半月前の12/1~2にふつうは春秋の例祭でしか見られない舞楽「蘭陵王」を
あの厳島神社の舞台の間近でみられるという企画ツアーがありました。
しかも前日は厳島神社の朱の大鳥居の下を遊覧船で潜り、ライトアップを
鑑賞するイベント付き。
同じPC同好会のsakura様のブログ「平家物語・義経伝説の史跡を巡る」の
2008年4/28付「厳島御幸(高倉上皇)」など、厳島神社と平家の関わりを始め
関連記事を載せて下さったのでぜひもう一度行きたいと思っていました。
それでkazu様と二人大喜びで参加しましたが、日頃の行いが良かったのか(笑)
鞆の浦、呉、宮島と皆快晴の上、嬉しいハプニングで宿泊の広島では大通りの
イルミネーション(~12/3まで)も堪能できた素晴らしいツアーになりました。
1日は遊覧船の時間が早かったせいで神社のライトアップはまだ、
でも薄暮に建つ大鳥居はきれい。
船の屋根の上に乗って撮影したかった!
『危険だから駄目!』と乗船前言われたが他の船では上がっている!
救命胴着の傍に20分800円とあるのはもっと小さい船とのことでした(笑)
翌日、舞楽の演じられる舞台の一番前で見るためにホテルは7時半出発、
大急ぎで8時半に到着し今か今かと待ちました。
舞人と灯篭と大鳥居が一緒に写る場所は限られるので譲り合い交替で撮影。
決めのポーズを待ち構えてぴったりに撮るのは難しい!
指先、揃えた撥の先、つま先まで力が籠っている。アッという短い間でした。
朝早くに出発したお陰で宮島内の自由時間が増え、裏の紅葉谷散策も
紅葉が少し遅かったので早めに切り上げて、ツアーでは入れない
宝物館を見学し、国宝の「平家納経」3点も見られました。
館内は撮影禁止で画像は窓から見える紅葉だけ、載せた「平家納経」は
インターネットの「国宝集」より拝借です。
牡蠣フライ、牡蠣の柳川鍋(卵とじ)焼牡蠣、生牡蠣など宮島名物も堪能し
土産物屋も覗きましたが午後遅くに雨、明日も雨との予報に
今回の運の良さをより実感しました。
下のユーチューブで▽をクリックして厳島神社と舞楽とをお楽しみください。
長いとだれるので7分、舞楽の部分はBGMなしの動画で短くしてあります。
480Pでどうぞご覧ください。
「蘭陵王」
美声と美貌に兵が見惚れて士気が上がらず、敵に侮られる事がないようにと
獰猛な仮面をかぶって出陣した名将の蘭陵王の故事にちなんだ曲。
武人の舞の勇壮さの中に絶世の美貌で知られた蘭陵王を偲ばせる優雅な舞。
下の文章はsakura様の「厳島御幸(高倉上皇)」より
厳島神社の説明部分を引用させて頂きました。
厳島神社は古くは「伊都岐島神社」と称し
祭神は市杵嶋(イチキシマ)姫命、田心姫命(タゴリヒメ)湍津姫(タギリヒメ)命の
三女神で海上交通の守護神として信仰されていました。
社殿は推古元年(593)土地の有力豪族であった佐伯鞍職(くらもと)が創建し、
安芸守任官によって深いつながりができていた平清盛が、1168年私財をつぎこみ
現在の社殿を造営、平家一門の隆盛とともに盛えました。
鎌倉時代から戦国時代にかけて政情が不安定になり荒廃した時期があったものの、
1555年厳島の戦いで勝利を収めた毛利元就が、大掛かりな社殿修復を行っています。
平清盛は日宋貿易に力をそそぎ大輪田泊を改修、宋船が着岸できる国際港にしようと
経ヶ島(兵庫の津)と呼ばれる港湾施設を造り、瀬戸内海航路を整備しました。
厳島は信仰の島であるだけでなく、北九州から畿内を結ぶルートの一部であり、
良好な船だまりであったため、船が一休みする場所でもありました。
この航路を使って行われた日宋貿易は、平家の重要な経済基盤になっていました。
厳島神社には平家一門によって奉納された多数の宝物が残されています。
中でも平清盛が社殿を造営した頃、一族の人達が書写し奉納した
華麗な装飾をほどこした「国宝・平家納経」のことはよく知られています。
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