芭蕉「野ざらし紀行」より
半紙
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本文は以下の通り。
猿を聞(きく)人捨子(すてご)に秋の風いかに
いかにぞや汝、ちゝに悪(にく)まれたるか、母にうとまれたるか。
ちゝは汝を悪(にく)むにあらじ、母は汝をうとむにあらじ。
唯(ただ)これ天にして、汝が性(さが)のつなきを泣け。
【口語訳】(小学館版・「日本古典文学全集」による)
猿の鳴声に腸(はらわた)をしぼる詩人たちよ、この捨て子に吹く秋の風をどう受けとめたらよいのか。
それにしても、お前はどうしたのだ、父に憎まれたのか、母に嫌がられたのか。
いやいや、父はお前を憎んだのではあるまい、母はお前を嫌ったのではあるまい。
ただこれは天命であって、お前の生れついた身の不運を、泣くほかはないのだ。
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「猿を聞く人」というのは、口語訳にもあるとおり
「猿の鳴き声を聞いて、腸をしぼる詩人」ということですが
これは、有名は「断腸の思い」のことを言っています。
中国の「世説新語」という本にみえる故事です。
中国、晉の武将、桓温が三峡を旅した時、従者が猿の子を捕えた。
母猿は悲しんで、キイキイと悲痛な声をあげて、百余里を追いかけた
そしてとうとう船にとびうつったが、そのまま息絶えた。
その腹をさいて見ると、哀しみのあまりか、腸がずたずたに断ち切れていた、という話です。
何とも哀れな話ですが 、これが「断腸の思い」の本来の意味です。
この話は、中国でも、そして日本でも広く伝わり
「猿の声」は「(親が子を思う)哀しい思い」を起こさせるものとして
多くの文学者に愛された表現だったわけです。
ここで、芭蕉は、富士川のほとりで見かけた捨て子を
哀れと思いつつ、食べ物を与えて去ることしかできなかったのですが
その際に、この発句を読んだというのです。
最後の「汝が性を泣け」とは、ずいぶん突き放した言い方にも思えますが
そこにかえって、芭蕉の哀しみの深さをみる思いがします。