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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

日本プロ野球史上初の天覧試合が行なわれた日

2009-06-25 | 歴史
1959(昭和34)年6月25日、昭和天皇・皇后両陛下が後楽園球場で行なわれた巨人ー阪神戦を初めて観戦された。この日が、プロ野球誕生以来初めての天覧試合であった。2005年の5月25日に、記念日「天覧試合」として書いたが、その時は、長島のことを中心に書いた。今回は、「天覧試合」を歴史の観点から書きました。前に書いた記念日「天覧試合」はここを見てください。
前年11月皇室会議で、皇太子(明仁親王)妃に正田美智子さんが決定され、この年・1959(昭和34)年4月10日皇太子御成婚。この年前半はミッチーブームで日本中が沸いた。美智子様のファッションが真似され、テニスが流行り、結婚式とパレードを茶の間で見ようとテレビが爆発的に売れ、岩戸景気に火がついた。都市部の会社へ通うサラリーマンたちに話題を提供する週刊誌も電車の中で手頃に読めることからブームとなるが、テレビ時代の到来は、戦後ベビーブーム時代の子供たちの日常生活にまでウイークリー感覚を定着させた。そして、めまぐるしい時代の変化に対応して、子供の世界でも週単位の情報娯楽雑誌への関心を呼び起こし、「週刊サンデー」「週刊少年マガジン」など新しいものが次々発刊され、野球などスポーツへの関心も深めさせた。
1957(昭和32)年、春の甲子園全国選抜高校野球大会で投手として活躍し、早稲田実業高優勝に貢献した王貞治(この時2年生)が翌1958(昭和33)年巨人(東京讀賣巨人軍)と入団契約を結び、この年・1959(昭和34)年のシーズンよりデビュー(当初は投手、直ぐに打者に転ずる)。又、関西大学のエース村山実も、阪神(この時大阪タイガース)に入団デビューした。東京六大学野球で立教大学の選手として活躍していた長嶋 茂雄は、1957(昭和32)年巨人軍に入団し翌シーズンより三塁手としてプレイ既に巨人の中心選手として活躍していた。これらスター選手の入団でプロ野球界も活気付いていた。特に伝統の巨人ー阪神戦では、「ザトペック投法」の阪神の新人・村山投手と巨人長嶋選手との対決も期待されていた。
1959(昭和34)年、6月25日、後楽園球場で巨人対阪神(1961年より阪神タイガース)による「伝統の一戦」が天覧試合として催された。昭和天皇・香淳皇后が後楽園球場のバックネット裏貴賓席に来場し、19時より試合が開始された。この模様は日本テレビ(解説・南村侑広、実況・越智正典)とNHKテレビ(解説・小西得郎、実況・志村正順)にて全国生中継が行われた。
この試合は巨人・藤田、阪神・小山の両エースの先発で始まったが、まず3回、小山投手自らのタイムリーで阪神が1点を先取。すかさず、5回裏巨人の4番長嶋が小山から同点本塁打とすると、続く5番・坂崎も本塁打を打ち2 対1と逆転。 しかし阪神も6回表すぐに反撃し、三宅の適時打と藤本の一発で2対4と再逆転をするが、7回裏、巨人の6番・が同点本塁打(「ONアベック弾」第一号)を放ち再び4対4の同点とした。ここで、阪神は新人の村山をリリーフに送る。以後、巨人のベテラン藤田との投手戦が続き、伝統の一戦にふさわしい緊迫した雰囲気の中同点のまま最終回を迎えた。そして、9回の裏、先頭打者として長嶋が打席に入ったのは21時12分。これまでの対戦成績では分の悪かった村山に、カウント2-2とされた後、村山が渾身の力を込めて投げた高めを打った球がレフトスタンドポール際ぎりぎりに飛び込んだ。これがホームランと判定され、巨人が逆転勝利をしたのであるが、打たれた、村山は、最後の最後まで、あれはファールだったと言い張っていたと聞く。気の強い村山らしい逸話ではある。以下ではこの時の試合を当時の長島、村山、山本哲也(当時の捕手)他懐かしい選手等の回想で見れるよ。
天覧試合―Googleビデオ
http://video.google.co.jp/videosearch?hl=ja&q=%E5%A4%A9%E8%A6%A7%E8%A9%A6%E5%90%88&lr=&um=1&ie=UTF-8&ei=oSY7SrbFAoPc7AO7j-2uDg&sa=X&oi=video_result_group&resnum=4&ct=title#
この日天皇・皇后が野球観戦できるのは21時15分までであったため、延長戦に突入した場合、天皇は試合結果を見届けられず、途中退席になる可能性があったが、そのギリギリの時間に試合結果を見届けた上で、球場を後にすることが出来た。かってスポーツでは、アマチュアの野球に対して、日本の職業野球などは卑しいものと下に見られていたが、1953(昭和28)年、後楽園での巨人対阪神戦が初めてテレビ中継されるようになるとやっと人気も出始めていた。
後楽園球場は、1950(昭和25)年に、ナイター設備を設置していたが、1958(昭和33)年には、両翼を78mから90mに拡張するなど施設の整備に努めた。昭和天皇は水道橋方向(後楽園球場)を眺めていた時「あの灯りは何か?」と侍従に尋ねると「プロ野球のナイター試合であります」と答えたのに関心を示したことを、伝え聞いた、巨人軍のオーナーでもあり読売新聞社社主でもあった故・正力松太郎が、これを、「野球人気を高めるための絶好の機会にしよう」と考え、と宮内庁に天覧試合開催を画策し、実現したものだそうだ(Wikipedia)。
日本のプロ野球が、天皇皇后両陛下のこの天覧試合によって、日本を代表する人気プロスポーツとしての地位を一気に得る契機となったことはたしかだろう。
昭和天皇は、皇太子時代から大変な好角家(相撲ファンの通称で、相撲通の別称)であり、皇太子時代には当時の角界に下賜金を与えて幕内優勝力士のために摂政賜杯を作らせており、天皇即位に伴いその摂政賜杯は、天皇賜杯と改名された。観戦することも多く、戦前戦後合わせて51回も国技館に天覧相撲に赴いており、特に戦後は1955(昭和30)年以降、病臥する1987(昭和62)年までに40回、ほとんど毎年赴いていたのだとう。
それに対して、野球では、1929(昭和4)年の早慶戦、1947(昭和22)年の第18回全国都市対抗野球大会、1950(昭和25)年の早慶戦に次ぐ4度目の野球観戦がこの日のプロ野球巨人阪神戦であった。これ以降、プロ野球公式戦では天覧試合は行われていないが、1966(昭和41)年11月8日の日米野球、ドジャース戦が天覧に付されている。この試合でも長嶋は本塁打を放った。長島は本当にこのような大舞台に強い選手であった。
そもそも、天覧試合とは、天皇・皇后が観戦される武道の試合やスポーツの競技のことである。
京都の平安神宮は「平安奠都(てんと。ここ参照)1100年行事」の記念殿、また、その年の秋、京都岡崎で開催の第4回内国勧業博覧会のパビリオンとして、平安京大内裏の正庁である朝堂院にあった建物を約5/8に縮小して復元し、1895(明治28)年3月15日に造られたもの(当時の博覧会場の様子は以下参考に記載の「都市史29 京都の博覧会」の第四回内国勧業博覧会場図を参照)。これを、後に神社として転用。当時の天皇であった桓武天皇を祀る神社として創祀したものである。京都三大祭りの一つである「時代祭」はこの創建を記念して、平安京遷都の日である10月22日に行われるようになったもの。
この年4月、平安奠都1100年行事の一環として、日本固有の武術(日本の伝統的な武術である古武術)を保存奨励し、武徳の涵養(かんよう。少しずつ養い育てること)と国民の士気の振作(しんさく。ふるいおこすこと。盛んにすること。)に寄与することを目的に民間団体大日本武徳会というものが設立された。当初は、天皇の行幸に合わせて、天覧試合の開催を目的とする団体であったが、天皇の行幸が中止となったため、全国組織として展開することに方針を転換。本部を平安神宮境内に置き、陸軍参謀総長小松宮彰仁親王を総裁に、初代会長には京都府知事渡辺千秋、副会長に平安神宮宮司壬生基脩(みぶもとなが)が選ばれた。また、支部を全国の各道府県に置き、知事をその支部長に委嘱。当面の事業としては、同神宮境内に武徳殿を建立し、毎年京都で武徳祭および大演武会が開催されたようだ。1909(明治42)年には、財団法人化し、組織の強化がはかられ、名実ともに武術を統轄する団体となり、その後は武術教員養成所(後の武道専門学校)も開設され、「東の講道館、西の武徳殿」と評されるほど日本の武道の中心的存在となっていった。その後剣道や柔道の天覧試合が行なわれ、なかでも、1940(昭和15)年6月、皇紀2600年(紀元二千六百年記念行事参照)の天覧試合は盛大に行なわれた。以下参考に記載のDVD「昭和天覧試合」では、1929(昭和4)年5月に行われた「御大礼記念武道大会」、1930(昭和5)年5月の「台覧試合」、1940(昭和15)年6月の「紀元二千六百年奉祝記念武道大会」などが収録されているそうだ。
しかし、1941(昭和16)年12月22日、太平洋戦争が開戦されると、本部は京都の武徳殿から東京の厚生省内に移転、政府の外郭団体として新たな大日本武徳会として再編され、銃剣道、射撃道なども加えた、いわゆる「武道の戦技化」が推進されるようになった。そして、終戦後、大日本武徳会はGHQから解散命令を受け、武道専門学校も閉校されたという。
(画像は1959(昭和34)年、6月25日の昭和天皇初のプロ野球観戦、左:貴賓席で観戦中の天皇。右:巨人長島が阪神村山からサヨナラホームランを放ったところ。アサヒクロニクル「週刊20世紀」よ)
参考:
天覧試合 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E8%A6%A7%E8%A9%A6%E5%90%88
岩戸景気-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%88%B8%E6%99%AF%E6%B0%97
東京ドームの歴史
http://www.tokyo-dome.co.jp/dome/history/index.htm
早慶戦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A9%E6%85%B6%E6%88%A6
都市対抗野球大会 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%AF%BE%E6%8A%97%E9%87%8E%E7%90%83
平安神宮 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E7%A5%9E%E5%AE%AE
大日本武徳会公式HP
http://www5d.biglobe.ne.jp/~logical/dainihon.htm
Yahoo百科事典「大日本武徳会」
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%AD%A6%E5%BE%B3%E4%BC%9A/
都市史29 京都の博覧会
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi29.html
京都府剣道連盟武徳殿について
http://www.kyoto-kenren.or.jp/butokuden/index.html
昭和天覧試合(剣豪たちの神技)
http://www.queststation.com/products/DVD/SPD-8602.html