今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

ペットたちに「感謝」する日 :参考

2009-11-22 | 記念日
参考:
※:古代エジプトの猫崇拝
http://www.necozanmai.com/zatsugaku/cats-egypt.html
※:動物愛護に関する世論調査【内閣府大臣官房政府広報室】
http://www8.cao.go.jp/survey/h15/h15-doubutu/index.html
※:ペットフード工業会:2009(平成21)年ペットフード工業会ニュース 第15回犬猫飼育率全国調査
http://www.petfood.or.jp/topics/0901.html
※:日本獣医師会:狂犬病対策についてPDF
http://nichiju.lin.go.jp/report/201216.pdf
※:厚生労働省:都道府県別の犬の登録頭数と予防注射頭数等 (2008=平成20年度)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/01.html
※:ペットフード工業会:2009(平成21)年ペットフード工業会ニュース 第15回犬猫飼育率全国調査
http://www.petfood.or.jp/topics/0901.html
※:動物の愛護と適切な管理(環境省自然環境局)
http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/index.html
※:ALIVE(地球生物会議)
http://www.alive-net.net/index.html
※:ピーツーアンドアソシエイツ㈱HP
http://www.p2-pet.com/
ペット - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%83%E3%83%88
スピッツ (犬)-Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B9%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%84
埼玉愛犬家連続殺人事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%BC%E7%8E%89%E6%84%9B%E7%8A%AC%E5%AE%B6%E9%80%A3%E7%B6%9A%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6
[PDF] 狂犬病に関するQ&A(厚生労働省)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/pdf/07.pdf
[犬]All About
http://allabout.co.jp/pet/dog/library/mlibrary9.htm
日本アニマルポリス
http://www.animalpolice.net/

日本で初めての競輪が小倉市で開催された日

2009-11-20 | 歴史
1948(昭和23)年の今日(11月20日)は、日本で初めての競輪が小倉市(現:北九州市で開催された日。
競輪(けいりん)とは、1948(昭和23)年、8月1日に公布、施行された自転車競技法という特別法(適用対象がより広い法のことを一般法というが、適用対象がより特定されている法のことを特別法という)に基き、指定された自治体が自転車競走を開催し、この結果を賭けの対象としてパリミュチュエル方式により勝者投票券(車券)を販売して、的中した場合は確定オッズ(倍率)に基づき払い戻しを行う公営競技、言い換えれば、公の機関がギャンブルとして開催しているスポーツ競技の一つである。同様の公営競技には競馬競艇オートレースなどがある。
競輪の現在の所管省庁は経済産業省であり、戦後復興を目的として1948年(昭和23年)から実施された。
当初競輪の政府主催案もあったが、GHQの意向で、地方自治体の主催となった。最初の開催地には第3回国体で自転車競技を担当した福岡県小倉市(現:北九州市)が選ばれた。そして、第1回競輪は20日から4日間行われた。開催近くの産炭地(筑豊炭田参照)の活況もあり、入場者は、初日7千人、2日目2万人、3日目8千人、4日目2万人、合計5万5千人という大成功をおさめた。複勝式と単勝式勝者投票券はいずれも1枚100円であった。総売上高1973万円と、市当局の予想を大きく上回った。このため、当初は莫大な経費が嵩む自転車競技場の建設にはどの自治体も及び腰であったが、以後多くの自治体が競輪場建設にのり出すことになった。冒頭の画像は当時の小倉での競技の写真であろうか?・・アサヒクロニクル「週刊20世紀」より。
競輪の選手数は、日本のプロスポーツとしては最大規模の3,500名程度(2006年12月末で3,598人、2008年2月で3,531人、2009年5月で3,497人、2009年10月現在で3,472人)にのぼるっているが減少傾向のようである。また、1948(昭和23)年11月の小倉競輪場での競輪初開催と同時に女子競輪もオープンレースが開催され、翌1949年10月に開催された第2回全国争覇競輪(川崎競輪場)にて車券発売の対象となる正式レースとなったそうで、女性選手だけの「女子競輪」は、初期には多方面に話題を提供したが、元々選手間での力の差があり過ぎてレースが堅く収まってしまうことが多く、ファンから見てギャンブルとしての魅力が乏しかった事などから、人気は長続きせず、1964(昭和39)年9月8日に開催された名古屋競輪場でのレースが最後となり、女子競輪の歴史は幕を閉じたようだ(Wikipedia)。以下参考の※:「秘 宝 館」の中の“門司競輪の歴史”で、その時の絵葉書での写真と解説が見られる。
我国において自転車をスポーツ競技の一つとして楽しむようになったのが果たして何時頃からであったかなどは正確には不明のようであるが、新聞紙上に自転車競走という文字がはじめて見られるのは、1881(明治14)年3月14日付けの東京日々新聞だそうだが、内容からは、いったい何処で開催されているのか不明であり、1898(明治31)年3月5日発行の雑誌「運動界」の記事に、横浜居留地の外人により組織されたジャパン・バイシクル・クラブ(日本自転車倶楽部)と東京双輪倶楽部の人々との合同サイクリングが2月21日に横浜の本牧あたりで開催されたことが報じられており、恐らくこの頃、横浜居留地の外人とのこのような交流の中からレースが徐々に行われるようになったのではないかとされているようだ。東京バイシクル倶楽部は当時、1901(明治34)年頃結成された横浜の金輪倶楽部をライバルとして張り合っていたようだ。(以下参考の※:「日本自転車史研究会」の“自転車の歴史探訪”参照)。
その後、1905(明治38)年以降、報知新聞など新聞社各社が主催し、自転車業界が育てたノンプロ選手が宣伝のために走るという自転車競走が活発に行われるようになったそうだが、先に書いた横浜の金輪倶楽部の小宮山長造が日本における自転車競技のノンプロ選手第1号だそうだ。
当時、この小宮山と常に覇を競っていたのが京都の砂田松次郎選手だったそうで、以下参考の※:「スポーツ・レク文化史料情報館 」には、“1907(明治40)年10月31日:自転車の両横綱(横浜小宮山長蔵、京都砂田松次郎)いよいよ決戦。と「万朝報」報ず。”・・・とある(【万朝報】の記事はここ参照)。
戦前はロードレースを中心に盛んに行われていたようで、中には競走用自転車で全国各地を転戦する者もいたようだ。
競輪の誕生は、元満州国官吏だった海老澤清(海老澤清文。【川崎記念に『海老澤清杯』の名が見られるが、どのような人物かは、よくわからない。])と、久留米連隊に所属し後にGHQで働くことになる元陸軍大尉の倉茂貞助(本名は倉茂武。以下参考の※「倉茂記念杯とは」参照)の2人が、東京の有楽町に国際スポーツ㈱を設立したことに始まるようだ。Wikipediaによれば、当初は第二次世界大戦敗戦に伴う大陸や南方からの引揚者に、宝くじの利益をもとに住宅建設構想を練っていた海老澤の思惑と、湘南海岸に一大レジャーランドの建設を構想し、世界屈指の観光地とする構想を描いていた倉茂の思惑がそれぞれあったが、海老澤が構想を描いていた「住宅建設宝くじ」を取り入れる形で、「自転車産業の復興とサイクルスポーツの振興」を大義名分として、戦前は日本各地で人気を博していた自転車レースを競馬に倣って賭けの対象にし、その収益金をもとに戦後復興に役立てることはできないものかと考え出されたのが後の競輪であったという。しかし、後の競輪を国際スポーツ㈱の運営で行うのは不可能と分かり、2人は、後に日本自転車振興会連合会会長となる、当時は日本社会党所属の代議士だった林大作と出会い、立法として取り上げてもらうべく働きかけた。林が2人の提案を気に入り、党中央執行委員会の同意を得て法案作りをし、当時日本を占領下に置いていたGHQが権力の集中を防ごうとしていたため GHQ の意向を入れ、競輪施行者は地方公共団体ということで承認を得た上で「自転車競技法」として1948(昭和23)年6月26日衆議院本会議で可決、同年7月1日、参議院でも可決し成立。同年8月1日より施行されることになった。以下参考に記載の※:「自転車競技法」のなかにある、“第002回国会 商業委員会 第7号議案(昭和23年6月14日)” を見れば、「自轉車競技法案」(林大作外47名提出)審議の様子が分る。
その中での林大作の答弁に特に重要なものとして“第一は、國民の自轉車に対する関心を増大し、かつその智識を普及することにより、自轉車工業発展の無形的な素地をつくり得ること。第二は、この法案の施行によつて期待し得る、莫大な收益を活用することにより、あるいは品質の改良、生産の増強に必要なる助成を行い、あるいは自轉車に関する各種の試驗研究施設を完備し、あるいは諸外國における廣汎な市場獲得のために必要なる宣傳を行う時、自轉車の生産及び輸出の振興に直接寄與し得る。第三は自轉車工業の発達特にその生産及び輸出の増加が國内産業の復興に及ぼす影響。第四は、現在きわめて窮迫している地方財政の増收に寄與し、幾分でも大衆課税を軽減し得る。”・・・といったことが挙げられている。
競輪が誕生した1948(昭和23)年当時、国営競馬(現在の日本中央競馬会【JRA】)の控除率が34.5%であったのに対し、競輪の控除率は25%と低く抑えられたこともあり、国営競馬が不振をかこつ状況の中で、競輪は爆発的な人気を博すようになった。
しかし、競輪は統一された「日本中央競馬会」のような特殊法人である団体が主催している競技ではなく、GHQ の意向で競輪施行者は地方公共団体となっため、競輪開催に伴い各都道府県に設立された各都道府県自転車振興会に委託されて実施されたことから、競輪草創期には各都道府県自転車振興会、各自転車競技会、施行者である都道府県市町村などの団体が複雑に絡みあい、実施方法にも不備が多く、各地でしばし観客による暴動事件(当時のマスコミの表記は「騒擾【そうじょう】事件」)を引き起こした。とりわけ大掛かりな事件となったのが、1950(昭和25)年9月、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在の西宮市)の鳴尾競輪場で発生した事件(鳴尾事件)であり、警官の威嚇射撃によって客が1人死亡する事態となったばかりか、最後には滞駐米軍のMPを出動させて漸く収拾させたほどであった。
因みに「競輪」の言葉を考え出したのは、当時毎日新聞西部本社・門司支局に勤めていた新聞記者・山本鹿男だそうで、当初は「きょうわ」、「きょうりん」と発音していたが、この鳴尾事件発生時に語られた揶揄(「狂輪」や「恐輪」など)を避けるため、今の「けいりん」という呼び方に改められた経緯があったようだ。
この事件直後より、新聞紙上では「競輪を廃止せよ」の論調一色となったことから、ファンの「射幸心(思いがけない利益や幸運を望む心)」をあおらないために、施行者は積極的なファン拡大よりは「自粛して実施」という立場をとらざるを得なくなった。もともと競輪はギャンブルである為、様々な批判にさらされ、施行者である地方公共団体の首長の中には歳入不足を競輪開催によって補っており、競輪の財源としての必要性を認めていながらも、選挙公約に「ギャンブル廃止」を掲げる者もいるなど、多くの施行者が「庶民の娯楽」としての必要性よりも、むしろ「社会悪」として認識していため、レジャーとして競輪を積極的に評価し、盛り上げようという地方公共団体は、一部を除けばほとんどみられなかったようだ。
今日、競輪全体の売上の落ち込みは激しく 2001年(平成13)度で、ピークだった 1991(平成3)年度の約 69%である1兆 3553 億円にまで落ち込んでいるという(以下参考の※:「「公営競技行政」成立に関する研究 -競輪の組織・構造を中心に-」参照)。
鳴尾事件以降、世論の反発が大きいため次々と競輪場は廃止され、競輪場最大の売り上げを誇っていた、「競輪のメッカ」後楽園競輪場の休止(1972年【昭和47年】。翌年廃止)へと繋がっていった。
しかし、1988(昭和63)年6月、競馬、競輪、競艇からパチンコ、宝くじに至るまで、都民はギャンブルをどう考えているのか、興味ある意識調査の結果が、財団法人・東京都市科学振興会の手でまとめられており、当時、後楽園「東京ドーム」での競輪復活問題が論議を呼んでいるが、「賛成」はわずか8.5%。それに比べて「反対」は54.6%もあり、はっきり「ノー」と出ている。その理由は、ギャンブルがきらいだから」(33%)というよりも、「ほかのレジャーや趣味の方が好きだから」(46%)という要素が強かったようだ。以下参照。
1988/06/28 朝日新聞朝刊
競輪復活反対54% 周辺に悪影響 都民のギャンブル意識調査
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00008/contents/005.htm
第二次世界大戦敗戦後の日本の戦災復興や公共施設の建設に公営競技の果たす役割は大きかっただろうし、国民にとっても、他に余り楽しめるレジャーの少なかったことから、宝くじやこのような公営のギャンブルは一つの夢をかなえてくれるものとして楽しみな競技だったろうね~。しかし、今や、国民にしても、このような射幸心をあおる賭博的なギャンブルを楽しまなくても、他に幾らでも楽しめるレジャーがあるのだから、先の都民の競輪復活への回答などは、ごく自然なものだと思う。
私的な賭博行為が法律で禁止されているのに、公営のギャンブルが何故認められるのかといったことは、前々から問題にされていることであるが、それに対して、公営のギャンブルがあるから禁止されている私的な賭博に向かうのを抑制しているといった考えもあるが、これは、健康に良くないと言われるタバコの販売を止めないから、麻薬などの方に走る人が増えるのを抑制しているといった考え方にも似ている。昔は、お遊びとしての、パチンコも小額で結構な時間楽しむことが出来たが、今は、あっという間に2~3万円を注ぎ込んでしまうと現役時代のパチンコ好きの同僚が言っていた。そんな、パチンコの景品買い取り制度には賭博的要素があり、パチンコにのめり込み、サラ金地獄に陥っている人も少なくないと聞く。兎に角、ギャンブルは、一度甘い汁を吸うと止められなくなり、どんどん深みにはまり込んでいくところがあるので、楽しむ人自身が、よほど、自制してやることが寛容だろうね~。
(画像は、競輪。朝日クロニクル「週刊20世紀」より)

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日本で初めての競輪が小倉市で開催された日:参考

2009-11-20 | 歴史
参考:
競輪 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B6%E8%BC%AA
※:日本自転車史研究会
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/
※:自転車競技法
http://www.lawdata.org/law/htmldata/S23/S23HO209.html
※:スポーツ・レク文化史料情報館
http://www.eonet.ne.jp/~otagiri/index.html
※ :倉茂記念杯とは
http://www.keirin-saitama.jp/omiya/kura60/what.html
※:「公営競技行政」成立に関する研究 -競輪の組織・構造を中心に-(キャッシュ)
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?p=%E5%85%AC%E5%96%B6%E7%AB%B6%E6%8A%80%E8%A1%8C%E6%94%BF%E3%80%8D%E6%88%90%E7%AB%8B%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&x=wrt&u=www.geocities.jp/keirin55/koueigyousei.pdf&w=%E5%85%AC%E5%96%B6+%E7%AB%B6%E6%8A%80+%E8%A1%8C%E6%94%BF+%E6%88%90%E7%AB%8B+%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B+%E7%A0%94%E7%A9%B6&d=WJBMpt29TrVI&icp=1&.intl=jp
※:日本財団図書館(電子図書館) 私はこう考える【公営競技・ギャンブル】
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00008/mokuji.htm
FC2ブログ【競輪の歴史】
http://blog.fc2.com/tag/%B6%A5%CE%D8%A4%CE%CE%F2%BB%CB
秘 宝 館
http://www2.ttcn.ne.jp/~kuro/mezura/top.htm
萬朝報 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%87%E6%9C%9D%E5%A0%B1

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自転車安全日

2009-11-18 | 記念日
今日(11月18日)の記念日を探していたら、いつも参考にしている以下参考の「今日は何の日~毎日が記念日~」に、毎月18日は「二輪・自転車安全日」と言うのがあった。しかし、その由緒など何も書いていなかったので、検索すると、以下参考に記載の※:「366日への旅記念日編【今日は何の日】」に、以下のように書いてあった。
「毎月8のつく8日、18日、28日がこの記念日です。警視庁が1977(昭和52)年10月8日から「自転車安全日」として定めていましたが、翌年の11月から「二輪・自転車安全日」に改めました。8の字を二輪車に見立てています。」・・と。
二輪車とは、車輪が2つある車両のことであるが、道路交通法(詳しくは以下参考の※:「道路交通法」参照)においては、原付および自動二輪車を指し、自転車は二輪車に含まれていない。
以下参考に記載の※:「警視庁:交通安全のページ」で、今日の記念日のことがどのように書かれているか見たのだが、この記念日のことについての説明はなかったが、最近、二輪車・自転車が脚光を浴びているが、反面、多くの問題を引き起こしているのは確かである。
そこで、「警視庁:交通安全のページ」の”二輪車の死亡事故統計”を見てみると、東京都内の交通事故による死者のうち、2008(平成20)年中の二輪車(原動機付自転車を含む)乗車中の交通事故死者数が、歩行者37,6%に次いで28%の構成率で2位を占め高いことが分る(推移はここ参照)。しかし、自転車も20,1%の構成率となっており、いずれも、四輪車の構成率14,2%を大きく上回っている。又、2009(平成21)年中(6月末)でも、歩行者37、6%、二輪車26、6%、自転車23,4%、四輪車12,8%と構成率の順位は変わらず、四輪車や二輪車が昨年より若干減少しているにも係わらず、自転車は昨年を大きく上回っている。これは、米国のサブプライムローン問題に端を発した昨年のリーマンショック以降、日本の景気低迷から、節約志向が高まり、急速に四輪車、二輪車の使用に比して自転車利用者が増えているからではないだろうか。
自転車は、二酸化炭素を排出せず、空気を汚さないだけでなく、他のどんな乗り物よりも少ないエネルギーで移動できる便利な乗り物であり、排出ガスが発生しないなど、地球温暖化問題が叫ばれる現在、環境への負荷の少ない移動手段として見直されている。
私自身も、ずっと以前より自転車を愛用している者の1人であるが、昨年後半ぐらいから、私の住んでいる神戸の町でも急速に自転車に乗る人が増加ておりし、自転車が町中に溢れ返る状況になってきている。昼間の買物や、夕食後の散歩に出たときなども、混雑する街中を猛スピードで走り抜けたり、携帯電話をかけながらの運転など、交通マナーを無視した運転も目立つようになり、危険な状況に遭遇することも幾度かあり、同じように自転車に愛用している者であっても、今の人達の自転車の乗り方には少々、辟易としているところである。
現在の自転車の原形である安全型自転車ができあがったのは19世紀末期で、この時期に日本への輸入も始まっている。国産化も早く進み、宮田製銃所(宮田工業の前身)が国産第1号を製作したのは1890年(明治23年)のことだという。初期の自転車は高価な遊び道具であった。特にオーディナリー型が主流であった頃、庶民の間では貸自転車を利用することが流行し、度々危険な運転が批判されていた。又、所有できるのは長らく富裕層に限られていた。私の蔵書の中のアサヒクロニクル「週刊20世紀」の1901(明治34)年号には当時の状況が以下のように記されている。
“「ある人は一両年来すさまじい勢いで流行してきたサイクリングを一時の熱のように考えている。またある人は東京市のような悪道路では到底自転車を実用に供することは出来ないといっている。」(5月11日付東京朝日新聞・現代文に直す。以下に同じ)。現代の自転車の源流は1863年にフランスでつくられた前輪ペダル式のベロシベード(画像)。明治になって日本にも輸入され、国産は1893(明治26)年から。この年には、5万6000余台があり、サイクリングがにわかに流行してきた。「非難冷笑が矢のように降りかかるのをものともせず、矢のような勢いで今月は前月より、今日は昨日より流行の範囲を拡張しつつあるのだ。」(同紙)。そして、趣味のサイクリングだけでなく、電話を架設しているほどの商家は2台以上を持ち、役人やサラリーマンなど高級をとって居る者が通勤に、逓信省が電信配達に、陸軍、各官庁も沢山買い上げ、警視庁も各警察署に必ず1台ずつ備えるなど実用車が急速に増加した。こうした実用車だけでなく、自転車好きが自転車競走大会や遠乗り会などを催したりしていた。”そして、“、通行人とぶつかる事故も続発していた。”そこで、“警視庁は、この年(1901(=明治34)年)16条からなる自転車取締改正規則を発布した。歩行者および牛馬諸車を追い越す時はあらかじめ音響気を鳴らして、警戒を与うべし。夜間は灯火点すべし。軍隊又は学生生徒および、葬儀等の列をみだりに横断すべからず・・といった具合(10月25日付け東京朝日新聞)”だったと。・・・・なんと、此の記事を読んでいると、明治時代制定されたこの改正規則が、現代社会でも守られていない感じだね~。
この自転車の普及に伴う本格的な取締規則としては、すでに、1898(明治31)年に7条からなる「自転車取締規則」(警視庁令第20号)を制定し、「べるをつけよ(第1条)。両手をハンドルから離すな(第2条)。急坂では下車せよ(第3条)・・・」などと規制はしていた(ここ参照)のだが、その保有台数の急増に対して、僅か7カ条の規定では到底律しきれず、1901(明治34)年に、全17カ条の取締規則に全面改正したのだ。そして、“通行人は左側を通れと、警視庁が4月21日から非番巡査を要所要所の道路に配置して「そっちそっち」と手を振って指導をはじめた”・・そうだ。
日本では、現在は「車は左、人は右」側通行となっているが、これは、戦後の1947(昭和22)年に制定された旧法の道路交通取締法によるものであり、それまでは人も車も左側通行であった。交通安全のために、車は従来のまま左側通行とし、人は右側通行とする「対面通行」を取り入れたもの。
明治末から大正にかけて自転車の普及と共に国産化が急激に進むと小形荷物の運搬用途や日本人の体格を考慮した、日本独特の実用車が現れたが、この当時一般的であったダイヤモンドフレームの自転車はスカートなどで乗るのに適さなかったため、自転車は男性の乗り物とされていたが、大正期からは富裕層の婦人による自転車倶楽部も結成されるなどし、女性の社会進出の象徴となった。そして、第二次世界大戦後の1960年代半ば頃まで、実用車は日本の自転車の主流であり続けた。だが、戦後、自転車が普及していくと、代わりにそのステータスシンボルとしての地位を自動車が占めるようになった。
しかし、自転車は、運転免許不要で、かつ、価格も手ごろなものとなったことから身近な乗り物として、日本では、通勤・通学に利用されるほか、女性にも乗り易いデザイン、軽量化がなされ日常の買い物などにも主婦達などに多く利用されるようになった。日本では高度経済成長期以降、自動車や単車などの二輪車の急速な普及もあり自転車は、買物だけではなく通勤・通学の場合などでも自宅から駅までとい短距離の利用が多く、放置自転車の問題等も起こっていた。そこへ持ってきて、近年は二酸化炭素排出や高齢化の進展によるマイカーによる運転事故の多発や、飲酒運転に対する罰則強化問題などからモータりーゼーションからの脱却への動きが起こっていたが、先にも書いた通り、ここのところの不況下によって、一層の自動車、単車等の二輪車離れが進み、自転車の数が急増しており、それが新たな問題を引き起してきているのだ。このため、現代でも、警察庁は、自転車の通行環境の整備、交通安全教育の充実、取り締まり強化に取り組んでいる。
日ごろ多くの自転車は歩道を走っているが、道路交通法上では、自転車は「車両」と位置付けられている。つまり「自転車歩道通行可」の標識がある場合を除いて、車道通行が原則となっているのである。しかし、日本ではモータリゼーションの発達以降、車中心の町作りが行なわれ、国も行政も莫大な公共投資を行い車道の拡幅や整備はしても、自転車のための自転車道や駐輪場等社会環境の整備や、自転車に乗る者又歩行者への交通法規やマナーの指導・徹底などが殆どなおざりにされていたといって良い。実際、私が住んでいる町にしても人が歩いていた生活道にも車が入り込み街中を通りぬけて郊外へ向かう車などが非常に多くなった。それに、商店街の中でさえ商店への商品搬入のために、午前中は業者の車が出入しているが、その生活道はあまりひろくはなっておらず、狭いままなのである。そんな現在の交通事情を考えれば、自転車で車道を抵抗なく走ろうと思う人がどれだけいるだろうか。
2007(平成19)年6月に成立した改正道交法では、飲酒運転の厳罰化とともに、自転車の通行に関するルールも改められた。それによれば、従来の自転車の車道通行の原則を維持しつつも、(1)児童や幼児が運転する場合(2)車道通行が特に危険な場合――などは歩道を通行できるとした。このほか幼児や児童に対する乗車用ヘルメットの着用に関する規定も盛り込まれ、2008年6月より施行されている。
しかし、基本的には、自転車を日本の社会や交通政策の中で、どのように位置づけ、どのような乗り方に利用するかをはっきりとさせた街づくりをしてゆかないと基本的な問題解決にはならないだろう。
自転車の利用には各国それぞれに固有の特徴があるようだが、北欧やヨーロッパ諸国では自転車の利用が非常に盛んな国が多いようだ。これは、交通政策や観光政策等、自転車を利用しようとする人々の努力がそこにあり、これにより公共交通機関としての利用が促進され、オランダ、デンマーク、スウェーデン、ドイツ等多くの国で自転車交通教育の推進によって自転車交通が促進されているようだ。通行規則は自動車やバスなど同じ道路を走る他の車両の規則と一体として整備され、全ての車両の運転者に等しく、車道での安全走行が、規則として徹底されている。そのようなことから、自転車または二輪のための専用レーン整備が進められる一方で、それがない場合でも、自転車が車道を走行する車両交通規則として実施されているようだ。
オランダやデンマークでは通勤利用者に対する購入時の金銭的補助もあるといい、又、自転車による観光が推進されているドイツ、オランダ、サンフランシスコなど、鉄道車両などの公共交通機関に折りたたみや分解などすることなくそのままの状態で自転車を持ち込むことができる場所も多く、これにより自転車で最終目的地に到達できる可能性が増しているという。それに、近年、共有自転車(レンタサイクル、バイシクル・シェアリング【自転車で街を巡る動きにあわせて商業を展開】)を都市内で大規模に導入する動きもみられ、パリのヴェリブはその中でも代表例で、利用者・台数が多いようだ。それは、欧米諸国では、1990年代以降自転車が環境や健康にもたらす効果を重視し、自転車を都市交通の重要な担い手と位置づけていることがその背景にある。以下のページなどを参照されるとよい。
みちプラザ020 自転車が都会を走る! - ヨーロッパの自転車利用事情
http://www.ins-hwy-eco.or.jp/11plaza/text/plaza-020.htm
環境先進国ヨーロッパの自転車事情
http://www.green-mobility.jp/back_number/20090225/article.html
自転車スローライフ
http://doraku.asahi.com/lifestyle/greencafe/lifecolumn/070611.html
一方、日本の自転車普及率は世界的に見ても非常に高く、2005(平成17)年におこなわれた調査【(財)自転車産業振興協会自転車統計要覧(第41版平成19年11月発行)】によると、日本の自転車保有台数は約8,600万台で、国民1.5人につき1台の自転車を保有していることになり、これは米国の2.6人に1台、フランスの2.6人に1台、中国の2.7人に1台と比べても、世界でもトップクラスであり(以下参考に記載の※:「バイコロジー」参照)、これを、国土面積と対比すると、日本の“自転車密度”はきわめて高いことになる。
その自転車利用者が実際に走行している時間は、走行距離が短いことから、一般に1回当たり平均 10 分から 15 分だと言われる。残りの時間は自転車としての機能を発揮しないまま、どこかに置かれている。又、利用者で、今圧倒的に多いのは、ファミリー(シティー)サイクル、いわゆる「ママチャリ」といわれるものが主流だ。その値段は1万円前後のものが多い。低価格で購入でき、気軽な足として手軽に使われる自転車は、反面その手軽さがかえって、自宅敷地内や駐輪場に置かれているもの以外に、その大半が放置自転車として、自宅前や買物をするスーパー・商店の前、又、駅前の道路等路上に放置され、道路を占拠していることにも繋がっている。自転車を資源として有効に活用し、その価値を十分に生かすという観点からは、パリのヴェリブに見られるように自転車を利用者が共有し、「所有」から「使用」に力点を移す方向に持って行きそれを前提とした街づくりを行い、結果的に自転車の総量を抑制して行くのが望ましいだろう。それに、アメリカのような国土の広い国でもなく、世界の中でも類のない鉄道など公共交通機関の整備されている日本では、環境やエネルギー面のことも考えれば、改めて公共交通機関を重視した政策への転換を図り、パークアンドライド用駐車場の設置 と共に、街中においては、EUなどで浸透しつつあるカーシェアリング(以下参考の:「カーシェアリングとは? 」参照)の自転車版というものの普及こそが理想的である。
それと、自転車に乗るための原則((1)自転車は車道が原則、歩道は例外(2)歩道は歩行者優先で、車道寄りを徐行(3)飲酒運転、2人乗り、並進の禁止、(4 )夜間は、前照灯及び尾灯(又は反射器材)をつける、(5)信号を必ず守る、(6)一時停止の標識を守り、狭い道から広い道に出るときは徐行)を国民にきっちりと指導し、守らせるよう管理監督する必要があるだろう。それに、乗車中の傘の使用や携帯電話の操作の禁止も徹底しなくてはならないだろう。
ただ、交通ルールをどれだけ徹底しても、今後、恐らく自転車はまだまだ増え続けると思うので、交通政策等の基本的なことを解決しなければ、事故を減らすことは出来ないのではないか。それが容易に出来ないからといって、国民に自転車に乗らせないようにするといった野暮なことだけはしないで欲しい。今の民主党の政策で高速道路料金の無料化案など、それはそれで結構だが、その結果、大都市などの街中が自転車だけでなく車も溢れかえる・・・といったことが起こるようなこともないようにしてほしいものだ。
(画像は、「二人乗りは禁止」警視庁の自転車の交通安全のページより)

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自転車安全日:参考

2009-11-18 | 記念日
参考:
※:日本自転車研究会
http://www.eva.hi-ho.ne.jp/ordinary/JP/
※:日本自動車百年史
http://kiwat.com/jmh/zenshi.html
※ :カーシェアリングとは?
http://www.carsharenet.org/
※:366日への旅記念日編【今日は何の日】
http://hukumusume.com/366/kinenbi/pc/04gatu/4_28.htm
※:警視庁:交通安全のページ
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anzen/sub2.htm
※:バイコロジー
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/bicology/webdata/zijo.html#top
※:道路交通法
http://www.houko.com/00/01/S35/105.HTM
(財)自転車産業振興協会
http://www.jbpi.or.jp/publication.php
対面交通 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A6%E5%81%B4%E9%80%9A%E8%A1%8C
社会実情データー図録:図録都道府県別自転車普及率
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/7665.html
自転車文化センター
http://www.cycle-info.bpaj.or.jp/japanese/index.html
改正道交法Q&A(警察庁)
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku20/KaiseiQ_A.htm#問1 今回の違法駐車対策の概要を教えてく
リーマン・ショック - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%82%AF
今日のことあれこれと・・・12月12日「バッテリーの日
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/c944dfb8f4c074938e1fc4d302e99d95
日本自動車工業会(JAMA)/暮らしの中の二輪車
http://www.jama.or.jp/motorcycle/living/index.htm
改正道交法(平成十六年法律第九十号)Q&A
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku20/KaiseiQ_A.htm
今日は何の日~毎日が記念日~
http://www.nnh.to/

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