1909(明治42)年6月23日の今日スリの親分仕立屋銀次(したてやぎんじ)が検挙された。
スリ(掏摸、掏児)というのは、他人の懐などから金品などを気づかれないようにかすめとる行為、また、それを行う者を言うが、刑法上は窃盗罪の一種である。
あの盗賊として有名な石川五右衛門について、安土桃山時代から江戸時代初期の20年ほど日本に貿易商として滞在していたとうアビラ・ヒロンの記した『日本王国記』には、かつて都(京都)を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ京都の三条河原で生きたまま油で煮られたとの記述があり、ここにイエズス会の宣教師として日本に滞在していたペドロ・モレホンが注釈を入れており、この盗賊処刑の記述に、「この事件は1594年のことである。油で煮られたのは「Ixicava goyemon」とその家族9人ないしは10人であった」と記してあり、釜茹での刑に処されたのが石川五右衛門であるとしている。
又、戦国から江戸時代初期の公家、山科言継の日記「言継卿記』の文禄3年8月24日の条に、「正午天晴、盗人スリ十人また一人者釜にて煮らる」とあり、この1人煮られたのは五右衛門であるが、ここでは、盗人とスリとを区別している。当時のスリ、無頼の徒は道行くひとにすりよって悪事をなし、携帯品をかすめ取るので、スリと呼ばれていたが、貞享、元禄頃、「巾着切り」の名前になって巧妙化したようだ。このスリ・巾着切りのことを、『摂陽奇観』(浜松歌国編)巻四十六には、「或日チボ四人、道頓堀・島之内辺を騒がし」とあるように京阪神地方では「チボ」ともよぶ。
明治以前、スリは町人の町全盛時の大坂に多く、技量の点でも上方がスリの本場であったようだが、明治維新となり、東京に人口が集中し、スリの恐れた武士の帯刀が禁じられ、富豪も増えたことから、スリも上方から東京に所がえするものが多くなり、明治20年頃、京阪のスリが非常に多く東京に集まっていたようだ。当時、東京には仕立屋銀次などスリの三大勢力があったようで、警視庁もこれらすり集団に相当苦慮していた模様である。
私は、子供の頃から時代劇映画が大好きで、長谷川一夫の映画など殆ど欠かさず身に言っていたが、その中に、川口松太郎の小説を元に三隅研次監督による「七つの顔の銀次」(1955年)がある。髷をつけない長谷川の映画に新鮮さを覚えたものだ。映画は、“三年前スリ渡世から足を洗って、今は堅気の仕立屋になっている銀次の許へ、以前の親分の死後落目の笹安一家を盛り返すため、銀次をお新の婿に迎え、二代目を継いで欲しいという話があった。先代の恩義ありとは云え、一旦堅気になると心に誓った銀次はすげなくこれを断った・・・のだが・・・。顔見知りの国武刑事から出頭を命ぜられた銀次は、畠中署長から、もう一度昔のスリに返って、盗まれた陛下御下賜の金時計を取り返してほしいと依頼を受けた。もしその品が海外へでも出れば盗まれた当人も生きていられないだろうし、又その人こそ銀次のひそかに愛する京子の父と知ると、銀次もあれほど固く禁じた掏摸の技術をもう一度だけ使うことに・・・そして最後、横浜で外人に売られた金時計を危機一髪のところを怪我しながら取り戻す・・・。日本映画史上に燦然と輝く二枚目スター・長谷川一夫主演作である。明治30年代の東京を舞台に、ある時は紳士に書生に遊び人と、七つの顔を持つ男・銀次の活躍を描いた映画である(goo-映画参照)。
この当時、白昼公然とすりが跋扈しているにもかかわらず東京市内で彼らの親分が捕まったことはなくそれを「奇怪きわまる現象」として東京市民は憤慨していたというが、それもそのはず、警察の中には一味と結託する者や利用する者があり、万一親分が検挙されても子分が所轄館内に入り込み、窃盗、強盗、強姦、放火、すりと不法の限りを尽くして蔭に恐喝。そんな脅しをおそれて放免するのが常だったという。
中でも、仕立屋銀次こと富田銀次といえば、「日本一にて次いで湯島吉あり、深川に宍倉ありの三あり、山の手に伊藤あれど、近来縄張りの範囲紊乱(びんらん=乱れること。乱すこと。)し、銀次は以前箱師(車内専門のすり)を専門とせるが、近頃は各地各方面に手を広げ、家に十万に近き財産を蓄えて本所区に数十戸の地所家作を有し、さながら大富豪の生活をなし居れり」と当時の東京日日新聞では報道しているという。元は仕立屋だったが、根岸に住むスリの親分清水の娘と結婚し、19年前に親分となった。東京市内だけで子分は250余人、京阪地方から上京したスリも必ず銀次の元に寄って渡りをつける。財産をなした上は、上は北豊島軍日暮里村の村会議員となり、名誉職を利用して上流社会に入り込んで一代悪事をと深謀遠慮を巡らしていた。
1909(明治42)年6月21日、午後7時頃、赤坂に住む柏田盛幸・前新潟県知事が、帯に挟んだ伊藤博文公からの記念の時計を電車内ですりとられ、赤坂署に届け出た。本堂四郎署長は「どんな事情が警察の一部とスリ仲間との間にあるか知らないが、断じて姑息な手段に出ず、この好機を利用して一代検挙を行なう」と大英断を下した。しすて、銀次が日暮里の大邸宅に妾を囲いそこを本営とし日夜子分が50人くらい出入してえうところを今日・23日の午前10時に襲いついに逮捕した。その時の格好は丸顔5部刈り、鼻下に八の字ひげをたくわえ、フラノの単衣にセルの単羽織、鼠縮緬(ねずみ色の一面に細かなしぼを出した絹織物)の兵児帯に紺たびをはき、黒の山高帽、左の薬指に白金の指輪、甲斐絹(かいき=海気)細巻きの洋傘と、一見立派な紳士であった。赤坂署では署長自身が銀次らを取り調べ、一方で子分やその他親分株次々と検挙。銀次は例の如く「今度だけは許されたい」と哀訴歎願したが署長ははねつけ「警察界の大痛快時!」と市民は拍手したという。
捜査が進むにつれ、一大秘密結社のようなおおがかりな組織が浮かび上がった。「金融機関」として質店を開かせ、故売人と連絡して関西と盗品の交換をする。盗品変造には貴金属商、紺屋(染め物屋)、仕立屋などがあたり、文書の往復や盗品の送受に通信機関を設け、電話を架設し、遊興には待合(待合茶屋)を開いて芸妓出張所を営業し、社会的には赤十字功章者となるなど、警察の目を巧みに逃れていたという(朝日クロニクル『週刊20世紀』)。
時代劇などでは美人の女スリが登場し、つかまってもお目玉程度解放されたり、逆に、スリの特技を生かして善玉主役の手助けをし大活躍となどしてみたり、スリなどと言うと、ちょっとお金持ちから掠め取る程度の愛嬌のある犯罪など考えるが、明治のころには、こんな凄いスリの親分がいたのだよね~。そして、凄くおおがかりな組織を作り、表面上は善人ぶっていたわけだ。
太平洋戦争で負けた戦後の日本では、焼け野原となった街で両親を失った子供たちの、食べてゆくためのスリならぬかっぱらいなどが横行していたが、街には、見ただけで、その筋の人とわかる人達もごろごろしていた。しかし、最近は、そのような一目で見て悪とわかるような人は見かけなくなった。日本を代表するような組関係は、皆、表面的には色々な企業を経営しているようであり、日本の代表的な自動車産業・トヨタ並みいやそれ以上の収益を上げていると聞く。だから、そんな組織の下っ端が、つまらぬことに手を出して、警察の手入れが入ると困るので、そのようなことに手を出した下っ端などは組織の中で処理されてしまうのだとも聞いている。要するに、表と裏を使い分け表面上は悪い奴がいなくなった。今や、官僚も政治家も、名のある大企業なども似たり寄ったりじゃ~ないのかな~。裏を覗くと・・・。いや、今の世の中見ていると、かえって、官僚や政治家などの方が逆に自浄能力がないのかもしれない・・・などと考えたりさえするのだが・・・。
(画像は、BIDEO映画「七つの顔の銀次」【1955年】。写真は主役仕立屋銀次を演じる長谷川一夫)
参考:
スリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA
石川五右衛門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
ち行かさたはま
http://www.eonet.ne.jp/~pilehead/osaka_word/text/honbunti.htm
日本王国記 日欧文化比較
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/0085110.html
『日本におけるキリスト教に対する迫害』
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/senk37.htm
長谷川一夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E4%B8%80%E5%A4%AB
七つの顔の銀次(1955) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24408/
「羽二重団子・6代目庄五郎・第3回だんご寄席,上根岸町近傍図(其の二)」
http://www.habutae.jp/event/event_3.html
「いまならいくら?(明治、大正、昭和の消費者物価)」
http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml
伊藤博文 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87
スリ(掏摸、掏児)というのは、他人の懐などから金品などを気づかれないようにかすめとる行為、また、それを行う者を言うが、刑法上は窃盗罪の一種である。
あの盗賊として有名な石川五右衛門について、安土桃山時代から江戸時代初期の20年ほど日本に貿易商として滞在していたとうアビラ・ヒロンの記した『日本王国記』には、かつて都(京都)を荒らしまわる集団がいたが、15人の頭目が捕らえられ京都の三条河原で生きたまま油で煮られたとの記述があり、ここにイエズス会の宣教師として日本に滞在していたペドロ・モレホンが注釈を入れており、この盗賊処刑の記述に、「この事件は1594年のことである。油で煮られたのは「Ixicava goyemon」とその家族9人ないしは10人であった」と記してあり、釜茹での刑に処されたのが石川五右衛門であるとしている。
又、戦国から江戸時代初期の公家、山科言継の日記「言継卿記』の文禄3年8月24日の条に、「正午天晴、盗人スリ十人また一人者釜にて煮らる」とあり、この1人煮られたのは五右衛門であるが、ここでは、盗人とスリとを区別している。当時のスリ、無頼の徒は道行くひとにすりよって悪事をなし、携帯品をかすめ取るので、スリと呼ばれていたが、貞享、元禄頃、「巾着切り」の名前になって巧妙化したようだ。このスリ・巾着切りのことを、『摂陽奇観』(浜松歌国編)巻四十六には、「或日チボ四人、道頓堀・島之内辺を騒がし」とあるように京阪神地方では「チボ」ともよぶ。
明治以前、スリは町人の町全盛時の大坂に多く、技量の点でも上方がスリの本場であったようだが、明治維新となり、東京に人口が集中し、スリの恐れた武士の帯刀が禁じられ、富豪も増えたことから、スリも上方から東京に所がえするものが多くなり、明治20年頃、京阪のスリが非常に多く東京に集まっていたようだ。当時、東京には仕立屋銀次などスリの三大勢力があったようで、警視庁もこれらすり集団に相当苦慮していた模様である。
私は、子供の頃から時代劇映画が大好きで、長谷川一夫の映画など殆ど欠かさず身に言っていたが、その中に、川口松太郎の小説を元に三隅研次監督による「七つの顔の銀次」(1955年)がある。髷をつけない長谷川の映画に新鮮さを覚えたものだ。映画は、“三年前スリ渡世から足を洗って、今は堅気の仕立屋になっている銀次の許へ、以前の親分の死後落目の笹安一家を盛り返すため、銀次をお新の婿に迎え、二代目を継いで欲しいという話があった。先代の恩義ありとは云え、一旦堅気になると心に誓った銀次はすげなくこれを断った・・・のだが・・・。顔見知りの国武刑事から出頭を命ぜられた銀次は、畠中署長から、もう一度昔のスリに返って、盗まれた陛下御下賜の金時計を取り返してほしいと依頼を受けた。もしその品が海外へでも出れば盗まれた当人も生きていられないだろうし、又その人こそ銀次のひそかに愛する京子の父と知ると、銀次もあれほど固く禁じた掏摸の技術をもう一度だけ使うことに・・・そして最後、横浜で外人に売られた金時計を危機一髪のところを怪我しながら取り戻す・・・。日本映画史上に燦然と輝く二枚目スター・長谷川一夫主演作である。明治30年代の東京を舞台に、ある時は紳士に書生に遊び人と、七つの顔を持つ男・銀次の活躍を描いた映画である(goo-映画参照)。
この当時、白昼公然とすりが跋扈しているにもかかわらず東京市内で彼らの親分が捕まったことはなくそれを「奇怪きわまる現象」として東京市民は憤慨していたというが、それもそのはず、警察の中には一味と結託する者や利用する者があり、万一親分が検挙されても子分が所轄館内に入り込み、窃盗、強盗、強姦、放火、すりと不法の限りを尽くして蔭に恐喝。そんな脅しをおそれて放免するのが常だったという。
中でも、仕立屋銀次こと富田銀次といえば、「日本一にて次いで湯島吉あり、深川に宍倉ありの三あり、山の手に伊藤あれど、近来縄張りの範囲紊乱(びんらん=乱れること。乱すこと。)し、銀次は以前箱師(車内専門のすり)を専門とせるが、近頃は各地各方面に手を広げ、家に十万に近き財産を蓄えて本所区に数十戸の地所家作を有し、さながら大富豪の生活をなし居れり」と当時の東京日日新聞では報道しているという。元は仕立屋だったが、根岸に住むスリの親分清水の娘と結婚し、19年前に親分となった。東京市内だけで子分は250余人、京阪地方から上京したスリも必ず銀次の元に寄って渡りをつける。財産をなした上は、上は北豊島軍日暮里村の村会議員となり、名誉職を利用して上流社会に入り込んで一代悪事をと深謀遠慮を巡らしていた。
1909(明治42)年6月21日、午後7時頃、赤坂に住む柏田盛幸・前新潟県知事が、帯に挟んだ伊藤博文公からの記念の時計を電車内ですりとられ、赤坂署に届け出た。本堂四郎署長は「どんな事情が警察の一部とスリ仲間との間にあるか知らないが、断じて姑息な手段に出ず、この好機を利用して一代検挙を行なう」と大英断を下した。しすて、銀次が日暮里の大邸宅に妾を囲いそこを本営とし日夜子分が50人くらい出入してえうところを今日・23日の午前10時に襲いついに逮捕した。その時の格好は丸顔5部刈り、鼻下に八の字ひげをたくわえ、フラノの単衣にセルの単羽織、鼠縮緬(ねずみ色の一面に細かなしぼを出した絹織物)の兵児帯に紺たびをはき、黒の山高帽、左の薬指に白金の指輪、甲斐絹(かいき=海気)細巻きの洋傘と、一見立派な紳士であった。赤坂署では署長自身が銀次らを取り調べ、一方で子分やその他親分株次々と検挙。銀次は例の如く「今度だけは許されたい」と哀訴歎願したが署長ははねつけ「警察界の大痛快時!」と市民は拍手したという。
捜査が進むにつれ、一大秘密結社のようなおおがかりな組織が浮かび上がった。「金融機関」として質店を開かせ、故売人と連絡して関西と盗品の交換をする。盗品変造には貴金属商、紺屋(染め物屋)、仕立屋などがあたり、文書の往復や盗品の送受に通信機関を設け、電話を架設し、遊興には待合(待合茶屋)を開いて芸妓出張所を営業し、社会的には赤十字功章者となるなど、警察の目を巧みに逃れていたという(朝日クロニクル『週刊20世紀』)。
時代劇などでは美人の女スリが登場し、つかまってもお目玉程度解放されたり、逆に、スリの特技を生かして善玉主役の手助けをし大活躍となどしてみたり、スリなどと言うと、ちょっとお金持ちから掠め取る程度の愛嬌のある犯罪など考えるが、明治のころには、こんな凄いスリの親分がいたのだよね~。そして、凄くおおがかりな組織を作り、表面上は善人ぶっていたわけだ。
太平洋戦争で負けた戦後の日本では、焼け野原となった街で両親を失った子供たちの、食べてゆくためのスリならぬかっぱらいなどが横行していたが、街には、見ただけで、その筋の人とわかる人達もごろごろしていた。しかし、最近は、そのような一目で見て悪とわかるような人は見かけなくなった。日本を代表するような組関係は、皆、表面的には色々な企業を経営しているようであり、日本の代表的な自動車産業・トヨタ並みいやそれ以上の収益を上げていると聞く。だから、そんな組織の下っ端が、つまらぬことに手を出して、警察の手入れが入ると困るので、そのようなことに手を出した下っ端などは組織の中で処理されてしまうのだとも聞いている。要するに、表と裏を使い分け表面上は悪い奴がいなくなった。今や、官僚も政治家も、名のある大企業なども似たり寄ったりじゃ~ないのかな~。裏を覗くと・・・。いや、今の世の中見ていると、かえって、官僚や政治家などの方が逆に自浄能力がないのかもしれない・・・などと考えたりさえするのだが・・・。
(画像は、BIDEO映画「七つの顔の銀次」【1955年】。写真は主役仕立屋銀次を演じる長谷川一夫)
参考:
スリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA
石川五右衛門 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E4%BA%94%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
ち行かさたはま
http://www.eonet.ne.jp/~pilehead/osaka_word/text/honbunti.htm
日本王国記 日欧文化比較
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/5/0085110.html
『日本におけるキリスト教に対する迫害』
http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/senk37.htm
長谷川一夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E4%B8%80%E5%A4%AB
七つの顔の銀次(1955) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD24408/
「羽二重団子・6代目庄五郎・第3回だんご寄席,上根岸町近傍図(其の二)」
http://www.habutae.jp/event/event_3.html
「いまならいくら?(明治、大正、昭和の消費者物価)」
http://chigasakioows.cool.ne.jp/ima-ikura.shtml
伊藤博文 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87