安倍晋三著の「新しい国へ 美しい国へ 完成版」(文藝春秋)の「第三章 ナショナリズムとはなにか」の”「公」の言葉と「私」の感情”と題された文章には、安倍首相の考え方の根本的な問題点が読み取れると思い、その全文を、同書で中略とされた部分も赤字で加えて、考えたいと思いました。
安倍首相はここで、『今日われ生きてあり』神坂次郎著(新潮文庫)から、鷲尾克己少尉(1945年5月11日 神風特別攻撃隊第55振武隊員として特攻攻撃のため出撃)の日記を引いています(下記)。
そして、”国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは…”と書いているのですが、当時23歳の鷲尾克己少尉は、敗戦濃厚な1945年になって、佐賀県目達原基地で訓練中に集められ、上官から突然「今日から全員が特攻隊である。ただし、技術優秀な者から先発する」と、特攻隊員を命ぜられたといいます。
戦争は自然災害ではないのです。避けることができたはずですし、特攻作戦も作戦の一つに過ぎず必然的なものではなかったと思います。でも、安倍首相は、開戦はもちろん、当時の日本軍がこうした死を前提とした特攻作戦になぜ突き進んだのか、敗戦が避けられない状況のなかで、なぜ降伏することなく、優秀な若者を次々に飛び立たせたのか、というような重要な問題を看過し、まったく論じていません。
そして、”宿命づけられた”などと言って、当時の特攻兵の遺書や手紙や日記の内容ばかりに思いを寄せる姿勢は、当時の人命を軽視した日本軍の指導者の姿勢と変わらないのではないかと思います。
”60年前、天皇が特別な意味をもった時代があった。そして多くの若者たちの、哀しい悲劇が生まれることになった。
≪如何にして死を飾らむか
如何にして最も気高く最も美しく死せむか
我が一日々々は死出の旅路の一理塚
今日一日の怠りはそれだけ我が名を低める
靖国の神となりにし我が戦友の
十の指にはや余りにけり
我はただ何をかすべき海の戦友の
烈しき死をば死せりとはいふ
はかなくも死せりと人の言わば言へ
我が真心の一筋の道
今更に我が受けてきし数々の
人の情けを思い思ふかな≫(神坂次郎著『今日われ生きてあり』新潮文庫)
もはや敗戦の色が濃い、太平洋戦争の末期。鹿児島県知覧の飛行場から沖縄の海へ飛び立っていった陸軍特別攻撃隊・第五十五振武隊に所属する、鷲尾克己少尉の、23歳のときの日記の一部である。 国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。彼らの気持ちを次のように語る人は多い。
≪かれらは、この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた。愛しきもののために──それは、父母であり、兄弟姉妹であり、友人であり、恋人であった。そしてその愛しきものたちが住まう、日本であり、郷土であった。かれらは、それらを守るために出撃していったのだ≫
わたしもそう思う。だが他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしようとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。彼らは「公」の場で発する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを思いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。
今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。
たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。
わたしたちは、いま自由で平和な国に暮らしている。しかしこの自由や民主主義をわたしたちの手で守らなければならない。そして、わたしたちの大切な価値や理想を守ることは、郷土を守ることであり、それはまた、愛しい家族を守ることでもあるのだ。
この鷲尾克己少尉の日記の最後の部分は、とりわけわたしの胸に迫って来る
≪はかなくも死せりと人の言わば言へ、我が真心の一筋の道≫──自分の死は、後世の人に必ずしもほめたたえられないかもしれない、しかし自分の気持ちはまっすぐである。”
事実を歪曲して、日本の戦争を”美化”するのもいい加減にしてほしいと、私は思います。
”かれらは、この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた”とありますが、誰がそう信じさせたのでしょうか。
安倍首相は、鷲尾少尉の、”靖国の神となりにし我が戦友の 十の指にはや余りにけり 我はただ何をかすべき海の戦友の 烈しき死をば死せりとはいふ”という、さして長くもない文章をなぜか中略として略していますが、日本の優秀な若者に、”靖国の神”となることを教え、特攻を命じたのはいったい誰でしょうか。
明治維新以来日本は、吉田松陰が「幽囚録」に書いた領土拡張の考え通りに、”皇国を四方に君臨させる”ため、朝鮮に手を伸ばし、そのために対立した清国とは戦争をして、割譲された台湾を植民地化し、朝鮮を併合し、満州に傀儡国家をつくり、日中戦争によって、中国をも従えようとして、西洋列強を敵にまわし、戦争を続けてきたのではないでしょうか。
まさに日本の戦争は、天皇の人間宣言のなかにある、”天皇ヲ以テ現御神(アラツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”(官報號外 昭和21年1月1日 詔書 [人間宣言]国会図書館)に基づくものであったのではないかと思います。
安倍首相は”今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている”といいますが、あの戦争がなければ、日本はもっと豊かだったのではないでしょうか。
”たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか”とも書いていますが、日本の戦争は、若い特攻兵の命をなげうった戦いによって、何を守ったというのでしょうか。
鷲尾克己少尉の日記を引いて、”この自由や民主主義をわたしたちの手で守らなければならない。そして、わたしたちの大切な価値や理想を守ることは、郷土を守ることであり、それはまた、愛しい家族を守ることでもあるのだ”などという安倍首相は、狡賢く事実をすり替えていると思います。日本の戦争はそういうものではなかったと思います。
”彼らは「公」の場で発する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた”といいますが、なぜ区別しなければならないのでしょうか。
また、鷲尾少尉は”如何にして死を飾らむか”と書いていますが、なぜ死を飾らなければならないのでしょうか。それは、自らの生を貫くことができず、皇国臣民として、命を捧げなければならない存在だからではないのでしょうか。
少なくとも、日本の戦争が、自由や民主主義を守るための戦争でなかったことは明らかだと思います。だから、安倍首相は、軍国日本の指導者と変わらないのではないかと思うのです。
薩摩半島最南端に、標高922メートルの美しい円錐形の開聞岳があり、陸軍最後の特攻基地知覧を出撃した特攻機は、この開聞岳を西南に向かって飛び去ったといいます。その出撃機数431機、特攻隊員462人。選りすぐりの優秀な若者462人は、人命を軽視する軍国日本の指導者に殺されたも同然ではないかとさえ思います。
「第四章 日米同盟の構図」の”なぜ日米同盟が必要なのか”のなかには、
”1960年の日米安保条約改定のときの交渉が、現在ようやく明らかになりつつあるが、そのいじましいばかりの努力は、まさに駐留米軍を、占領軍から同盟軍に変える、いいかえれば、日本が独立を勝ち取るための過程だったといってよい。しかし同時に日本は、同盟国としてアメリカを必要としていた。なぜなら、日本は独力で安全を確保することができなかったからである。
その状況はいまも変わらない。自国の安全のための最大限の自助努力、「自分の国は自分で守る」という気概が必要なのはいうまでもないが、核抑止力や極東地域の安定を考えるなら、米国との同盟は不可欠であり、米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである。
さらに確認しておかなければならないのは、今日、日本とアメリカは、自由と民主主義、人権、法の支配、自由な競争──市場経済という、基本的な価値観を共有しているという点だ。それは、世界の自由主義国の共通認識でもある。
では、わたしたちが守るべきものは何か。それは、いうまでもなく国家の独立、つまり国家の主権であり、わたしたちが享受している平和である。具体的には、わたしたちの生命と財産、そして自由と人権だ。もちろん、守るべきもののなかには、わたしたち日本人が紡いできた歴史や伝統や文化がはいる。それを誇りといいかえてもよいが、それは、ほかのどこの国も同じで、国と国との関係においては、違う歴史を歩んできた国同士、おたがいに認め合い、尊重しあって信頼を醸成させていくことが大切なのである。”
とあります。
でも、どうして”米国との同盟は不可欠”なのでしょうか。なぜ、”日米同盟はベストの選択”なのでしょうか。もし、それが真実なら、戦時中の「鬼畜米英」は何であったのでしょうか。どうして180度変わったのでしょうか。本土決戦で鬼畜米英に立ち向かわせるべく、主婦を集めて、陸軍士官に、竹やり訓練をさせたのはいったい何だったのでしょうか。
戦後の日本で、そうしたことが全く明らかにされないので、私は、当時の軍や政府の指導者が、敗戦後も自らの権力を維持するために、都合よく豹変し、隷属的な同盟関係を受け入れたのではないかと思うのです。
だから、”米国の国際社会への影響力、経済力、そして最強の軍事力を考慮すれば、日米同盟はベストの選択なのである”ということは、言い換えれば、強者には従うということで、”力は正義である”という戦前同様の考え方だと思います。
したがって、”さらに確認しておかなければならないのは、今日、日本とアメリカは、自由と民主主義、人権、法の支配、自由な競争──市場経済という、基本的な価値観を共有しているという点だ”というのは、表向きの言葉で、内容のないものだと思います。
「増補 最終章 新しい国へ」の”「瑞穂の国」の資本主義”には
”日本という国は古来、朝早く起きて、汗を流して田畑を耕し、水を分ちあいながら、秋になれば天皇家を中心に五穀豊穣を祈って来た、「瑞穂の国」であります。自立自助を基本とし、不孝にして誰かが病で倒れれば、村のひとたちみんなでこれを助ける。これが日本古来の社会保障であり、日本人のDNAに組み込まれているものです。
私は瑞穂の国には、瑞穂の国にふさわしい資本主義があるのだろうと思っています。自由な競争と開かれた経済を重視しつつ、しかし、ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義ではなく、道義を重んじ、真の豊かさを知る、瑞穂の国には瑞穂の国にふさわしい市場経済の形があります。
安倍家のルーツ長門市、かつての油谷町です。そこには、棚田があります。日本海に面していて、水を張っているときは、ひとつひとつの棚田に月が映り、遠くの漁火が映り、それは息をのむほど美しい。
棚田は労働生産性も低く、経済合理性からすればナンセンスかもしれません。しかしこの美しい棚田あってこそ、私の故郷なのです。そして、田園風景があってこそ、麗しい日本ではないかと思います。市場主義の中で、伝統、文化、地域が重んじられる、瑞穂の国にふさわしい経済のあり方を考えていきたいと思います ”
とありますが、莫大な予算をつぎ込んで進められている主権放棄に等しい名護市辺野古の新基地建設工事は、美しい「瑞穂の国」の破壊ではないのでしょうか。自分の故郷ではないからいいということなのでしょうか。
安倍首相の”美しい国”は、日本国憲法の精神に基づき、法や道義・道徳で外交を進める先進的な日本ではないことがわかったように思います。
日本は、西洋列強の弱肉強食の戦いに割って入り、ひときわ野蛮な戦争を展開して敗れ、今度は強者アメリカに跪き、主権を放棄するに等しい基地の提供をはじめ、アメリカの要求は何でも受け入れる姿勢に転じて、再び弱肉強食の国際社会で、強者の側に立つ道を選んだのではないかと思います。
そして、安倍首相は、権力の維持強化のために、日本国憲法を変え、一層露骨に”力は正義”の政治を進めようとしているように思えます。
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