油エンジンを開発。山岡氏は当初稲穂の揺れる水田で見られるトンボを豊作の使者と見ており、商標を、「トンボ印」としたという。
ちょっと余談になるが、「トンボ」の名前の謂れには、一説に「稲穂が飛んでいる様に見えたから」とも言われている。又、戦国の武将たちは、トンボは、前にしか進まず退かないところから「勝ち虫」とよばれ縁起物とされていたことは、私も骨董店の主人などからよく聞かされていた。だから、骨董の図柄にはトンボが多いが、素人には綺麗と思われる蝶などは逆に不吉なものの象徴として描かれない。陶器類に蝶の図柄が描かれるのは明治以降のことだと教えられた。
しかし、この「トンボ」の商標が、他社から商標権の侵害と訴えられたようで、その時、同郷の後輩でもある社員から「いっそトンボの親玉のヤンマにしたら」と提案があり、音も山岡にているので、呼びやすいように「ヤンマー」とのばし、同年に商標登録したのが「ヤンマー」(のちの社名にもなる)の始まりだそうだ。開発した石油エンジンを搭載した動力もみすり機は良く売れたそうだが、石油エンジンの事故が相次ぐが、1932(昭和7)年ドイツの見本市で安全性が高く燃料費も安いディーゼルエンジンを見つけたが、大きすぎるのでそれを技術改良し、翌・1933(昭和8)年には、小型ディーゼルエンジンの自社開発に成功。その後、中・高速型のディーゼルエンジンとこれを利用した農耕機から小型船舶、空調機などにも搭載し業績を伸長してきた。社名は1952(昭和27)年に「ヤンマーディーゼル株式会社」に変更、2002(平成14)年には、「ヤンマー株式会社」と改めたが、「効率良い農作業で豊かな国を」という創業期の思いは今も変らないという。
1959(昭和34)年に始めた初のテレビCMは、農作業に欠かせぬ天気予報であった。CMはとりわけ稲作用の農業機械(田植機・コンバイン・トラクターなど)が多い。
だから、CMは、主に農家の人達が見やすいローカルの夕方の時間帯の枠に放送された。そして、硬い企業のイメージを変えようと登場させたのが、かわいい双子のキャラクター、ヤン坊とマー坊であり、以来半世紀近くこの双子は、まるでトンボのように親しみやすく軽やかな印象を見ている人に与え、このCMは、農村部(または農業の盛んな地域)では身近な機械の宣伝の場となり、(農業が身近ではない)都市部では農業を知る機会の一つとなった。
「ヤン坊マー坊の唄」の後半部分は、“農家の機械もみなヤンマー、漁船のエンジンみなヤンマー、ディーゼル発電、ディーゼルポンプ、建設機械もみなヤンマー、小さなものから大きなものまで動かす力だヤンマーディーゼル。”・・だよね。
そういえば、この歌をつくった作詞家能勢英男と米山正夫作曲による『赤いトラクター』と言う歌があったね。あの歌手から映画俳優で売り出したばかりの小林旭が、ヤンマーの農業用トラクターシリーズのTVCMに出演、自らが歌ったこのCMソング『赤いトラクター』が大ヒットした。このときライバルのクボタのトラクターのCMには橋幸夫が出ていたよね~。これも赤い色のトラクターだったが、このような赤い色のトラクターは、今も健在のようだが、瑞穂の国の大地にはこのような色が映えるのだろう。ネットで検索していたら小林旭の歌が見つかったよ。当時の甲高い声・・懐かしいね~。ついでにちょっと聞いてみようよ。
YouTube - 燃える男の赤いトラクター
http://www.youtube.com/watch?v=0kbiPe4P12o
ヤマハのホームページにアクセスすれば、50周年記念グッズのプレゼントなど色々案内されているので、もう少し前の若い頃の私なら、喜んで応募しているのだけれどね~。
もう、この頃は、今までのコレクションでさえも、家人などからは、適当に処分するよういわれているぐらいなので、もうこれ以上増やせず残念ながら諦めたよ・・・。
(画像は、マイ・コレクションより、ヤンマーディーゼルのヤン坊マー坊貯金箱、ペアー、H:14㎝、箱入り)
参考:
YANMARホームページ
http://www.yanmar.co.jp/
ヤン坊マー坊天気予報 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%B3%E5%9D%8A%E3%83%9E%E3%83%BC%E5%9D%8A%E5%A4%A9%E6%B0%97%E4%BA%88%E5%A0%B1
天気予報 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B0%97%E4%BA%88%E5%A0%B1
ひと:中邨靖夫さん ヤン坊マー坊を描いて50年 - 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/opinion/hito/news/20090530k0000m070139000c.html
籾すり機 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%BE%E3%81%99%E3%82%8A%E6%A9%9F
赤いトラクター 小林旭 歌詞情報 - goo 音楽
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND40048/index.html