Yoz Art Space

エッセイ・書・写真・水彩画などのワンダーランド
更新終了となった「Yoz Home Page」の後継サイトです

100のエッセイ・第10期・66 アダナのハナシ

2015-12-16 17:20:18 | 100のエッセイ・第10期

66 アダナのハナシ

       高3のときの、ぼくの進路相談。

2015.12.16


 

 昔の学生というのは、よく教師にアダナを付けたものである。漱石の『坊ちゃん』などでも、みんなアダナがついていて、まともに○○先生などと本名で呼ばれていない。最近では、どうなのだろうか。ぼくが教師をやってきた間に仲間の教師にアダナがついているのは、たいてい年配の先生だったような気がする。

 ぼく自身は、小さいころから、アダナというほどのものは付いたことがなくて、幼き頃は「よー坊」だったし、小学校では「山ちゃん」なんて居酒屋みたいな呼び名だったし、栄光学園に入ったら、「山本」姓が5人もいたので、自然と下の名の「ヨーゾー」って呼ばれるようになった。いずれも、姓名の一部をとった呼び名だからアダナとは違って、「呼び名」程度のことである。教師になってからも、山本姓が多かったせいか、ほとんど「山本先生」と呼ばれたことはなく、「ヨーゾー先生」とか、「ヨズ先生」とか「ヨズ」とか呼ばれていた。

 中高時代の友人には、ずいぶんとひどいアダナを付けられたヤツもいる。いちばん印象に残っているのは、中1の時に、担任の先生が、ちょとナヨナヨしたヤツに「なんだお前は『カマジョ』か?」って言った。「カマジョ」っていうのは、鎌倉女学院のことで、要するにお前は女かってことで、今ならたぶん大問題だろうが、当時は平気で先生までそんなことをいう始末。かわいそうに彼は、その後もずっと「カマジョ」って呼ばれて続けた。

 教師はどうだったのか。ぼくの高3の時の担任の先生は、数学の先生で、ちょびひげなんかを生やしていて、温かい人柄だったからか「トッツァマ」と呼ばれ、慕われていた。校長はグスタフ・フォスといったが、これはあまりに怖いので、アダナはつかなかったと思う。ところが副校長になると、「天狗」と呼ばれた。大の山好きだったので、誰が付けたアダナか知らないが、本人もいたく気に入り、「天狗踊り」などといってキャンプの時に披露していたものだ。ウルフ神父は「ウルチ」、ウエーバー神父は「ウエちゃん」と、まあ穏やかなほうだったが、意味不明のアダナもあった。

 数学の先生で、カレーパンというアダナの人がいた。どうしてカレーパンなのか分からなかったが、ずっとカレーパンと呼んでいた。カレーパンばっかり食べてたからだと説明するヤツもいたが、まあ、カレーパンというのは、当時は珍しいものだったから、それを食べているのを見た生徒にはインパクトが強かったのかもしれない。

 生物の先生で山本先生という方がいたが、その先生は、授業の前の「瞑目」(栄光学園では授業が始まる前に、机の上に両手を乗せて目をつぶり、先生が教室にくるのを待つという掟があり、これを「瞑目」と呼んだ。先生が教室に入ってきて、先生が合図をすると生徒は起立し、挨拶をするという寸法である。)をやめよという合図として、たいていの先生は「よし!」とか「はい!」とか言うのだが、山本先生は「うし!」と言った。自分では「よし!」と言っているつもりなのだろうが、どうしても「うし!」としか聞こえないのだ。それで、山本先生のアダナは、どの学年でも「うし」だった。

 そういうヘンテコな意味不明のアダナの中でも、意味不明を越えて、失礼すぎるというか、「人権侵害」とすらいえるアダナがあった。「エロジイ」である。本名は小山先生と言って、化学の先生だった。ぼくは高校時代に教えていただいたのだが、その頃はもう相当なお年で(といっても60歳前だったわけだが)、はげ頭で、後頭部にわずかに白髪を残すのみであった。

 授業でもその他の場面でも、下ネタを言うでもなし、極めて真面目な先生なのに、みんな「エロジイ」としか呼ばなかった。卒業後、彼のうわさ話が出たときも、みんな本名を知らなかったほどである。禿げていたから「エロい」(当時は「エロ」という言葉はあったが、「エロい」という言い方はなかった。)ということだったのだろうか。それじゃ、ぼくも「エロい」ことになってしまう。それではひどい「人権侵害」だ。もっとも、青山高校時代には、源氏物語なんかで性的な場面になると、女子がいるにもかかわらず、やたら必要以上に詳しく説明するので、純真な女子(?)はみんな下を向いてしまうなんてことがよくあって、先生はイヤラシい! ってよく言われたものだ。してみると、ぼくも影では何と呼ばれていたか知れたものではない。

 文学では、セクシュアルな要素は当然あるわけだから、それをいちいち恥ずかしがっていては文学の何たるも分からない。ぼくは、同僚の国語教師と、オレたちの国語は、「青山ロマン国語」だといっておおいに息巻いたものである。(若い方のためにいちおう説明しておくと、これは「日活ロマンポルノ」のひねりである。ついでに言うと、この「青山」というところがなんとも上品な色気があると感じるのはぼくだけだろうか。「青山」のかわりに、他の町名を入れてみてください。差し障りがあるので、ぼくは入れません。)

 このエッセイは、この「エロジイ」こと、小山先生のことを書こうとして書き始めたのだが、いつまで経っても本題に入れない。長くなりすぎるので、本題は次回のお楽しみということで。







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする