今年の8月は暑さは矢張り昨年より上だったそうである。雨が少なく例年の20%位しか無かったそうである。道理でその分暑くて、今朝の散歩の暑さは格別でメイも流石に毬投げをやらず日陰でじっとしていた。汗が肌着にじっとりと染みて額や顔は汗で一杯である。帰宅してのメイの朝食や一応の毎日の朝のお掃除を終えて、今ホットしているところである。今月もあと2日で終わり、心無しかツクツクホウシの鳴き声も淋しく、夏を愛おしんでいるようである。
57年前の昨日・今日とは、終戦により陸士生徒とした復員の止むなきに至った。為に、鳥居峠を越えて、徒歩と汽車で止むなく故郷へ向かった日であり、感慨無量である。軍装の為相当暑かった事を思い出している。鴻巣駅で下車、そしてバスで加須まで、それから徒歩で、自宅へ帰った心境は、当事者本人でなければ分からないと思う。晴れて勇躍して、栄えの陸士の門を叩いて入校した筈なのに、終戦で日本は今後どうなるかも判然とせず、復員とは!一体何なのか!? 淋しさが一入であったと回想している。その後57年の歳月、幾星霜を経て、医師・歯科医師となり、現在でも医師の職分を、今だに発揮でき居て、活躍中である。有り難く、幸せそのものである、と信じている。健康で長生きこそが、今後の吾が往く道であろう。家族一統の為にも。
57年前の昨日・今日とは、終戦により陸士生徒とした復員の止むなきに至った。為に、鳥居峠を越えて、徒歩と汽車で止むなく故郷へ向かった日であり、感慨無量である。軍装の為相当暑かった事を思い出している。鴻巣駅で下車、そしてバスで加須まで、それから徒歩で、自宅へ帰った心境は、当事者本人でなければ分からないと思う。晴れて勇躍して、栄えの陸士の門を叩いて入校した筈なのに、終戦で日本は今後どうなるかも判然とせず、復員とは!一体何なのか!? 淋しさが一入であったと回想している。その後57年の歳月、幾星霜を経て、医師・歯科医師となり、現在でも医師の職分を、今だに発揮でき居て、活躍中である。有り難く、幸せそのものである、と信じている。健康で長生きこそが、今後の吾が往く道であろう。家族一統の為にも。