孫が医学部生活の初夏休み、父母弟と信州へ旅行中だ。幸い携帯を持っているので、お祝いのメールを入れることが出来た。私も丁度62年前の今日8月5日、本土決戦最近に迫る中、区隊長のご好意で故郷の父母にに別れを告げるべく、実家へ1時間ばかりの帰省を許された。父母,義姉、甥だけの留守家族、皆、男は出征中で長兄は中支,次兄は千葉で軍務に奮闘中。
心置きなく父母と会話した後、親戚、小学校、神社、お不動尊に皇国の必勝を祈念して意気軒昂、悲壮感など微塵も無く、純粋無垢の気持ちで志を固め、故郷を後にすることが出来た。憶えば、丁度孫と同年令18歳であり,感慨無量一入である。
植木屋が伐り過ぎた生け垣沿いの樹木の代わりに、目隠し用に2本の常緑樹を持って来て、植え込んだ。目隠しは一応目的を達したが,伐らねば良いものを,みんな伐ってしまったからだ。専門馬鹿と言うものだろう。でも家内と相談し
「気持ち良く帰ってもらいなさい」と。怒らないで却ってお礼を言って置いた。これで心身爽快、愈々帰京出来ることとなった。
心置きなく父母と会話した後、親戚、小学校、神社、お不動尊に皇国の必勝を祈念して意気軒昂、悲壮感など微塵も無く、純粋無垢の気持ちで志を固め、故郷を後にすることが出来た。憶えば、丁度孫と同年令18歳であり,感慨無量一入である。
植木屋が伐り過ぎた生け垣沿いの樹木の代わりに、目隠し用に2本の常緑樹を持って来て、植え込んだ。目隠しは一応目的を達したが,伐らねば良いものを,みんな伐ってしまったからだ。専門馬鹿と言うものだろう。でも家内と相談し
「気持ち良く帰ってもらいなさい」と。怒らないで却ってお礼を言って置いた。これで心身爽快、愈々帰京出来ることとなった。