真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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東京裁判NO2 清瀬弁護士の陳述とキーナン首席検事の反論

2020年07月08日 | 国際・政治

 「東京裁判 大日本帝国の犯罪 上」朝日新聞東京裁判記者団(講談社)によると、東京裁判の罪状認否が始まる直前、清瀬一郎弁護団副団長は、
有罪、無罪の申し立ての前に、その前提となる動議があります。裁判官にたいする忌避の申し立てです」と、ウェッブ裁判長の忌避を申し立てています。
 また、「この法廷が違法である」とも指摘して、被告の厳罰を回避すべく、手を尽くしています。

 しかしながら東京裁判は、日本側のポツダム宣言受諾に基づくものである上に、キーナン主席検事をはじめとする国際検事団は、1945年(昭和20年)11月6日厚木飛行場に着いて以来、約五ヶ月にわたって関係者の尋問を進め、日本の戦争の全体像をほぼ正確につかんで裁判に臨んでおり、清瀬弁護人の抵抗が功を奏することはあまりなかったようです。
 
 清瀬弁護人は、”当裁判所においては、平和に対する罪、また人道に対する罪につき裁く権限がない”と強く主張していますが、”戦争犯罪人と称しない者の裁判をなす権限はない”というのは、ポツダム宣言を歪曲する解釈に基づくものではないかと思います。
 ポツダム宣言には、”われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである”とあります。捕虜を虐待するような犯罪を犯したものはもちろん、そうした戦争犯罪者を”含めて、すべての戦争犯罪人に対して”とあることを読み飛ばしてはいけないと思います。

 また、宣言には、”日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、全ての時期における 影響勢力及び権威・権力は永久に排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである”ともあります。こうした内容のポツダム宣言に基づいた裁判である以上、戦地で戦争犯罪を犯した者のみを裁いて終わりにすることはあり得ないことだと思います。教唆者や命令者も、罪を逃れることはできないということです。
 また、戦地での戦争犯罪が、大本営などの最高統帥機関の作戦や命令と切り離せないものであったことは、日本軍関係者の証言によっても明らかであり、清瀬弁護人の主張には無理があると思います。

 さらにいえば、「平和に対する罪」の背景には、国策の手段としての戦争は違法であるという不戦条約の考え方があるのではないかと思います。確かに、日本軍指導者を裁くことのできる明文化された法や条約は存在しないかもしれませんが、キーナン首席検事が十二月の記者会見で”裁判の準拠法は文明国間に長年にわたっておこなわれた慣習法である”と明言しているのです。
 第一次世界停戦以後の世界では、「平和に対する罪」を裁く慣習法が存在していたと考えることはできるということだと思います。だから、”ニュールンベルクにおける裁判で、平和に対する罪、人道に対する罪を起訴しているからといって、それをただちに類推して極東裁判に持ってゆくということは、絶対の間違いであります”というのは、通らないのだと思います。
 今も、東京裁判における「平和に対する罪」は、事後法による裁判であり、「勝者の復讐裁判である」というような主張をする人が多いのですが、それはキーナン検事のいう”文明国間に長年にわたっておこなわれた慣習法”の無視であると思います。
 キーナン検事が取り上げているように、例えば、「ベルサイユ条約の第7編、制裁、第227条」
同盟及び連合国は国際道義に反し条約の神聖を涜したる重大の犯行につき前ドイツ皇帝「ホーヘンツォルレルン」家の維廉(ウィルヘルム)2世を訴追す
右被告審理のため特別裁判所を設置し被告に対し弁護権に必要なる保障を与う
該裁判所は5名の裁判官をもってこれを構成しアメリカ合衆国、大ブリテン国、フランス国、イタリー国及び日本国各1名の裁判官を任命す
右裁判所は国際間の約諾に基づく厳正なる義務と国際道義の厳存とを立証せむがため国際政策の最高動機の命ずるところに従い判決すべし その至当と認むる刑罰を決定するは該裁判所の義務なりとす
同盟及び連合国は審理のため前皇帝の引渡しをオランダ国に要求すべし”(国会図書館デジタルコレクション)
とあります。
 第一次世界大戦の休戦協定締結後、この世界戦争の責任はドイツ側にあるとする考え方で、連合国側は裁判を計画しました。その際、ドイツ軍のベルギー侵攻やルシタニア号事件のような軍事行動は、戦争犯罪に当たると考えられたといいます。そして、その最終責任は皇帝ヴィルヘルム2世にあるとするのが、上記「ベルサイユ条約の第7編、制裁、第227条」です。
 ドイツ海軍潜水艦の雷撃を受け、沈没した当時最大の旅客船ルシタニア号の犠牲者は1,198名で、そのうち128名はアメリカ人であったといいます。
 この戦犯裁判は、オランダ政府がヴィルヘルム2世の引き渡しに応じなかったため、実現しなかったようですが、成文法の違反とはいえないこの訴追は、「平和に対する罪」の前例とも考えられ、キーナン検事は、こうした前例も踏まえて、”裁判の準拠法は文明国間に長年にわたっておこなわれた慣習法である”と主張したのではないかと思います。ニュールンベルク裁判の平和に対する罪や人道に対する罪よる起訴も、こうした考え方が一般的になっていた証ではないかと思います。
 そして、ヴィルヘルム2世を特別法廷で裁く戦犯法廷5名の裁判官の一人が、日本人であったということも見逃すことができません。

 また、このような慣習法の考え方を進めることが歴史の進歩につながるのだと思います。そういう意味で「平和に対する罪」を受け入れないということは、平和的に戦争を回避しようとする国際社会の考え方の流れに逆らうものだと思います。 キーナン検事の”被告らは本裁判の合法性に異議を申し出ているが、その異議はすべての文明の破壊を防止するため有効な手段を講じる文明国の能力に対するあきらかな挑戦といわねばならない”という主張は、平和な国際社会を築くために重く受け止める必要があるのではないかと思います。
 下記は、「東京裁判 大日本帝国の犯罪 上」朝日新聞東京裁判記者団(講談社)から一部抜粋しました。
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                 第二章 市ヶ谷の熱い日々

                    有条件降伏
 堂々の論陣
 このような背景のもとに、五月十三日の法廷で、清瀬弁護人は正面から法廷の罪、合法性を論証しようとした。例によって、兵隊靴をガッシリと踏みしめ、小柄ながら全身に闘志をわきたぎらせ、あるときは右腕を振り、あるときは卓上の草稿をたたき、
「日本の降伏はドイツとはちがう。ポツダム宣言という条件による降伏である。この条件は連合国もまた守らなければならぬ」
とやり出したのである。 
 むろん、法廷における論争だからできたことである。弁護士だからできたことである。しかし、あの混乱のさ中における弁論の準備、論理の組立、そして誰はばからず喝破するその勇気には、廷内にいる者誰もが感銘をうけたことである。
 清瀬陳述の要旨はつぎの通りである。
「その第一は、当裁判所においては、平和に対する罪、また人道に対する罪につき裁く権限がないということであります。
 いうまでもなく、当裁判所は連合国が1945年7月26日にポツダム宣言で発した降伏勧告の宣言、その中に連合国の捕虜に対して残虐行為ををなした者を含むすべての戦争犯罪者に対しては峻厳なる裁判をおこなわるべし、という条規が根源であります。このポツダム宣言は同年9月2日に東京湾で調印された降伏文書によって確認受諾されたものであります。それゆえに、ポツダム宣言の条項はわが国を拘束するのみならず、ある意味では連合国もまたその拘束を受けるのであります。すなわちこの裁判所は、ポツダム条項で戦争犯罪人と称する者に対する起訴は受けることができますが、同条項で戦争犯罪人と称しない者の裁判をなす権限はないのであります。
 本法廷の憲章においては、平和にたいする罪ないし人道に対する罪という明文はありますけれども、連合国においてこのような罪に対する起訴をする権限がなければ、連合国から権限を委任された最高司令官は、やはりその権限はないのであります。自己の持たない権限を他人に与うること能わずという法律上の格言は、国際条約の解釈の上においてもまた同様であります。それゆえにわれわれは、ここに冷静に厳格に、ポツダム宣言で戦争犯罪人と称するものの意義、限度をきめてかからねばなりません。
 本法廷憲章の発布された一月十九日、マッカーサー元帥の特別命令の中に、連合国は随時戦争犯罪者を罰する旨を宣言したということが載っております。この宣言もやはり、わが国に対する宣言と解釈するのほかありません。
 しかしドイツに対する宣言、ヨーロッパ枢軸国に対する宣言を、日本にあてはめるわけにはゆきません。ドイツに対し、モスクワ、あるいはヤルタ、これらの会議でどう宣言されようとも、わが日本に対し、その宣言を適用するという理由は断じてありません。
 裁判長、ここが私は非常に大切なことと思います。ドイツとわが国とは、降伏の仕方がちがっている。ドイツは最後まで抵抗してヒトラーも戦死し、ゲーリングも戦列を離れ、ついに崩潰してまったく文字通りの無条件降伏をしました。
 わが国では、まだ連合軍が日本本土に上陸しない間にポツダム宣言が発せられ、その第五条には、蓮合国政府は、われわれもまたこれを守るであろうという条件で──この条件は連合軍も守るであろうということで、わが国に対して宣言を発し、わが国はこれを受諾したのであります。それゆえ、ニュールンベルクにおける裁判で、平和に対する罪、人道に対する罪を起訴しているからといって、それをただちに類推して極東裁判に持ってゆくということは、絶対の間違いであります。
 わが国では、ポツダム宣言という一つの条件付き、かりに民事法の言葉を借りれば、ひとつの申し込みについた条件があるのです。それを受諾したのですから、連合国といえども、これを守らなければなりません。連合国側では、今回の戦争の目的の一つが、国際法の尊重であるということをいっております。
 国際法の上からみて、戦争犯罪の範囲を超越するということはまさかなかろうと、われわれは固く信じておったのです。日本国民もそう信じ、その受諾を決しました。
 当時の鈴木貫太郎内閣でも、この条件の一つである戦争犯罪人の処罰というものは、世界共通の言葉、よくきまった熟語、それで罰せられるものだ、と思って受諾している。受諾してしまうと、当時とはちがう他の罪を持ち出してこれを起訴するということは、いかがなものでしょうか。
 世間では、国家の政策としての戦争、又は侵略戦争それ自身が犯罪となると極論する人もあります。しかしこれは徹底的に間違いです。不戦条約は、国の政策としての戦争はとがめて非としておりますが、これを犯罪とはいっておりません。
 終戦後、ヨーロッパからの資料を研究すると、1945年8月8日に、ロンドンの戦争犯罪会議で、戦争犯罪の意義を拡張することがきまったということです。これがすなわちニュールンベルク裁判のチャーターです。しかし、それは八月八日のこと、われわれへのデクラレーションは七月二十六日の宣言を解釈するのに、八月八日の資料をもってするというのは矛盾撞着、いやしくも法律家のすることではありません。
 この問題は、じつに大きな問題で、私は、今日の世界で、法律問題としては、この裁判所の管轄にかんする問題くらい大きな法律問題はないと思います。
 日本に対して、平和に対する罪だといって、当時の政府の要人、当時の外交官、当時の民間の指導者を被告とするということは、どういうわけでしょうか。われわれ日本人としては、じつに、重大なる疑義を持っています。
 すなわち訴因第一より、第三十六までは、これを調査する必要なく、本裁判所の権限に属さないものとして排斥されんことを請います。
 
 また、起訴状には、人道に対する罪と称して、麻薬乱用防止条約なり、議定書の違反、これを罪としてあげている。すなわち訴因第五十三、ないし五十五の戦争犯罪を除いた部分、付属文書Bがこれに当たる。
 また、その上に単純な殺人罪、戦争の開始の際または戦争攻撃中に発生した軍人または非戦闘員の生命に対する加害をも戦争犯罪としてあげている。訴因第三十七ないし五十二がすなわちこれである。これらもまた先刻言った理由により、戦争犯罪にのらないものとして、証拠調べを要せず、ただちに排斥することを要望いたします。以上が異議の第一点です」

 「タイ国との戦争はフィクションだ」
「異議の第二点を説明します。ポツダム宣言の受諾とは、七月二十六日現在に連合国とわが国との間に存在しておった戦争、われわれは当時大東亜戦争と唱えた戦争、その戦争を終了する国際上の宣言であったのです。それゆえに、その戦争犯罪とは、あの時に現に存在していた戦争、諸君の言う太平洋戦争、この戦争の戦争犯罪をいったものです。この大東亜戦争にも含まれず、すでに過去に終了してしまった戦争の戦争犯罪を思い出して起訴するということは、断じて考えられておりません。そこで、私ども、じつに不思議にたえないのは、遼寧、吉林、黒竜江、熱河における日本政府の行動を戦争犯罪としていることです。これは、あの満州事変を宣言なき戦争とみておられたのでしょうけれども、満州事変の結果、満州国ができ、満州国は多数の国々によって承認されております。
 ここにはソ連代表の裁判官もおりますが、ソ連は満州国を承認しています。東支鉄道は、ソ連から満州国に売却されました。満州国を国と見なければ、それに売却するということは起こりませんから、ソ連は満州国を承認しておるものと、われわれは解釈しております。
 そうして見れば、遼寧、吉林などに関する事件は、古き過去の歴史であります。太平洋戦争には包含されないものです。
 しかるに、本件の起訴状の訴因第二は、これ等の事件にさかのぼり、戦争犯罪があるとして訴えられているのです。
 さらに驚くべきことは、わが国と、ソ連との間にかつて起ったハーサン湖区域における事件、またハルヒン・ゴール河流域における事件、前の事件をわが国では張鼓峰事件といい、あとの事件はノモンハン事件というが、これらの事件は、1938年八月に日ソ間に停戦協定が成立しております。
 さらにハルヒン・ゴール河流域における事件も、1939年九月には協定済みです。その後、日ソ間には中立条約ができて、ロシアと日本の間は、七月二十六日には戦争状態にはなかったのです。
 以上の理由から、訴因第二十五、二十六、三十五、三十六、五十一、五十二、この訴因の排斥を求めます。
 第三点は、降伏は、戦争状態にあった国との間のことで、タイ国とわが国は同盟国であった。わが国がタイ国で戦争犯罪をしたといったようなことは、夢想もできぬ架空のことのように思うのです。かりになにかの解釈で、日本とタイ国とが戦争をしていたと仮定しても、タイ国は連合国ではない。それゆえに、わが国がタイ国に対して犯した戦争犯罪は、この裁判所で裁判すべきものではないのです。しかし訴因第四の一部分、十六、二十四、三十四では、わが国がタイ国でタイ国に対して戦争犯罪を起こしたとして、この戦争犯罪につき中央にいた被告が責任を負うべきだというのです。この訴因もまた本裁判所で裁判されるに適しない範囲外、権限外のものですから、証拠を要せずして、ただちに排斥されんことを求めます。
 以上三点につき、あらかじめ処理を願います。

「日本の降伏は無条件だ」
 この清瀬陳述に対して、当然キーナン首席検察官が立って、連合国の立場から反論を行った。
 キーナン氏は、まず、
「世界の人口の半数ないし三分の二まで占めている十一カ国が、今までの侵略戦争により多くの資源を失い、また非常な人的損失をしているが、この連合国がこの野蛮行為および略奪行為に対して責任のある者を罰することができないのだろうか。また、この十一カ国は、この侵略戦争を武力をもって終結させたのだが、彼らはこの侵略戦争の責任者をただなにもせずに、このまま放っておくことができるでしょうか」
 とやや感情的に、大上段に振りかぶった議論からはじめたが、さすがにウェッブ裁判長もそれを聞きとがめ「これらの言葉は、この際不適当」という注意をしばしばはさんだ。
 しかしキーナン氏はその語調を改めず、
「日本の降伏は無条件降伏である」
 と主張し、さらに、
「1919年ベルサイユ条約の日本をふくむ締結国は、犯罪の廉(カド)をもってドイツ皇帝ウィルヘルム二世の公判について規定した。四十八カ国によって調印された国際紛争の平和的解決についてのジュネーブの決定書には、侵略戦争は国際的犯罪を構成すると規定している。ついで1927年、国際連盟の第八回総会で満場一致で決議されている。日本はこの両方の締結国である。1928年の第六回汎米会議は、侵略戦争は人類に対する国際犯罪を構成すると規定している」
と反論、さらにモスクワ宣言、ポツダム宣言、およびカイロ宣言にも言及して、
「疑問があるならば、ポツダム宣言を読めば、その疑いはすぐに晴れるはずである」
として、一切の戦争犯罪人の処罰の中には戦争指導者の裁判もふくみ、その個人の責任を追及するのは当然である、と強調した。

「文明への挑戦」 
 検事側論告の大前提ともいえる冒頭陳述(オープニングステートメント)は、六月二十四日、キーナン首席検事によっておこなわれた。ニュールンベルク裁判のジャクソン検事の冒頭陳述に匹敵する歴史的陳述である。
 そこには、検事団の東京裁判に対する態度、国際法に対する見解、立証すべき基礎的侵略の事実、などが総括的にまとめあげられている。それは四万字に達する膨大なものであるが、大要は、つぎの通りである。
「一、被告らは文明に対し宣戦を布告した。民主主義とその本質的基礎すなわち人格の自由と尊重を破壊しようと決意し、この目的のためヒットラー一派と手を握った。そしてともに彼等は民主主義国家に対し、侵略的戦争を計画し準備しかつ開始したのである。それのみではない。被告らは進んで人間を動産および抵当物のごとくとりあつかった。これは、殺戮という百万の人々の征服および奴隷化を意味する。そういうことは彼等にはなんら重要ではなかったのである。条約、協定および補償は彼等にとってはじつに単なる言葉──紙片──でしかなかったし、アジアひいては世界の支配と統制が彼らの共同謀議の主意であったのである。
 将来の戦争はあきらかに文明の存在をおびやかす。人類の願望たる平和の問題は、今こそ十字路に達している。われわれに付与された権限をもって、このような将来の戦争を防止するため正当かつ効果的な方法を講じることがわれわれの責務だ。本審理を通じ、将来同様の侵略的好戦的活動をなすような人士の出て来るのを制止するすることがわれわれの法廷に切望するところである。
一、殺戮は正義または法律とは断じてあいいれない。百万人の生命の破壊を計画し、これを実行することもただ一人の殺害を計画し、これを実行することも、同様不法行為にほかならない。さらに国家の法律および制度を支持するからといって、それはけっして刑罰の免除の理由にならない。
一、被告らは本裁判の合法性に異議を申し出ているが、その異議はすべての文明の破壊を防止するため有効な手段を講じる文明国の能力に対するあきらかな挑戦といわねばならない。そこでわれわれがもし責務を果たしえず、世界を破壊に導くような暴力に対し終止符を打ちえなければ、この失敗はそれ自体犯罪を構成するものであろう。
一、起訴状が根拠としている法律について一言すれば、第一の犯罪は共同謀議である。
一、第二の犯罪は起訴状中の不法行為であるが、その本質的要素は侵略戦争ということにつきる。
一、共同謀議に参加した各個人は共同の計画の推進に当たり、共同謀議に参加した他のいずれの者の犯した個々の行為についてもひとしく責任がある。日本政府において権力ある地位をしめ、その権力により不法な戦争を共同謀議し計画し準備しかつ実行した被告らはその戦争から生ずるあらゆる犯罪行為に対し責任を負うべきものである。
一、このように個人が国家の首脳者として犯した不法行為につき、個人として罪を問われることは歴史上初めてのことであって真に先例をみない。しかしわれわれは文明の存在そのものにかんする厳しい現実に直面しているのである。最近の科学の発達に伴って次の戦争は必然に文明の破滅をもたらすであろう。これは理論ではなく今日では事実である。
一、国家自体は条約を破るものではなく、また公然たる侵略戦争をおこなうものではなく、責任は正に人間という機関にある。これらの被告の不法行為の結果はあらゆる犯罪の内でもっとも古い犯罪である殺人を構成し、人命の不法もしくは不当なる奪取となった。われわれが求める処罰はこのような不法行為に相応するような処罰なのである。

 


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