母が逝ってから78年目の命日、父が49年目の月命日である。年ごとに追憶の念が高まり往時を偲び、略50年後の今は、亡き昔を懐古する時、思い出は尽きず、その情景が、連綿として走馬灯の絵のように憶い出されてならない。ただただ十分孝養を尽くして上げられなかった悔恨の気持ちと、無念さと、お詫びの心が様々に交錯して、純粋に満腔の感謝の念あるのみである。
車が無いので、簡単に故郷の墓参が出来ず、故郷の方向を望んで遥拝することとした。18歳頃の陸士時代は、毎朝士官学校内の小高い山の遥拝所にて、先ず宮城に敬礼し軍人勅諭を奉読、次に故郷に向って父母に敬礼して、将校生徒としての一日の誓いを建てたものであった。その気概を、年末の今日思い起こし、新年に向けて持続可能な発展に結びつけて行こうと思う。
学校の植栽が3本枯れて見っ人が無い状態だったので、デパートで赤目を3本買って来て植えた。約1年後の育ち具合がこの写真である。うれしい。その後10本の皐月を伊豆から買って来て植えた。だが水遣りが不十分だったので、遂に7本が枯れてしまった。責任者を決めて、水やりを工夫しないといけないと思う。何事も手当が大事だ!









車が無いので、簡単に故郷の墓参が出来ず、故郷の方向を望んで遥拝することとした。18歳頃の陸士時代は、毎朝士官学校内の小高い山の遥拝所にて、先ず宮城に敬礼し軍人勅諭を奉読、次に故郷に向って父母に敬礼して、将校生徒としての一日の誓いを建てたものであった。その気概を、年末の今日思い起こし、新年に向けて持続可能な発展に結びつけて行こうと思う。
学校の植栽が3本枯れて見っ人が無い状態だったので、デパートで赤目を3本買って来て植えた。約1年後の育ち具合がこの写真である。うれしい。その後10本の皐月を伊豆から買って来て植えた。だが水遣りが不十分だったので、遂に7本が枯れてしまった。責任者を決めて、水やりを工夫しないといけないと思う。何事も手当が大事だ!










