このところ、毎日のように、中国の「ゼロコロナ抗議デモ」の報道が続いています。確かに余りに強引なゼロコロナ政策には問題があると思います。
でも、私は、この抗議デモの先行きに不安を感じます。
新疆ウィグル自治区出身の学生が、多くの学生が見守るなか、ウルムチの火災で亡くなった被害者を追悼し、”私は、勇気をもって立ち上がります” 中国政府に対する抗議の声を張り上げたというのですが、ゼロコロナ政策に対する抗議の中心に、新疆ウイグル自治区の人たちを登場させ、ゼロコロナ政策に対する抗議を、習体制に対する抗議へと発展させようというアメリカのシナリオがあるのではないかと疑わざるを得ないのです。
アメリカのカービー国家安全保障会議広報担当調整官が、会見で”ホワイトハウスは、平和的に抗議する権利を支持する”とか、”人々が集まって平和的に抗議する権利は認められるべきだ”との考えを示し、バイデン大統領も中国の状況について報告を受け、抗議活動に注意を払っていると説明したことが報道されました。
でも、ソロモン諸島が中国と安全保障協定を結んだことに対するアメリカの反応を見ても、注意を払っているだけでないだろうことは明らかだと思います。新疆ウィグル自治区に対してアメリカは、合法、非合法を問わず、ありとあらゆる働きかけをしてきた筈であり、ゼロコロナ抗議デモは、アメリカにとって、習体制をゆさぶる恰好の出来事だったのではないか、と想像します。
ノルドストリーム2を利用した天然ガスの大量供給によるロシアのヨーロッパ諸国に対する影響力の拡大や、「一帯一路」の構想に基づく中国を中心とした世界経済圏の確立の動きは、アメリカの覇権崩壊に直結する問題であり、アメリカが何とかしてそれを阻止しようと必死になっている現状を見逃してはならないと思います。
ウクライナ対する莫大な軍事支援や、台湾に対する高度な武器の売却をはじめとする強力な働きかけは、そうしたアメリカの立場をあらわしていると思います。
だから、そういうことを踏まえて、中国のゼロコロナ抗議デモを見れば、アメリカにとって中国の習体制をゆさぶる恰好の出来事であり、そのデモをさらに拡大させ、暴力化することによって、中国を孤立化させ、弱体化させるチャンスにしようとしているのではないか、と私は思うのです。
世界中の紛争に関わるアメリカのNSAやCIAという組織が、何もせず傍観している筈はないのであり、ゼロコロナ抗議デモにも、さまざまな関与を画策しているだろう、と私は疑うのです。
そして、そう疑わざるを得ないような事実が、アメリカにはいくらでもあるのです。例えば、下記の抜粋文に
”レーガンの真意はあまりにも明白で、違う意味には取りようもなかった。つまり、米軍基地はフィリピンの民主主義よりも重要であるということだった。フィリピン国民は深く傷ついた。”
とあります。
同じようなことは、日本の米軍基地についても言えるのではないかと思います。アメリカにとって、日本の米軍基地は日本の民主主義よりも重要である、との考えから出てくるようなアメリカの対応は、日本の裁判に対する干渉や米軍機墜落事故、米兵による事件の処理、辺野古基地移設問題その他、いろいろな場面で、日本人が実感させられてきたのではないかと思います。
アメリカ国内は、民主主義に基づく統治がなされており、アメリカ国民には自由が保障されていると思います。だから、ゼロコロナ抗議デモに対するカービー国家安全保障会議広報担当調整官の指摘は、民主国家アメリカによる当然の指摘として、広く受け止められているのではないかと思います、しかしながら、その言葉の裏側に、あくまでもアメリカの覇権と利益の維持拡大を目的とする対外政策があることを見逃してはならないと思います。
下記は、「アキノ大統領誕生 フィリピン革命は成功した」ルイス・サイモンズ・鈴木康雄訳(筑摩書房)から、アメリカがフィリピンの不正選挙を黙認し、マルコスを支援した事実について記した、”14 「これが民主主義の選挙か」”の一部を抜萃したものです。
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14 「これが民主主義の選挙か」
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週が明けた月曜日になると、どういうわけか両集計組織( NAMFRELとCOMELEC)とも、自分たちの支持する候補が60万票内外というほぼ同じ差でリードしていると発表した。集計結果が二つ出るため、全国いたるところで混乱が生じた。国営テレビ・チャンネル4の解説者は、視聴者に対して、どちらの集計結果も公式のものではなく、当選者は国会で決定されると説明した。実際、いずれの集計も確定票という発表はなかった。
このころになると、マルコスは、自分を正式な当選者として認定するための手続きを急いだ。2月11日、国会は本議会を開き、最終投票数を確定する手順を決めた。ワシントンのレーガン政権は、議会がマルコス勝利を法的に確認しようとしていることを予期して、アメリカはマルコスと従来通りの関係を維持する用意があるという合図を送った。国務省のフィリピン問題専門家とホワイトハウスの保守系イデオローグの間で、長期わたって舞台裏で繰り広げられてきた闘いが一気に表面化した。まずレーガン大統領は、全米の新聞編集者との昼食会で、「フィリピン政府がきちんと機能するよう、マルコスとアキノが手を結ぶことは可能だ」という期待を表明した。レーガン大統領が、きわめてきびしい事態を迎えたフィリピン大統領選挙をごく表面的にしか理解していなかった、ということをはっきり示したこの驚くべき無神経な発言に、アキノとその支持者思わず背筋の寒くなる思いにかれた。ジミー・オンピンは、「アメリカには失望のきわみだ。アメリカがこのようにいい加減な態度をとるなら、今後アメリカを信頼することはとてもできない」と語った。
ワシントンに戻ったルガー上院議員は2月21日、アキノは全投票の”少なくとも”60%を獲得したことをレーガンに報告した。そして米監視団は「ありとあらゆる不正工作にもかかわらず、アキノは依然としてリードしていると考えてよい」という結論に達したと述べた。彼は、あからさまな投票のごまかしを、いくつか具体例をあげて説明した。マルコス支持が強い地域では、実際の有権者数より投票数の方が50%も多かった事例、いくつかの地方集計会場では NAMFREL 関係者が締め出され、蓋を開けてみると、アキノ票はゼロとなっていた事例、レーガンは話を聞いてはいたが、真剣に耳を傾けていたようには見えなかった。マニラではボズワース大使がコリー・アキノの弟ペピン・コファンコに、一枚の声明の写しを見せていた。そのホワイトハウスの声明は、間もなくワシントンで発表される手筈になっていた。声明の内容は、アキノは勝利したにもかかわらず、不正工作で妨害されたというアキノの主張を支持していた。しかし、結局この声明は発表されずに終った。しかもレーガンは、ルガーからフィリピン情勢に関する報告を受けた2~3時間後に、ホワイトハウスの記者会見で、不正は両陣営とも行ったと語ったのだ。その上、大統領は「以前から述べてきた通り、アメリカは、フィリピン国民の意志に従って成立したのであればどのような政府であれ、有効関係を求め、継続していくつもりである」と述べた。
しかしながら、フィリピン国民を最も傷つけたのは、たとえ米軍基地の将来が危機にさらされようともフィリピンの民主主義を支持するかどうか、という質問に対する彼の答だった。「こうした米軍基地の重要性を過小評価すべきでない。在比米軍基地が、アメリカや西側世界にとってだけではなく、フィリピン自身にとっても非常に重要であることは明らかである」。
レーガンの真意はあまりにも明白で、違う意味には取りようもなかった。つまり、米軍基地はフィリピンの民主主義よりも重要であるということだった。フィリピン国民は深く傷ついた。アメリカ側でも大統領のコメントに、国務省の専門家は身震いした。専門家たちは、アメリカに対するフィリピン国民の善意が得られなければ、米軍基地は無価値に等しいことを知っていたからだ。レーガンが自分のスタッフと協議しないで、これほど無神経な発言をすることは珍しかった。とはいえ、この場合、レーガンは自分の本心を語ったにすぎなかった。スタッフは唖然とするばかりだった。一方、マニラの政府系マスコミ関係者は、頬が緩み放しだった。レーガン発言はどうみても、マルコスが勝利することを期待しているとしか解釈できなかったからだ。
アキノは烈火のごとく怒った。レーガン失言の重大さを痛切に感じたボズワース大使は、アキノと彼女の弟ペピンに二度会い、「くれぐれも慎重に行動してほしい」と懇請した。ボズワースは、レーガンのコメントは、国務省の考え方や、大統領が最も信を置いているホワイトハウスの補佐官たちの多くの考え方さえも反映するものではない、とアキノに訴えた。しかし、アキノは、アメリカがフィリピン大統領選の結果にどう対応するかは、結局のところ大統領が決定するのだと理解し、レーガンに対して辛辣きわまりない攻撃をあびせた。
「民主主義国の友人は、自国の解放をめざすフィリピン国民を欺くマルコス氏と手を結ぶ選択を行ったが、いったいその動機は何だったのか。一国の国民を再び不自由の身に押しやるような行動に対しては、フィリピン国民だけでなく、大多数のアメリカ国民や米議会も、非難を加えると思う。私は友人に対して、今後は、自国の大使館、オブザーバー、マスコミに、情報を再確認した上でこの選挙についてコメントされるよう提案する。野党指導者が、過去および現在も再三にわたって殺害されている状況下で、西欧に見られるような二党体制で各々の党が健全に役割を果たすことができると思うのは誤解である」
マルコスの大統領当選確定手続きを巡る慌ただしい動き、コンピューター・オペレーターの職場放棄や、レーガン大統領がとったフィリピン国民の心情を全く理解しないような態度、大統領選開票をめぐるいらだち──こうしたものが積み重なり、ついにフィリピンで最も強大な勢力であるカトリック教会が立ち上がることになった。ヴァレンタイン・デーはフィリピンでも盛大に祝われるが、この年のヴァレンタイン・デーは違っていた。主教たちは長年の間決して超えることがなかった垣根をのりこえ、歯に衣着せぬ表現でマルコスを正面から非難したのである。百十人の主教で構成されるフィリピン・カトリック教主教会議は、二日にわたって会議を開いた。討議を行い、祷りを捧げたあと、主教団は記者会見を開き、激しい調子の声明を発表した。
「国民はその意思を表明した。少なくともそう努めた。妨害にもかかわらず、国民は自由な意思を表明した。国民が我々に伝えようとした内容は明白であると、我々主教会議は信じる。我々は検討を重ねた末、大統領選挙の不正規模は前例を見ないものと判断する」
主教団は、マルコスが力によって権力を握ろうとしていると非難し、彼がかつては備えていた国家運営の倫理的基盤はもはや失われたと断罪した。主教団は、信者に対して、アキノが繰り広げようとしている市民不服従運動を支持するように呼びかけた。アキノは、主教会議の席に姿を現し、今後、各種工場のストライキや操業短縮、政府企業やクローニーたちの企業に対するボイコットなどを行い、マルコスを政権からひきずりおろすつもりだ、と公言した。これは、インドのマハトマ・ガンジーが行った独立運動に範をとった長期闘争体制を行おうということに他ならなかった。
主教たちは、大統領の政治活動を非難するだけでに留まらなかった。マルコスのとってきた非人道的な行動の結果、大統領は聖餐式を主宰する権利を失うと発表した。これはマルコスにとって、教会からの破門を意味することだった。中世以降、カトリック教会の公式の破門は例がなかった。破門という言葉だけでさえ、背筋をぞっとさせる神秘的な響きを与えるものだった。「マルコス破門」に、多くのフィリピン国民はショックを受けた。主教会議声明にはさらに、主教たちの立場を測り知れないほど強くする一節がつけ加えられていた。インドを訪問中のローマ法王ヨハネ・パウロ二世から送られた簡潔なメッセージに「私はあなたがたと一緒だ」とあったのである。
マルコス夫妻は、この声明が発表されないよう、ありとあらゆる手を打とうとした。イメルダ・マルコスは、主教会議の議長をつとめたセブ市のリカルド・ヴィルダ枢機卿に接触しようとして何度も努力したが、彼は応じなかった。午前一時半になって、ようやく枢機卿はイメルダに電話をかけてきた。声明発表の数時間前のことである。そのとき、彼女はマニラ・ホテルのイタリア料理店で、友人30人と深夜の食事の最中だった。電話を受けると、彼女は直ちにイントラムロスにある主教会議の本部へ急行した。ヴィダルに懇請するためだった。だが、枢機卿が約束してくれたのは、教会は武力闘争は支持しないということだけだった。これに先立って大統領夫人は、シン枢機卿にも同様の要請を行っていた。シン枢機卿が要請に応じられない、と答えると、イメルダは泣き崩れた。シンとしては、彼女に、尼僧とともに祈りを捧げるよう勧めるのが精一杯だった。
主教たちが満員の記者会見の席で発表したあと、質疑に応じた彼らの発言は、声明よりずっときびしいものだった。ヘスス・ヴェレラ主教は「我々がめざすべき明確なゴールは、政府を転覆させることではない。しかし、結果としてはそうした事態が起きることもありうるだろう。手段が平和的であり、武力を行使しないものであるかぎり、我々は反対しない」と述べた。
レーガン大統領はフィリップ・ハビブを特使としてマニラに送り、フィリピンの指導者と話し合わせた。マルコスは、既成事実を固めようと決意した。ハビブが到着する2月25日以前に、国会が、マルコスを大統領当選者と確定するよう命令した。与党KBLの議員たちは、フィリピン各地147ケ所の集計センターから送られてきた数字の不正工作に関する野党の異議申し立てを握りつぶし、突進する作戦に出た。野党側は一つ一つの集計について点検を申し入れた。しかし、ニカルノ・イニゲス議長の意地悪な視線のもとで、異議はひとつひとつ却下された。野党議員が全員、抗議して議場を退席したのは主教たちが声明を発表する数時間前のことだった。2月25日の午前零時数分前、国会は残った議員だけでマルコスの得票数を1080万票、アキノの得票数を930万票と決定して、マルコスの当選を確定した。16日、アキノは、ルネタ公園に押しかけて気勢をあげる大群衆に向って演説を行い、選挙で勝ったのは自分であると宣言して、マルコスが辞任するまでフィリピン全土で市民不服従運動を行おうと呼びかけた。これとは全く対照的に、マルコスはマカラニアン宮殿で記者会見を開いたが、会見場には空席が目立った。マルコスが、公園の人出は「日曜の午後としてはふだんとかわらない」と語り、マニラ市内の大群衆の集会を否定したのは、彼一流の、自分に都合のよい解釈に他ならない。
しかし大統領は、自分の再選を合法的に認めさせるためには、アメリカを納得させるだけのジェスチュアを示さなければいけないことはわかっていた。そこで、3月1日付でヴェール大将を退役させ、後任には再度、ラモス中将を起用すると発表した。しかし、今回もまた、ラモスは参謀総長代行でしかなかった。ほとんどのフィリピン国民、とりわけ軍部にとって、ヴェール退役だけではあまりに意味のない、同時にあまりに遅すぎた措置だった。公式には、ラモスは何の発言も行わなかったが、彼はアキノには、自分は辞任するつもりだ、とひそかに打ち明けていた。
ワシントンは、マルコスがまいた”餌”に飛びつかなかった。国務省の専門家たちは、事態収拾のため策を練らなければならないと主張して、マルコス支持に逸(ハヤ)るホワイトハウスの”しろうと”補佐官たちを説き伏せた。一つにはこの国務省の圧力が功を奏したからであり、もうひとつには主教会議声明に対応する形で、ホワイトハウスが、両陣営とも選挙の不正に関与しているというレーガン大統領の前言を撤回し、選挙で行われた不正のほとんどはマルコス政権に責任があると認めたからだった。このあと、ジョージ・シュルツ国務長官は上院予算委員会で次のように語った。「我々が関心を持っているのは自由であり、民主主義である。これこそ米軍基地よりずっと大事な問題である」。アキノはほっとした。だが、安心はできなかった。
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