1950(昭和25)年6月5日、羽田書店 より、新美南吉著 『ろばのびっこ 』( 土田文雄:絵 )が発刊されている。
新美南吉(にいみ なんきち)は愛知県半田市出身の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡辺)。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年=昭和7年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。彼のことは、このブログ新美南吉(童話作家『ごんぎつね』) の忌日や、11月23日「手袋の日」で書いたことがあるので、今回で3回目だ。
新美の作品には、童話、小説、伝記物語、幼年童話、童謡、詩、短歌、俳句、戯曲などがあり、さらに日記、書簡なども多く残されている。これらは「校定新美南吉全集」1~12巻・別巻ⅠⅡ(大日本図書)に収録されている。「驢馬の びつこ」や「デンデンムシノ カナシミ」「ミチコサン」は「校定新美南吉全集」(4) 【昭和55.9.30】 大日本図書のなかに収録されているが、これらの初版発行日(初出)は1950(昭和25)年6月5日「ろばの びっこ」羽田書店からであり、この中には、 他に、「ウサギ」「かごかき」「仔牛」が掲載されている。これらの作品は、いずれも、青空文庫の「作家別作品リスト:新美 南吉」の中にあるので、いつでも読めるのがうれしい。
この「ろばの びつこ」のなかに織り込まれている「デンデンムシノ カナシミ」をあえて今日選んだのは、今年(2009年)4月10日の天皇皇后両陛下の御成婚50年に寄せて、朝日新聞の「天声人語」に、美智子皇后が1998年インドであった国際児童図書評議会での講演で新美 南吉のこの本に触れられたことが乗っていたのを思い出したからである。
イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」
ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。
スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス(以下略)
これは、青空文庫の「デンデンムシノ カナシミ」より抜粋したものである。背中の殻に哀しみが詰まっているのに気がついた1匹が、もう生きてはいられぬと友達に相談するが、みんなの殻にも悲しみが一杯だったのである。
皇后さまは、「自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでんむしが、もうなげくのをやめたところで終わっています」・・・と。
美智子皇后は、当時皇太子であった明仁親王と1959(昭和34)年4月10日に御結婚。明治以降初めての民間(士族以下)出身の皇太子妃となられた。晴れがましいご成婚のパレード、民間での祝福ムードとは対照的に、成婚後もなお民間出身であること、選に漏れた他の候補者に旧皇族出身がいたことなどの理由から、他の皇族、女官に受け入れられず、旧皇族・旧華族の婦人らからも一挙手一投足に至るまで徹頭徹尾非難され続けたといわれており、美智子妃のご心労はいかばかりであったかがお察しできる。
何時も国民の前で笑顔を絶やさず明るくふるまわれている美智子皇后ではあるが、その笑顔の下に悲しみを殻に収めて、じっと耐え、また、陛下と分かち合いながら、ご公務を勤めてこられたのだと思うと本当に、ご同情申しあげると同時に頭が下がる思いである。
新美南吉は、地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られ、賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカル(皮肉であるさま。冷笑的)な筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人からの目線で主観的・情緒的に自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風で、好対照をなしている。
南吉のこの童話「デンデンムシノ カナシミ」が発表されたのは、まだ戦後5年目の混乱期であった。この年、日本経済はデフレ政策(超均衡予算を中心とするドッジ・ライン)の下、超低空飛行を余儀なくされたまま明けた。トラ年なのに、東京の上野公園にはトラの姿もなく、剥製や張子のトラが展示されるのみ。そのようなお寒い状態が日本の現実であった。戦争の生々しい記憶と焼け跡の貧しさの中で、当時の殆どの人々が殻の中に「カナシミ」を閉じ込め、明日に向かってじっと耐えていた。そんな時代に作られたこの童話は、その時代に生きた我々にとっては非常にわかりやすいお話である。
この時代で思い出されるのは、前年の1949(昭和24)年、第三次吉田内閣で吉田茂(麻生太郎のおじいさん)は、一年生議員の池田勇人を大蔵大臣に抜擢して世間を驚かせたが、1950(昭和25)年3月1日、「中小企業の一部倒産もやむを得ない」と発言して問題になった。また、12月7日の参議院予算委員会で社会党の木村禧八郎議員が高騰する生産者米価に対する蔵相の所見を糾した。この質疑応答の中で池田は「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つた方へ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていたマスコミを刺激。 翌日の新聞朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けることになった(詳しくは国会答弁:貧乏人は麦を食え参照)。
この年6月25日朝鮮半島で戦争が勃発(朝鮮戦争)し、占領下の日本は、兵站基地としての役割を担うこととなる。そしてその朝鮮特需のおかげで、日本経済に吹く風は逆風から一転追い風になった。その後、高度経済成長の波に乗って、経済発展してきた日本は、1970年代のニクソン・ショック、オイルショックを経て、安定成長期に入る。その後も過剰な投機熱による資産価格の高騰(バブル経済)によって支えられいた安定成長期もバブル崩壊と共に終焉し、以後は2000年代前半まで続く平成不況期となった(以下参考に記載の「平成の大不況」参照)。そして、昨2008(平成20)年9月に米大手証券 リーマン・ブラザーズが破綻し、世界経済がそれを境に一変した“リーマン・ショック”から7ヶ月が経過した今、日本経済は危機的な状況にある(最近証券市場等は少し持ち直したかに見えるが・・・)。
考えて見れば、日本は、1950(昭和25)の朝鮮特需以降、他国に比して「平和」時代が続き、国民全員が幸せな時代を謳歌してきたといえるだろう。そのような、平和な、恵まれた「飽食の時代」の中で育った世代の人達に、何も「カナシミ」が無かったのかといえば、そのような人達は人達でそれまでの人達とは違った形での異質な「カナシミ」があっただろう。しかし、今の時代は、それまでとは違って、弱者と強者の立場がはっきりと区別される時代となっている。かっての池田首相の発言を取り上げたマスコミの台詞じゃないけれど「貧乏人は麦を食え」・・・どころか、力の無い人、弱い人は、働くところもなく生きてゆけない状況になりつつある。
新美南吉「デンデンムシノ カナシミ」や我々戦後の何もない焼け野原の中で食べるものもなかった世代の者の「カナシミ」も、その時代に生きているみんなが一様に同じ様な「カナシミ」を背負って、生きてきたから、なんとか、我慢してこれたが、今の時代のように、強者と弱者に選別され、そんな中で、弱者に属した人達の「カナシミ」は、今までよりもより深刻なものだろうな~と思う。そう思うと、つくづくと美知子皇后は良く耐えてこられたものだと改めて敬意を評したいものです。
尚、余談であるが、新見南吉の初版本を出した「羽田書店」と言うのは、東京朝日新聞・政治部記者から鉄道大臣秘書官となり、1937(昭和12)年、立憲政友会公認で第20回衆議院議員総選挙に立候補し、当選した長野県出身の羽田 武嗣郎が、同年6月岩波書店の岩波茂雄の勧めで開業したものである。彼は、元内閣総理大臣・羽田孜(現:民主党最高顧問)の父であることを付け加えておこう。
最後に、ネットでは、新見南吉の『デンデンムシ ノ カナシミ』の朗読も聴けるのだが、これを楽曲にしたものもある。これはこれで面白いので聞いてみては・・・。以下です。
YouTube デンデンムシノ カナシミ
<http://www.youtube.com/watch?v=aE1gZe6ZoPs
(画像は、「でんでんむしのかなしみ」 著者:新美 南吉、イラスト:かみや しん )
参考:
新美南吉-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89
新美南吉記念館のホームページ
http://www.nankichi.gr.jp/index.html
作家別作品リスト:新美 南吉(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html
天声人語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%A3%B0%E4%BA%BA%E8%AA%9E
皇后美智子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%90%8E%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90
2009年4月10日は、天皇・皇后ご結婚50周年
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kekkounn50nenn.htm
池田勇人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA
平成の大不況
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~morisaki/004econo_leaks/fukyou2.htm
リーマン・ブラザーズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA
羽田武嗣郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%97%A3%E9%83%8E
統合書誌情報:シリーズ名: こども絵文庫 (東京 : 羽田書店)
http://kodomo3.kodomo.go.jp/web/ippan/cgi-bin/fTGS.pl?nTogoId=16051&sGamen=SS
新美南吉(にいみ なんきち)は愛知県半田市出身の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡辺)。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年=昭和7年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。彼のことは、このブログ新美南吉(童話作家『ごんぎつね』) の忌日や、11月23日「手袋の日」で書いたことがあるので、今回で3回目だ。
新美の作品には、童話、小説、伝記物語、幼年童話、童謡、詩、短歌、俳句、戯曲などがあり、さらに日記、書簡なども多く残されている。これらは「校定新美南吉全集」1~12巻・別巻ⅠⅡ(大日本図書)に収録されている。「驢馬の びつこ」や「デンデンムシノ カナシミ」「ミチコサン」は「校定新美南吉全集」(4) 【昭和55.9.30】 大日本図書のなかに収録されているが、これらの初版発行日(初出)は1950(昭和25)年6月5日「ろばの びっこ」羽田書店からであり、この中には、 他に、「ウサギ」「かごかき」「仔牛」が掲載されている。これらの作品は、いずれも、青空文庫の「作家別作品リスト:新美 南吉」の中にあるので、いつでも読めるのがうれしい。
この「ろばの びつこ」のなかに織り込まれている「デンデンムシノ カナシミ」をあえて今日選んだのは、今年(2009年)4月10日の天皇皇后両陛下の御成婚50年に寄せて、朝日新聞の「天声人語」に、美智子皇后が1998年インドであった国際児童図書評議会での講演で新美 南吉のこの本に触れられたことが乗っていたのを思い出したからである。
イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
コノ カナシミハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ カナシミガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」
ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。
スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。ワタシノ セナカニモ カナシミハ イツパイデス(以下略)
これは、青空文庫の「デンデンムシノ カナシミ」より抜粋したものである。背中の殻に哀しみが詰まっているのに気がついた1匹が、もう生きてはいられぬと友達に相談するが、みんなの殻にも悲しみが一杯だったのである。
皇后さまは、「自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでんむしが、もうなげくのをやめたところで終わっています」・・・と。
美智子皇后は、当時皇太子であった明仁親王と1959(昭和34)年4月10日に御結婚。明治以降初めての民間(士族以下)出身の皇太子妃となられた。晴れがましいご成婚のパレード、民間での祝福ムードとは対照的に、成婚後もなお民間出身であること、選に漏れた他の候補者に旧皇族出身がいたことなどの理由から、他の皇族、女官に受け入れられず、旧皇族・旧華族の婦人らからも一挙手一投足に至るまで徹頭徹尾非難され続けたといわれており、美智子妃のご心労はいかばかりであったかがお察しできる。
何時も国民の前で笑顔を絶やさず明るくふるまわれている美智子皇后ではあるが、その笑顔の下に悲しみを殻に収めて、じっと耐え、また、陛下と分かち合いながら、ご公務を勤めてこられたのだと思うと本当に、ご同情申しあげると同時に頭が下がる思いである。
新美南吉は、地方で教師を務め若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られ、賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカル(皮肉であるさま。冷笑的)な筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人からの目線で主観的・情緒的に自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風で、好対照をなしている。
南吉のこの童話「デンデンムシノ カナシミ」が発表されたのは、まだ戦後5年目の混乱期であった。この年、日本経済はデフレ政策(超均衡予算を中心とするドッジ・ライン)の下、超低空飛行を余儀なくされたまま明けた。トラ年なのに、東京の上野公園にはトラの姿もなく、剥製や張子のトラが展示されるのみ。そのようなお寒い状態が日本の現実であった。戦争の生々しい記憶と焼け跡の貧しさの中で、当時の殆どの人々が殻の中に「カナシミ」を閉じ込め、明日に向かってじっと耐えていた。そんな時代に作られたこの童話は、その時代に生きた我々にとっては非常にわかりやすいお話である。
この時代で思い出されるのは、前年の1949(昭和24)年、第三次吉田内閣で吉田茂(麻生太郎のおじいさん)は、一年生議員の池田勇人を大蔵大臣に抜擢して世間を驚かせたが、1950(昭和25)年3月1日、「中小企業の一部倒産もやむを得ない」と発言して問題になった。また、12月7日の参議院予算委員会で社会党の木村禧八郎議員が高騰する生産者米価に対する蔵相の所見を糾した。この質疑応答の中で池田は「所得に応じて、所得の少ない人は麦を多く食う、所得の多い人は米を食うというような、経済の原則に副つた方へ持って行きたいというのが、私の念願であります」と締めくくったが、これが吉田政権に対して厳しい態度を取っていたマスコミを刺激。 翌日の新聞朝刊は「貧乏人は麦を食え」という見出しで池田の発言を紹介、これが池田自身の発言として伝わり、各方面から強い批判を受けることになった(詳しくは国会答弁:貧乏人は麦を食え参照)。
この年6月25日朝鮮半島で戦争が勃発(朝鮮戦争)し、占領下の日本は、兵站基地としての役割を担うこととなる。そしてその朝鮮特需のおかげで、日本経済に吹く風は逆風から一転追い風になった。その後、高度経済成長の波に乗って、経済発展してきた日本は、1970年代のニクソン・ショック、オイルショックを経て、安定成長期に入る。その後も過剰な投機熱による資産価格の高騰(バブル経済)によって支えられいた安定成長期もバブル崩壊と共に終焉し、以後は2000年代前半まで続く平成不況期となった(以下参考に記載の「平成の大不況」参照)。そして、昨2008(平成20)年9月に米大手証券 リーマン・ブラザーズが破綻し、世界経済がそれを境に一変した“リーマン・ショック”から7ヶ月が経過した今、日本経済は危機的な状況にある(最近証券市場等は少し持ち直したかに見えるが・・・)。
考えて見れば、日本は、1950(昭和25)の朝鮮特需以降、他国に比して「平和」時代が続き、国民全員が幸せな時代を謳歌してきたといえるだろう。そのような、平和な、恵まれた「飽食の時代」の中で育った世代の人達に、何も「カナシミ」が無かったのかといえば、そのような人達は人達でそれまでの人達とは違った形での異質な「カナシミ」があっただろう。しかし、今の時代は、それまでとは違って、弱者と強者の立場がはっきりと区別される時代となっている。かっての池田首相の発言を取り上げたマスコミの台詞じゃないけれど「貧乏人は麦を食え」・・・どころか、力の無い人、弱い人は、働くところもなく生きてゆけない状況になりつつある。
新美南吉「デンデンムシノ カナシミ」や我々戦後の何もない焼け野原の中で食べるものもなかった世代の者の「カナシミ」も、その時代に生きているみんなが一様に同じ様な「カナシミ」を背負って、生きてきたから、なんとか、我慢してこれたが、今の時代のように、強者と弱者に選別され、そんな中で、弱者に属した人達の「カナシミ」は、今までよりもより深刻なものだろうな~と思う。そう思うと、つくづくと美知子皇后は良く耐えてこられたものだと改めて敬意を評したいものです。
尚、余談であるが、新見南吉の初版本を出した「羽田書店」と言うのは、東京朝日新聞・政治部記者から鉄道大臣秘書官となり、1937(昭和12)年、立憲政友会公認で第20回衆議院議員総選挙に立候補し、当選した長野県出身の羽田 武嗣郎が、同年6月岩波書店の岩波茂雄の勧めで開業したものである。彼は、元内閣総理大臣・羽田孜(現:民主党最高顧問)の父であることを付け加えておこう。
最後に、ネットでは、新見南吉の『デンデンムシ ノ カナシミ』の朗読も聴けるのだが、これを楽曲にしたものもある。これはこれで面白いので聞いてみては・・・。以下です。
YouTube デンデンムシノ カナシミ
<http://www.youtube.com/watch?v=aE1gZe6ZoPs
(画像は、「でんでんむしのかなしみ」 著者:新美 南吉、イラスト:かみや しん )
参考:
新美南吉-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%8E%E5%8D%97%E5%90%89
新美南吉記念館のホームページ
http://www.nankichi.gr.jp/index.html
作家別作品リスト:新美 南吉(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person121.html
天声人語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%A3%B0%E4%BA%BA%E8%AA%9E
皇后美智子 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%90%8E%E7%BE%8E%E6%99%BA%E5%AD%90
2009年4月10日は、天皇・皇后ご結婚50周年
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kekkounn50nenn.htm
池田勇人 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%8B%87%E4%BA%BA
平成の大不況
http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~morisaki/004econo_leaks/fukyou2.htm
リーマン・ブラザーズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA
羽田武嗣郎 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%97%A3%E9%83%8E
統合書誌情報:シリーズ名: こども絵文庫 (東京 : 羽田書店)
http://kodomo3.kodomo.go.jp/web/ippan/cgi-bin/fTGS.pl?nTogoId=16051&sGamen=SS