日本近代文学の森へ (8) 岩野泡鳴『耽溺』その2
「日本の文学 8」中央公論社
2018.5.4
『耽溺』はこんな話である。
泡鳴が小説家としての地位を確立した作。明治三九年夏、日光で体験した事実を素材にし、四一年夏、山梨県塩山温泉で執筆したもの。単行本の序で、花袋の『蒲団』(明四〇・九)の影響をみずから認めている。内容は、泡鳴がモデルである田村義雄が、脚本を書くために国府津に行き、地元の不見転芸者吉弥にほれこみ、彼女を女優にしたてようと考え、ずるずると耽溺していくうちに、女についている土地の男と張り合って、吉弥を身請けせざるを得なくなり、東京へ帰って妻の衣類を質に入れて送金する。浅草に出てきた吉弥は梅毒性の眼病にかかっていて、義雄は冷酷に女を捨て、それによって疲れた神経に強い刺激を与えられるという筋。泡鳴が小説の方法に開眼した作である。(『日本近代文学事典』和田謹吾執筆)
自分でまとめるのはメンドクサイので、文学事典によったけど、こういう時、こういう事典は便利。便利だけど、これを読んだだけでは、どういう小説なのかさっぱり分からないだろう。そもそも「不見転芸者」なんて言っても現代の読者に分かるわけはない。読み方からして、これを「みずてんげいしゃ」と読むんだと一発で分かったらたいしたものである。意味は、「芸者などが金次第でどんな相手とも肉体関係を結ぶこと。また,そういう芸者。」と『大辞林』にあるわけだが、ここまで読んでも、はて、「芸者」って、売春もしたの? っていう疑問が湧く人も多いことだろう。
昨今のネットでは、何とか質問箱みたいなのがあって、そこに何でも分からないことがあれば質問すると、玄人だか素人だか分からない人たちが、暇に飽かせて、いろいろ訳知り顔で答えていて、相当あやしい答にも「ベストアンサー」なんて「ハンコ」が押してあったりする。
たとえば、「芸者は、売春もしたのですか?」っていう質問に、「絶対そんなことはありません。芸者はあくまで、踊りや歌などの芸を提供する者で、体は売りません。芸者が売春するなんてこといったら、日本文化を侮辱することになりますよ。」みたいな答えが、「ベストアンサー」だったりするのである。
それを、何も知らない現代人が見れば、ああ、そうか、と納得してしまうだろう。けれども、岩野泡鳴を読んだことのある人なら、そんな馬鹿な、いくらだって体を売る芸者もいたじゃないか、と、すぐに分かるわけである。「日本文化」をしたり顔に語るまえに、泡鳴ぐらいは読んでおくべきだということだ。
まあ、『耽溺』という小説ひとつ理解するにも、「芸者」についての一応の知識が必要なわけで、そういう点では、『源氏物語』を読むのに、平安時代の文化や習慣についての知識が必要なのと同じである。けれども、平安時代よりもずっと身近なはずの明治時代のことが、かえってよく分からない。調べようにも、どう調べたらいいのか分からないことがある。平安時代だったら、研究が行き届いていて、そうとう細かいことまで分かるのに、例えば明治時代の「芸者」ってどういう存在だったのかは、それほど簡単には分からないのである。
「明治時代の『芸者』はどういう存在だったのか」という疑問に答えてくれるのは、実は、小説の方なのだ。泡鳴の『耽溺』という小説が、その当時の「芸者」の姿の一端を正確に記録しているからだ。『耽溺』だけではない。例えば、前に扱った斎藤緑雨の『わたし船』においても、「シャと言やあ芸者、モノと言やあ囲いもの、字で行くか仮名で行くか、女の捷径(ちかみち)はこの二つさ」という言葉があった。ここでも、「芸者」は「芸を売る」どころか、あからさまに「身を売る」商売とされているわけである。
平安朝の優雅な文化とちがって、近代日本の底辺にある習俗は、公には記録されることもない。だからこそ、近代小説を細かく読むことは、時代を知る上でもとても有益なのだ。
まあ、そんなわけで、こういう方面にはとんと疎いぼくなので、近代の「売春」とか、いわゆる「セックス事情」とかについて書いてあるいい本はないかなあと探したところ、たまたま、井上章一『愛の空間』(角川選書)という本を知り、さっそく古本で買ってみたのだが、これがまたやたら詳しい。まだざっと冒頭あたりを見たぐらいだが、戦後間もなくのころ、皇居前広場は「野外で性交をしあう男女のあつまる場所だった。」なんて記述には、戦後間もなくの生まれであるぼくでさえ、驚愕してしまう。ほんとに、何にも知らずに育ってきたのだと、ため息ばかりである。
(つづく)