日本近代文学の森へ (221) 志賀直哉『暗夜行路』 108 「リアル」のありか 「後篇第三 十一」 その1
2022.7.17
謙作は二、三泊で上京する事にした。わざわざ出るほどの事もなかったが、久しぶりでちょっと帰って見たいような気もしたし、それにこれまで石本が二度そのために来てくれた、それに対し、今度は自分の方から一度出て行こうと考えたのである。
鎌倉へ寄り、信行と一緒に上京し、その夜石本を訪ねたが、相談というほどの事もなく、雑談に夜を更かし、二人は其所へ泊る事にして、並んで床に就いた。その時信行は、
「本郷へ寄る気はないね」といった。
「そうだね。本郷は何か億劫な気がするが、……咲子や妙子には久しぶりで会いたいようにも思う」
「この間お前の話をしてやったら、大変喜んでいたよ」
「そう。何所かで会って行くかな」
「明日は日曜じゃないか?」
「土曜だろう」
「そんなら明後日鎌倉へ呼ぼうか」
「そうしてくれ給え」
「そうか、それじゃあ、そう明日電話で話して見よう。きっと喜ぶだろう」
翌日午後二人が鎌倉へ帰る前にその事を電話で話した。妹たちは心からそれを喜び、翌日の汽車の時間なども打合わせた。
汽車へ乗ると、信行は不意に、
「例の写真は持って来ないんだね。……気が利かないなあ」とこんな事をいった。
「それも考えたには考えたんだが……」
「考えて止める所がお前だよ」と信行は何と思ったかそう鋭くいって笑い出した。謙作はちょっといやな気がした。
「しかし君は大森で見たんだし、……そして咲子たちとは今度会うとは思わなかったもの」
「それはそうだ」と信行は自分のいい過ぎを取消すように二、三度点頭(うなず)いていた。
その夜二人は早く寝た。そして翌朝謙作は信行を残し、その時間に一人停車場へ出掛けて行った。
舞台が京都から、東京、鎌倉へと移る。
信行の言葉は、ほんの小さなことでも、トゲのように謙作に刺さる。「気が合わない」というのは、こういうものだろうか。信行は、最大限、謙作を理解しようと努め、心使いをしている。にもかかわらず、謙作は、その信行の些細な言葉使いに、「いやな気」がする。
謙作が、婚約者の写真を持ってこなかったことを、信行は「気が利かない」という。謙作は、もともと本郷に行くつもりはなかったし、それなら、咲子たちにも会うこともないだろうと思って写真を持ってこなかった。そのことを信行は「気が利かない」といって咎める。謙作にしてみれば心外なことだ。むしろ自慢たらしく写真なんぞ持ってくることのほうが、みっともない、ぐらいの気持ちであったろう。だから、「考えた」けれども「やめた」。つまりは、いったんは写真を持っていこうかと考えたのだ。けれども、いろいろそういうことを考えて、「やめた」のだ。
そのことを捕らえて、信行は「考えて止める所がお前だよ」と「鋭くいって笑いだした」。この「鋭くいって」が効いている。謙作の性質をとことん知り尽くしていて、その弱点を「鋭く」──つまりは、「冷たく」指摘する。それが謙作は不愉快なのだ。
写真を持って行くなんてことを思いつかなかったのならまだしも、写真を持っていこうかなと考えたのなら、無駄を承知で、持って行けばいい。見せずに終わっても、それはそれでいいじゃないか。それなのに、どうしてそういうふうに物事を処理しようとしないのだろう、というのが、信行の気持ちだろう。たった1枚の写真じゃないか。荷物になるわけじゃなし。そういう対処の仕方が「気が利く」ということなのだ。
それはそうだろうとぼくも思う。けれども、謙作は、なぜかそうした気の利かせ方をしない。というか、できない。それは、たぶん謙作にも分からないのだろう。そして、もしかしたら、謙作自身、しまった、持ってくればよかった、と思っているのかもしれない。それなのに、そういう自分に対して、いちいちトゲのある言葉を投げかける信行に、謙作は、いらつくわけだ。
その夜、「二人は早く寝た」。仲のよい兄弟なら、久しぶりのゆっくりした時間だ、つもる話に花を咲かせて夜更かししてもいいはずだ。それなのに、「早く寝た」。そして翌朝は、信行を残して、一人で停車場に出かける。昨晩の「いやな気」の余韻である。
謙作と信行の間には、深くて超えられない溝があるのだ。こういうところ、リアルだなあと思う。リアルは、さりげないところに存在する。
彼がプラットフォームに立っている所に汽車が着いた。二人は大きな荷物を持って降りて来た。
「お兄様は?」と妙子が訊いた。
「自家(うち)で待っている」
「まあ、ひどいわ。こんなに御馳走を持って来て上げたのに……」妙子ははち切れそうに元気に見えた。そして暫く見ない間に大きくなっていた。
荷だけ俥に乗せて、先にやり、三人はぶらぶらと八幡前から学校の横を歩いて行った。長閑(のどか)ないい日で三人とも晴れやかないい気持になっていた。
京都の家(うち)の話など出たが、謙作はなかなか結婚の事をいい出さなかった。いいはぐれた形でもあったが、余りそれが出ないので、咲子の方から、
「今度の事、本統に嬉しいわ」といい出した。
「お式は何日(いつ)? 京都でなさるんでしょう?」妙子もいった。
「多分そうだ」
「その時、私、京都へ行きたいの」
「お兄さんに連れて来てもらうさ」
「ええ、そのつもり。だけど何時(いつ)なの? 学校がお休みでないと駄目なのよ」
「その頃かも知れないよ」
「なるべくそうしてね」
「妙ちゃんの都合で、そんな事決められないわ」と咲子がいった。妙子は怒ったように黙って姉を見返していた。
咲子は学校が休みでも妙子の京都行きは父が許すはずがないと思っているのだ。それは謙作にも分った。分っていながら調子を合わせ、何か話していた事が、自分でちょっと気が差した。で、彼も黙ってしまった。
近くまで来ると、妙子は一人先に駈けて行ってしまった。荷を置いて来た俥が彼方(むこう)から帰って来た。
間もなく二人が西御門(にしみかど)の家についた時には妙子は座敷の真中に大きい風呂敷包みを解いている所だった。
咲子と妙子は、謙作の種違いの妹だ。父と一緒に本郷の家に住んでいる。謙作は、父には会いたくもないけれど、この二人には会いたいと思っていたので、二人は信行に呼ばれて鎌倉まで来たわけだ。それなのに、前の晩に、信行と謙作は、ささいなことで気まずくなって、誘ってきた信行が迎えに来ていないことを知ると、妙子が怒る。
横須賀線でやってきて、鎌倉駅で降り、鶴岡八幡宮から、学校の横を通って、「西御門」まで歩いたということになる。今でも、その道を歩くことができるし、その周辺の建物はそんなに大きく変わっていないだろう。三人がのんびりと話しながら歩いていく様子が鮮やかに目に浮かぶ。「長閑ないい日」とは、こういうものだろう。
こうした映像を思い浮かべ、三人の会話を耳にすると、まるで、小津安二郎の映画見ているような錯覚に陥る。
「西御門」には、里見弴が住んでいたことがあるようだから、この道は、志賀直哉も何度も歩いたことだろう。
小説を読んでいて、楽しいのは、こういうところだ。ああ、あそこを舞台にしてるんだなと分かると、勝手に頭に映像が浮かんでくる。場合によっては、実際に出かけていって、確かめることもできる。もっとも、こういうことができるのは、リアルな小説、特に私小説であって、荒唐無稽なフィクションではそうはいかない。
今放送中にNHKの朝ドラ「ちむどんどん」で、鶴見が出てくるのだが、鶴見の「リトル沖縄」に住む人たちが、町内の「沖縄角力大会」を開くという設定で、その大会をやった場所が、京浜工業地帯のまっただ中の鶴見にあるはずもない、ひろびろとした砂浜だった。ある程度の「リアルさ」を要求されているはずの朝ドラで、こういうありえない設定を平気でやってしまう無神経さというのは、ほんとうに信じられない。
こんなことを「暗夜行路」でやるということは、鎌倉駅で降りた二人と謙作が、そのまま江ノ島まで歩いて行って、お昼までに、二階堂の家に帰ってきました、みたいな話になる。その辺の地理を知らない読者は、そうか、鎌倉駅から江ノ島まで歩いても30分ぐらいなのか、って思うだろう。別に小説読んで地理の勉強するわけじゃないから、いいじゃないかと言われても、そうはいかないのだ。
無邪気な妙子は、謙作の結婚式に、京都へ行くつもりになっているが、それを父は「許すはずがない」のは、どうしてなのか。「許すはずはない」ということを、咲子も、謙作も「分かっている」のはなぜか。謙作の結婚のことを父はどう思っているのか、どこかに書いてあったろうか。ちょっと気になる。