丁度63年前の今日は、陸士将校生徒として、新鹿沢から復員した日である。思えば軍の命令によって帰省して雌伏して、再度の招集の命を待つべしとのことである。当然近近再度軍務に服す予定であったと、覚悟を新たに山を下りた次第である。それが最後の陸士との別れであった。生徒はそれぞれ思い思いに、皇国の行く末を案じて、故郷に帰って生き抜いてきた。終戦の現実の前に、昭和20年暮れまでに、異質の進路を取らざるを得なかった訳である。連絡は、手紙か「はがき」に頼らざるを得ず、通信網は有ってなきが如しであった。電話などは宛先不明で不通であった。しかし同期の我々は矢張り期するところ有りで、立派に独り立ちの道を歩み時勢の先頭に立つ人が多かったようである。
終戦当時から、各分野での奮闘振りが次第に明らかになるにつれ、志は堅く連携もとる事が出来たのは、ほぼ3年後の事であった。法学部、医学部、工学部、歯学部に進む者が多かった事が判明した。以下簡明に現下の心境を綴る事としたい。
終戦当時から、各分野での奮闘振りが次第に明らかになるにつれ、志は堅く連携もとる事が出来たのは、ほぼ3年後の事であった。法学部、医学部、工学部、歯学部に進む者が多かった事が判明した。以下簡明に現下の心境を綴る事としたい。