日本近代文学の森へ 253 志賀直哉『暗夜行路』 140 エスカレートする「不愉快」 「後篇第四 三」 その1
2024.1.13
九時何十分に汽車は漸く京都駅へ入った。謙作は直ぐ群集から少し後ろに離れて直子と、それに附添って水谷が立っているのを見つけた。彼は手をあげた。
水谷は直ぐ人を押分け、馳寄って来た。そしてまだ動いている列車について走りながら、荷を受取ろうとした。謙作は末松なら分っているが、水谷が迎いに来ている事が何
となく腑に落ちなかった。自分とのそれほどでない関係からいって何か壺を外れた感じで漠然不愉快を感じた。
彼は小さい荷物を水谷に渡しながら、
「赤帽を呼んでくれ給え」といった。
「いいですよ。ずんずんお出しなさい」
そういいながらお栄の出す荷物も一緒に水谷は忙しくおろしていた。
直子はちょっと羞(はにか)んだ微笑を浮べながら近寄って来た。
「お帰り遊ばせ」そしてお栄の方にも頭を下げた。
「とにかく赤帽を呼んで来ないか」彼は直子にいった。
「いいですよ。奥さん」水谷は自分の働きぶりを見せる気なのか、またそういった。謙作は苛々しながら、
「いいですって、君、これだけの荷が持って行けるかい」といった。
大きなスーツケースが三つ、その他信玄袋や、風呂敷包みがいくつかある。水谷はそれらを眺めて今更に頭を掻いた。そして、
「じゃあ、僕が呼んで来ましょう」と、急いで赤帽を探しに行った。
直子は京都駅には迎えに来ていたが、やはり大阪、神戸、三ノ宮と迎えを期待していた謙作には、不満があった。その上、末松ではなくて、水谷が同行している。
末松というのは、謙作の中学以来の年下の幼なじみで、ずいぶんと親しいのだが、水谷というのは、その末松が謙作の愛読者だといって連れてきた男だ。初対面のときから、謙作は水谷にいい感情を持たなかったのだ。
その水谷が、頼みもしないのに直子についてきて、なんやかやと世話を焼こうとする。それが謙作にはうっとうしい。手伝わなくてもいいから赤帽を呼べという謙作の苛立ちがよく伝わってくる。
「お帰り遊ばせ」という直子の言葉は、謙作が待ちに待った言葉なのに、それも頭に入ってこないように、謙作は苛立っている。それは、水谷に対して、というよりも、直子に対して、であろう。しかも、自分がお栄を連れているという微妙な「負い目」が、その苛立ちに拍車をかけているようにも思える。
謙作は忘れ物のない事を確め、お栄を先に列車から下りた。
彼は簡単に、
「直子です」とお栄に紹介した。
「栄でございます、何分よろしく……」二人は丁寧に挨拶を交わしていた。
「どうぞお先へいらして下さい」こういいながら水谷が赤帽と一緒に還って来た。
「毀物(こわれもの)があるんだが、それだけ持って行こう」
「どれです。これですか?」
「僕が持って行くよ」謙作は高麗焼を少しばかりと李朝の壺をいくつか入れた一卜包みを取上げた。
「大丈夫です。僕が持って行きますよ」水谷は奪うようにそれを取った。
一体そういう所のある水谷ではあるが、今日は一層それが謙作には五月蠅(うるさ)く思われた。
彼はお栄と直子を連れ、改札口を出、そこに立って赤帽らを待った。
水谷のこうした態度は、今に始まったことではないが、「今日は一層それが謙作には五月蠅(うるさ)く思われた」というのは、やはり直子への不満が根底にあったからだろう。
自分は気をきかせたつもりでも、相手が、そうとるとは限らない。機嫌の悪いときというのは、かえってそういう「気遣い」が「五月蠅く」感じられるものだ。
謙作は、なぜ水谷が来たのかと問わずにはいられない。
「どうして水谷が来てるんだ」彼は直子に訊いてみた。「今日自家(うち)へいらしたの。この間要(かなめ)さんが来て、三晩ばかり泊って、その時水谷さんや久世さんもいらして、お花で夜明しをしたんですの」
「何日(いつ)」
「四、五日前に」
「要さんは何日(いつ)帰った。末松は来なかったのか?」
「末松さんは一度もいらっしゃいません。要さんの帰ったのは《さきおとつい》です」
「敦賀へ帰ったのか」
「九州の製鉄所へ見学に行くとかいっていました」
「八幡だね」
「ええ」
謙作は何となく不愉快だった。直子の従兄(いとこ)が、来て泊る事に不思議はないようなものの、自分の留守に三日も泊り、その上、自身の友達を呼んで夜明かしで花をしたというのは余りに遠慮のない失敬な奴らだと思った。また、直子も直子だと思った。
水谷が一緒についていたのは、「今日」水谷が家に来たからだという。水谷は、今日謙作が帰ってくるということを知っていて、「手伝い」にやってきたのだろうか。それはそれでいいとしても、直子の言った言葉が、謙作を更に苛立たせる。
謙作は「何となく不愉快だった」というが、「何となく」どころではないだろう。夫のいない家に、3日も泊まるというのは、いくらなんでも不見識で、それを許す直子もよくない。まさに「直子も直子だ」と誰だって思うだろう。
こうした謙作の感情の揺れを、志賀はこんなふうに書く。
僅か十日間ではあるが、結婚してこれが初めての旅だった。彼は直子がその間、淋しさに堪えられないだろうと思い、敦賀行きを勧めた位で、自分も朝鮮でそう気楽にしている事が直子に済まない気がし、かつ自身も早く帰りたく、彼は直子に会う事にかなり予期を持って帰って来たのだ。しかし会った最初から、何か、直子の気持がピタリと来ない事が感ぜられ、それに水谷の出ていた事がちょっと彼を不機嫌にすると、それが直子にも反射したためか、直子の気持も態度も変にぎごちない風で、不愉快だった。
「不愉快」がだんだんとエスカレートする。だから言ったじゃないか、おれはお前のことを思って敦賀の実家へ行けといったんだ。オレは、朝鮮にいる間、ずっとお前に申し訳ないと思っていたんだぜ、それなのに、男三人と夜っぴて花札かよ、まったく何やってんだ、と、ガラの悪い男なら口に出して言うところだが、謙作は生まれがいいから、そんなことは言わない。言わないけど、腹の中は煮えくり返っている。
「予期」という言葉が出てくるが、今なら「期待」とするところ。今では「予期」は「予想」ぐらいの意味で使われるが、もともとは「あらかじめ期待すること。前もって期待して待ち受けること。」の意味だ。
水谷が毀物の風呂敷を下げ、赤帽についてニコニコしながら出て来た。
「チッキの荷もあるんでしょう? 直ぐとらせましょう」
謙作はそれには答えず直接赤帽にいった。
「市内配達があるだろう」
「ござります」
「衣笠村だけど届けるかね」
「さあ、市外やと、ちょっと、遅れますがな」
「そう。じゃあ一緒に持って行こう」謙作は側で何かいっている水谷には相手にならず、割符を赤帽に渡した。荷とも俥四台で行く事にした。謙作の不機嫌にいくらか気押され気味の水谷は、それ
でも別れ際に、
「二、三日したら末松君とお伺いします」
といった。
「それより末松にあした行くといってくれ給え」
「承知しました。あしたは末松君も僕も学校は昼までですから、お待ちしています」
「少し用があるから一緒に出たいと末松にいってくれ給え」
謙作は苛々した。
苛立つ謙作と、なんでそんなに苛立つの? って感じの水谷のやりとりが面白い。水谷は善人には違いない。それだけに手の付けようがない。
「結婚して初めての旅(一人旅)」が、この後、とんでもない出来事を生んでいたのだが、そのことを知らなくても、なにやら不穏な雰囲気が漂う「帰宅」だ。