安倍政権の突然の入国制限強化発表に、韓国外相は「十分な協議も事前通報もなく措置を強行したことに、強い憤りを禁じ得ない」と批判したことが報じられました。 今回の中国と韓国に対する入国制限の対応についても、専門家会議には諮っていないということです。そうした独裁的な安倍首相の判断は、安倍晋三著の「新しい国へ 美しい国へ 完成版」(文藝春秋)を読むと、不思議ではないように思います。安倍政治を律するのは、法や道義・道徳ではなく、「力は正義」・「勝てば官軍」の考え方なのだろうと思います。
同書の「第三章 ナショナリズムとはなにか」の”「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌”には、
”また、「日の丸」は、かつて軍国主義の象徴であり、「君が代」は、天皇の御世を指すといって、拒否する人たちもまだ教育現場にはいる。これには反論する気にもならないが、かれらは、スポーツの表彰をどんな気持ちでながめているのだろうか。”
とか
”「君が代」が天皇制を連想させるという人がいるが、この「君」は、日本国の象徴としての天皇である。日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ。ほんの一時期を言挙げして、どんな意味があるのか。素直に読んで、この歌詞のどこに軍国主義の思想が感じられるのか。”
とあります。
こうしたことを平然という安倍首相は、現在に甦ったかつての侵略国家=皇国日本の政治家ではないかと、私は思ってしまいます。”言挙げして”などと、現在ほとんど耳にしない言葉を使いながら、過去に何があったのかは全く考慮していないと思われるからです。
”「君が代」は世界でも珍しい非戦闘的な国歌”というのですが、歴史を振り返れば、とんでもないことだと思います。
薩長を中心とする尊王攘夷急進派は、時の将軍徳川慶喜が政権返上(大政奉還)をしたにもかかわらず、権力を奪い取るために孝明天皇の望まない武力討幕の方針を貫き、諸侯会議を無視して強引に王政復古の大号令を発しました。そして、武家政治を廃し、当時14歳(元服前)の明治天皇を抱き込んで(資料1)、天皇親政の「皇国日本」をつくったのです。
明治新政府は、大日本帝国憲法第一条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」とし、第三条では「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とし、さらに第4条で、「天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ」と定めました。だから、天皇は現人神(現御神・アキツミカミ)として、必要なときには議会の制約を受けずに条約を締結する権限をもち、独立命令による法規の制定も可能となりました。また、緊急勅令を発する権限などもあったといいます。
そうした天皇絶対の「皇国日本」をつくり上げた明治新政府の文部大臣・井上毅は、明治二十六年八月十二日に「文部省告示第三号」(下記資料1)で”小学校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌詞並楽譜別冊ノ通リ撰定ス”として”君が代 勅語奉答 一月一日、元始祭、紀元節、神嘗祭、天長節、新嘗祭”などの歌を楽譜つきで示したのです(下記資料2)。それらの歌の歌詞は、天皇を皇室神話に基づいて、「この世に人間の姿で現れた神」すなわち「現人神」(現御神・アキツミカミ)とするものでした。
そこから”日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念”(下記資料3)が生まれ、まさに侵略国=皇国日本となったのだと思います。
「君が代」の次に示された「勅語奉答」の歌は下記のようにあります。
あやに畏(カシコ)き 天皇(スメラギ)の あやに尊(トフト)き 天皇(スメラギ)の
あやに尊(トフト)く 畏(カシコ)くも 下(クダ)し賜(タマ)へり 大勅語(オホミコト)
是(コレ)ぞめでたき 日(ヒ)の本(モト)の 国(クニ)の教(オシヘ)の 基(モトヰ)なる
是(コレ)ぞめでたき 日(ヒ)の本(モト)の 人(ヒト)の教(ヲシ)への 鑑(カゞミ)なる
あやに畏(カシコ)き 天皇(スメラギ)の 勅語(ミコト)のまゝに 勤(イソシ)みて
あやに尊(トフト)き 天皇(スメラギ)の 大御心(オオミココロ)に 答(コタ)へまつらむ
したがって、「君が代」も同じ考え方で歌われるようになったことは明らかであり、こうした歴史的経緯を無視し、天皇はずっと象徴だった”などと言って、主権在民の戦後の日本で歌うことは、日本国憲法に反することだと思います。戦前・戦中、台湾や朝鮮で歌うことを強制したことも忘れてはならないと思います。
戦中、小学校二年生用の修身国定教科書には、「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」と書かれていたといいますが、日本は明治維新以来、先の大戦における敗戦まで、天皇は「現人神」であり、「現御神(アキツミカミ)」であって、単なる「象徴」ではなかったのです。不敬罪で投獄された人が少なくなかったことも忘れてはならないと思います。
だから、”日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた”などという安倍首相は、現在に甦った侵略国=皇国日本の政治家のように思えるのです。日本の戦争の実態や軍国日本の人権の状況を理解されているとは思えないのです。
資料1----------------------------------------
長州藩の木戸孝允が、同じ長州藩の品川弥二郎に宛てた書簡に、討幕派の本音をうかがい知ることが出来る、きわめて重大な記述がありました。
”至其期其期に先じ而甘く 玉を我方へ奉抱候御儀千載之一大事に而自然万々一も彼手に被奪候而はたとへいか様之覚悟仕候とも現場之處四方志士壮士之心も乱れ芝居大崩れと相成三藩之亡滅は不及申終に 皇国は徳賊之有と相成再不復之形勢に立至り候儀は鏡に照すよりも明了…”
(「木戸孝允文書二」日本史籍協会編(東京大学出版会)
ということなのです。
天皇は「玉」と表現されていますが、玉を我方へ抱き込むことが何より大事で、敵とする幕府側に万が一にも天皇を奪われてはならないという意味です。自らの倒幕計画を「芝居」と表現しており、天皇を奪われたら、その芝居が大崩れとなって、滅亡の危険があるというわけです。天皇を政治的に利用しようという意図が明白です。
資料2ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
文部省告示第三号
小学校ニ於テ祝日大祭日ノ儀式ヲ行フノ際唱歌用ニ供スル歌詞並楽譜別冊ノ通リ撰定ス
明治二十六年八月十二日
文部大臣 井上毅
文部省告示第三号別冊 祝日大祭日歌詞並楽譜
目次 君が代 勅語奉答 一月一日 元始祭 紀元節 神嘗祭 天長節 新嘗祭
(国立国会図書館デジタルアーカイブ)
資料3ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
官報 号外 昭和二十一年一月一日
詔書
茲ニ新年ヲ迎フ。顧ミレバ明治天皇明治ノ初国是トシテ五箇条ノ御誓文ヲ下シ給ヘリ。曰ク、
一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメンコトヲ要ス
一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
叡旨公明正大、又何ヲカ加ヘン。朕ハ茲ニ誓ヲ新ニシテ国運ヲ開カント欲ス。須ラク此ノ御趣旨ニ則リ、旧来ノ陋習ヲ去リ、民意ヲ暢達シ、官民拳ゲテ平和主義ニ徹シ、教養豊カニ文化ヲ築キ、以テ民生ノ向上ヲ図リ、新日本ヲ建設スベシ。
大小都市ノ蒙リタル戦禍、罹災者ノ艱苦、産業ノ停頓、食糧ノ不足、失業者増加ノ趨勢等ハ真ニ心ヲ痛マシムルモノアリ。然リト雖モ、我国民ガ現在ノ試煉ニ直面シ、且徹頭徹尾文明ヲ平和ニ求ムルノ決意固ク、克ク其ノ結束ヲ全ウセバ、独リ我国ノミナラズ全人類ノ為ニ、輝カシキ前途ノ展開セラルルコトヲ疑ハズ。
夫レ家ヲ愛スル心ト国ヲ愛スル心トハ我国ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ実ニ此ノ心ヲ拡充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、献身的努カヲ効スベキノ秋ナリ。
惟フニ長キニ亘レル戦争ノ敗北ニ終リタル結果、我国民ハ動モスレバ焦躁ニ流レ、失意ノ淵ニ沈淪セントスルノ傾キアリ。詭激ノ風漸ク長ジテ道義ノ念頗ル衰へ、為ニ思想混乱ノ兆アルハ洵ニ深憂ニ堪ヘズ。
然レドモ朕ハ爾等国民ト共ニ在リ、常ニ利害ヲ同ジウシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ。
朕ノ政府ハ国民ノ試煉ト苦難トヲ緩和センガ為、アラユル施策ト経営トニ万全ノ方途ヲ講ズベシ。同時ニ朕ハ我国民ガ時艱ニ蹶起シ、当面ノ困苦克服ノ為ニ、又産業及文運振興ノ為ニ勇往センコトヲ希念ス。我国民ガ其ノ公民生活ニ於テ団結シ、相倚リ相扶ケ、寛容相許スノ気風ヲ作興スルニ於テハ、能ク我至高ノ伝統ニ恥ヂザル真価ヲ発揮スルニ至ラン。斯ノ如キハ実ニ我国民ガ人類ノ福祉ト向上トノ為、絶大ナル貢献ヲ為ス所以ナルヲ疑ハザルナリ。
一年ノ計ハ年頭ニ在リ、朕ハ朕ノ信頼スル国民ガ朕ト其ノ心ヲ一ニシテ、自ラ奮ヒ自ラ励マシ、以テ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ。
御名 御璽
昭和二十一年一月一日
内閣総理大臣兼
第一復員大臣第二復員大臣 男爵 幣原喜重郎
司法大臣 岩田宙造 ・・・以下略
(国立国会図書館デジタルアーカイブ)
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「第三章 ナショナリズムとはなにか」の”天皇は歴史上ずうっと「象徴」だった”にも、同じように
”日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリーだといった。日本の国柄をあらわす根幹の天皇制である。”
とか
”政府は、「日本は歴史はじまって以来、天皇によって統治されてきたので、いまさら共和国にするとか大統領を元首にするとかいう案は国民が許さない」として、天皇が統治権を総攬・行使するという明治憲法の基本を引き継ごうとした。しかし、GHQはそれを許さなかった。”
とあります。
でも、明治維新以来、先の大戦における敗戦まで、天皇は単なる「象徴」でなかったことは、否定できない歴史的事実だと思います。
教育勅語などでも示されているように天皇の始祖は「天照大神」とされており、「神の子孫」として絶対的権力を有する存在だったと思います。
また、”日本は歴史はじまって以来、天皇によって統治されてきたので…”も事実ではないと思います。
江戸の世を統治したのは、天皇ではなかったので、薩長を中心とする尊王攘夷急進派は王政復古の大号令を発して、天皇親政を実現したのだと思います。
鎌倉幕府以降、室町幕府、織豊政権,江戸幕府までの時期は、武士階級がその軍事力を基礎に,独自の権力と組織をもって政治的支配を行った武家政治で、天皇によって統治されていたのではないと思います。
このように、安倍晋三著の「新しい国へ 美しい国へ 完成版」(文藝春秋)には、至る所に歴史の修正があるように思います。
吉田松陰を「先生」という、安倍首相は、きっと松下村塾に結集した伊藤博文や山縣有朋、また岩倉具視や木戸孝允等がつくりあげた明治の「皇国日本」を見習い、新しい「皇国日本」をつくろうとしているのではないかと想像します。
言いかえれば、すべて人間は生まれながらにして自由・平等で、幸福を追求する権利をもつという「天賦人権説」に基づく西欧的な法治国家ではなく、八紘一宇(「兼六合以開都,掩八紘而為宇」(六合〈クニノウチ〉を兼ねてもって都を開き、八紘〈アメノシタ〉をおおいて宇〈イエ〉となす))の考え方で、天皇を中心とした新しい「皇国日本」を再建しようとしているのではないかと想像するのです。著書の「新しい国へ 美しい国へ 完成版」というタイトルは、そのことを意味しているのではないかと思います。
だから、歴史の事実を大事にしたいと思います。
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