戦中時代に生きた中学生、それも切っての国家主義の校長率いる県立旧制中学、軍事教練は固より全てが国のため国を守る意識の高揚に努め、そのような教育を受けた。大東亜戦争開始の昭和16年頃から毎年、この5月22日は、昭和14年の丁度この日、青少年学徒に賜りたる勅語奉戴の記念の日として、往復64キロの遠行競争が実施された。中学校門を午前0時正確に出発、秩父神社に至るコースである。あれから3年間毎年連続で、無事時間内に秩父神社に到着したものである。さもないと教練の合格点数が貰えないと言う専らの話であった。クラスの中で教練の点数が優でないと、陸士・海兵は駄目だと言う噂であった。陸海軍の軍人志望の同級生は、皆必死に遠行競争を勝ち抜き、教練の時間には必死で頑張ったものである。クラスの3人が教練は優であって、それらが皆陸士・海兵に合格できたわけであった。
その懐かしい秩父遠行競争の日である。憶い出は尽きないし、そう話しても中々話に乗ってくれないのが、現代であり、何と58年前の戦時中の青年時代の事だからである。若さでよく頑張ったものだなと、つくずく思う。
その懐かしい秩父遠行競争の日である。憶い出は尽きないし、そう話しても中々話に乗ってくれないのが、現代であり、何と58年前の戦時中の青年時代の事だからである。若さでよく頑張ったものだなと、つくずく思う。