64年前の8月5日当時の今日、私は陸士の将校生徒であった。本土決戦を前に急遽1日の帰郷が許され、午前11時実家の敷居を踏んだ。思えば陸軍将校を目指し陸士合格、晴れて入校を果たしてから7ヶ月目の、最初で最後の帰省である。暑い日差しが軍帽軍服に照りつけ汗が吹き出ていた。人影の少ない田舎町は、蝉時雨の他は、人通りも無く静かな佇まいを見せていた。町社の稲荷神社に詣で、すぐ隣の写真館主にお願いして、境内の欅の前で、今生の最後の端正な将校正徒姿を写真に撮り、記念として家族に届けておいて欲しいと依頼した。町中も実家にも男手は無く、父母や義姉が、暖かく喜んで迎えてくれた。戦時下の当時では到底調逹出来ない筈の“おはぎ”で昼食を用意して置いてくれた。嬉しく有り難さに涙がこぼれた。故郷はこれが見納めかと思うと、心中期するところがあって、少しく悲壮感が漂った決別の心境であった。短時間で不動尊、親戚、小学校、友人(出征中の留守宅)を訪ねて、覚悟を決めての永の暇乞いをしてきたわけである。ごく短い時間内の胸迫る会話、現況報告、今後の軍務の動向など、口早に喋り、早くも1時間半後には自宅を出発、加須駅から帰校の途に着いた。
校門をくぐり帰校報告を済ませホッとした。5時が帰校門限だからである。生涯の記録で記念すべき一日であった。H.M.区隊長殿に心からの感謝と報告を済ませ、直ちに軍務に復帰した。
今日はまた孫の20歳の誕生日である。立派な医学生になった元気な姿に、ヤアーおめでとうと思わず声を掛けた。皆でお祝いのケーキをカットした。楽しい嬉しい記念の日であった。近近に改めて夕食会も開く予定である。
校門をくぐり帰校報告を済ませホッとした。5時が帰校門限だからである。生涯の記録で記念すべき一日であった。H.M.区隊長殿に心からの感謝と報告を済ませ、直ちに軍務に復帰した。
今日はまた孫の20歳の誕生日である。立派な医学生になった元気な姿に、ヤアーおめでとうと思わず声を掛けた。皆でお祝いのケーキをカットした。楽しい嬉しい記念の日であった。近近に改めて夕食会も開く予定である。