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日本近代文学の森へ (10) 岩野泡鳴『耽溺』その4

2018-05-09 09:35:28 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (10) 岩野泡鳴『耽溺』その4

「日本の文学 8」中央公論社

2018.5.9


 

 ひとりの人間をどう見て、どう評価するかは、とても難しい。テレビで話題になる芸能人をとってみても、そのスキャンダラスな行動に対して、さまざまなコメンテーターが勝手な批評をするが、どこまでその人間を知っているのか分かったものではない。ただ、報道された「事実」を元に、勝手な憶測をしてしゃべりちらしているにすぎない。

 この『耽溺』の主人公は、ほとんど岩野泡鳴その人らしいが、こんなことが今のテレビで報道されたら、誰が彼を擁護するだろうか。女の敵だ、ヒドイ奴だ、と非難囂々は間違いないところだろう。

 ヒドイ奴だと決めつけて、石を投げることは簡単だが、それをしないで、待てよ、これはいったいどういうことだろうと、マジメに考えるのが、文芸評論家というものかもしれない。

 今回、岩野泡鳴について、正宗白鳥が何と言っているかを調べているうちに、そうだ、平野謙ならどう考えるのだろうと思って読んでみた。平野謙をちゃんと読んできたわけではないが、時々は読んできていて、なんだか細かいことを丁寧に批評する懐の深い人だなあというような印象を持っていたからだ。幸いなことに、我が家には『平野謙全集』も残っているのだ。

 この『平野謙全集』全13巻は、新刊で買ったのだが(約40000円)、絶版になってから、一時古本で20万円以上の値をつけていた。その時は、まったく読んでもいない全集なので、売りとばしてしまおうかと思ったのだが、なぜかその気になれなかった。今では、古本の値段も暴落して、この全集も何と10000円を切っている。ほんとに、どうしたことだろう。ここ十数年ほどで、世の中の価値観がすっかり変わってしまったとしか思えない。

 まあ、そんなわけで、手元にある『平野謙全集』を開いてみると、ありましたよ、ありました。『耽溺』についても、ちゃんと書いてある。

この主人公の性格は単なる放胆でも粗暴でもなくて、おそらくは無垢なのである。真率なのである。『耽溺』全篇を通読すれば、この主人公がお人好しといってもいいほど正直な人柄であることは、誰の目にも明らかだろう。もしも、世なれた普通の大人なら、この主人公のように女房の着物を入質するほどの無理算段をして、田舎の不見転芸者の身請金をつくるような窮地に陥ることをもっと巧みにすりぬけるはずである。もともと一夏の旅の客に、身請けしなければならぬほどの義理合いはないはずである。女優にしようか妾にしようかと、主人公が一時本気に迷って、女に口約束したにせよ、そんな口約束を無理算段して実行にうつすことなど、世の常の大人のすることではない。無論、主人公が惚れぬいて、どうしても妾にするつもりなら話は別だが、女が悪質の梅毒患者たることを確認すれば、あっさりひきあげてしまうのである。近松秋江の『黒髪』の主人公のような執念は、この男性的な主人公にはない。ただ前後の見境もなく、百五十円の大金を溝にすてたも同然である。こんなふるまいは、到底世の大人のすることではない。ここにこの主人公ならびにこの作者の真率な詩境がある。

 おもしろいなあ。これだから、文学はやめられない。普通なら、「こいつは馬鹿だ。」で終わってしまうところを、こんなふうに考えるなんて、素敵だね。

 平野は何度も「こんなことは世の常の大人がすることではない。」と繰り返しながら、「普通の大人」がしないようなことをする岩野泡鳴の「無垢」「真率」をあぶり出すのである。

 果たして岩野泡鳴は、「無垢」なのか、「真率」なのかは、にわかには判断しがたいが、平野謙の言うことだ、ちゃんと聞いておくにしくはない。
何の義理もない行きずりのやすっぽい田舎芸者に義理立てして、女房の着物を質入れしてまで身請けの金を算段する。しかも、その女に心底惚れているわけでもなく、病気が分かると、あっさり捨ててしまう。そんな泡鳴を平野謙は「男性的」だという。

 そこに引き合いに出されているのが、近松秋江で、話の流れからすれば、近松は執念深く、女性的だということになるわけで、いずれその『黒髪』も再読(数年前に読んだけど忘れてしまったので)しなければならないにしても、確かに、どこまでもその女に執着することはないのが岩野泡鳴だ。
だからこそ、この岩野泡鳴の行動は不可解で、馬鹿だとしか考えられないわけだが、それを別の見方をすれば、そこに「無垢」「真率」があるのだということを、平野謙は教えてくれる。

 小説を読むということ。しかも、あまり人気のない、「変な小説」を読むことは、ぼくらの通り一遍の、薄っぺらい人間認識に、一撃を与えてくれる。「普通の大人じゃない」人間の思考や行動を、じっくりと見つめることが与えてくれる恩恵は、たぶん、大きい。


 


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