yukarikoの好きなもの
旅の写真や思い出
PCでの雑感を並べました。
 




先々週の「フォトストーリー」に続いて「フラッシュ」を勉強しました。

野原の大自然の中の花ではなく、店先に咲く花を撮りました。

季節を先取りした「ポインセチア」と今が盛りの「百合」です。



上の二つの絵をクリックしてください。「戻る」ボタンでお戻りください。



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HP「ゆかりこの部屋」の訪問者が7月オープンからで1,000を越えました。

半分以上が自分が確認のためにクリックしたものだと思いますが、同好会の連絡HPも
兼ねているので会員の方も見て下さったからだと思うと、余計にこの数字は嬉しいです。


手持ちに元画像に出来そうな写真がないので、好きな百合を買ってきて写真を撮り
「TRICK ART」を作ってみました。


元画像が悪いので「We love JTrim」のテキストやきまま先生の作品のようには
いきませんが、そこはお祝い気分もあってそれなりに…です。(笑)





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フォトストーリー「浅草フリータイム」を作りました。2分17秒

フォトストーリーなど思いもよらずに撮影したのでどの絵も説明不足です。
先のブログの「浅草めぐり」の紀行文の説明写真が動いているのだと思って
ご覧いただければ幸いです。

流れのある写真を撮りたいですが、今度は限られた時間でどう使うかが問題!
大きすぎると見て下さる人も苦痛だろうし、合わせる音楽が難しいし…
何より、製作者の感性に問題が!(笑)

初心者はあれもこれもと考えて目下、睡眠不足で目がチカチカ!(笑)

下は今回見られなかった5年前の宝蔵門の写真(浅草寺の資料から拝借。)

絵をクリックしてごらんください。




 一緒に東京旅行に行った友人kazuさんは昨年春から花がテーマのブログを
作っているブログの先輩ですが、花以外にも旅行の写真を熱心に載せています。
下がブログ名で、リンクしてあります。

「ようこそ!フラワーガーデンへ」

 先日一緒に「フォトストーリー」を勉強したので、彼女もその成果を一足先に
「東京旅行フォトストーリー」としてUPしました。

 旅行でも一緒に撮影しましたが、彼女のは見せ方を考えた素晴らしい作品です。
下に名前をリンクさせていますので、クリックしてそちらもご訪問下さい。
ジオログの10/22記載分に「東京旅行フォトストーリー」がUPしてあります。

「東京旅行フォトストーリー」


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快晴の東京・日の出桟橋から
水上バスで沢山の橋をくぐって
吾妻橋(雷門通)の船着場へ。


東武鉄道浅草駅の前を通って
雷門へ。


どこからか香ばしいごま油の
匂いが?と思ったら店頭で
てんぷらを揚げる店が幾つも。


 浅草の代名詞になっている「雷門」ですが、どうして「雷門」というのか
 知ってますか?

 真中の大きな提灯に「雷門」と書いてあるからではなく「風雷神の門」→
 「雷門」(笑) 門を守る神様が裏表両側に4人おられました。


  正面向かって左側が「雷神サマ」向かって右側が「風神サマ」
 内側左が「天竜サマ」右が「金竜サマ」正式名は「金龍山浅草寺」


 「平和の使者」の筈の鳩のフン攻撃を避ける為か(笑)
 皆サマ金網の中におられます。




 仲見世通りの店は中2階建て長屋式!
 土産物と食物の店が多く、アーケードの鳳凰柄が印象的。
 宝蔵門(仁王門)近く迄ずらっと並んで壮観!

 平日でも観光客で通りは一杯!
 (もちろん私達もその中なんだけれど…(笑) )


その立派な宝蔵門はみられなかった!
只今お化粧直しの最中で、門の下・白幕の間を通りました。



 五重の塔は回廊式建物(塔院)の上に建ち実は6層。
 一階の塔院には霊牌殿・回向室・信徒休憩室・寺務所があり
 とても背が高く見えます。 


 入り口から覗いてもよくある五重塔とは全く感じが違いました。

 …浅草寺には檀家のお墓はなく、お位牌を霊牌殿に安置。

 生存中からの申し込みも出来るので浅草ゆかりの
 有名人のお位牌も多くあるそうです。

 
 ツアーの添乗員さんに教えてもらって
スターの手形のある浅草公会堂に行きました。


 「花の雲 鐘は上野か 浅草か」と芭蕉が詠んだ
 浅草の鐘の伝法院の向こう角に公会堂が。


 正面の外ロビーに演劇・歌舞伎・歌手etc.…
 様々なジャンルの手形は登録年順で探し難い!


 写真左は「玉三郎」右は「さだまさし」
 バイオリンを弾くさださんの指はやはり長い!


 自由行動の最後は昼食!
 「蕎麦」が多かったそうですが私達は道を尋ねて
「駒形堂」傍の名代「浅草むぎとろ本店」へ。


 写真は夜でも私達はランチ!むぎとろバイキング!
 お代わり自由・麦と米6:4の熱いご飯・冷とろろ汁
 味噌汁と漬物とおかず2種・あられのサービス・相席

 お勘定は千円。最初に入口の壷の中に入れます。

 お代わりして大満足で外に出ると店前は長い行列!

 後はお土産を物色する時間の為に集合場所の「雷門」前へ一目散!
 素晴らしく中身の濃い浅草の3時間でした。




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フォトストーリーをUPして、そこにリンクするやり方を考えています。

以前「ブログの会」で写真をUPするの時「IMGボタン」を使うやり方を習いました。
その時は「OK」・「キャンセル」だったのですが「OK」・「OK」で使う場合もあると
教えてもらいました。

この前は文字にリンクを付けたので、今回は絵にリンクをつけるやり方で
やってみようと考えています。




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10/19に「windows photo story3」を習いました。
みっちり3.5時間。素晴らしく充実した半日でした。

とりあえず作った初作品をUPしました。
アイデアとセンスが勝負なのに行き当たりばったり。
これからそちらを磨かないと駄目なようです。


お目汚しですが、見てくださいね。

ここをクリックしてね!

寺院巡りと紫陽花の写真でだれたので、kazuさんのアドバイスで2分に縮めました。
BGMの「アベ・マリア」が2分だから丁度いいかも!です。(笑)
これも「起承転結」と曲の盛り上がりを考えないと駄目ですね。
難しい!!




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このおのぼりさんツアーはツアー会社の特別企画とかで
今回は皇居拝観がコースに入って限定200組という話だったので
昨年からブログを頑張っている友人を誘って慌てて申し込みました。


二日後にはもう後数人の空席しかない人気ぶりだったのですが、
帰ってから他の方のブログを読んで、他の会社も同じ企画があったと、
気付きました(笑)
多少回るコースや乗り物が違いますが…。


 見るもの全てが珍しくて楽しかったのですが、
 旅行前にツアー会社から皇居拝観用に
 正確な名簿記入を求められただけでなく…

 当日のバスの前に張られた「高野会」が見えますか?

 皇居内拝観は営利団体のツアーは認められないからと
 高野槙(新宮様のお印)の「高野会」内の「あるこう会」
 という団体名を前日の夕方に添乗員さんから一行に
 覚えるように言い渡されました。

そしてバスの表示も名簿も引率者も「高野会」。
「桔梗門」前に集合・名簿と突合せ点呼を受けました。
その物々しさといったら凄かったです。
添乗員が引率は出来ないそうで、
『後から付いてゆきます!』だって。

…ツアー会社のミスで添乗員と引率名が名簿洩れ。
名簿は48人、集合して列に並んだ人間50人!!

一人ずつ名前を呼ばれて別の場所に並び直し、
やっぱり二人合わない!そんな馬鹿な!(笑)一時は大騒ぎで拝観中止になる?と心配しました。
後方の瑣末なミスが大きく響くのがよく分かります。
(必死になってチェックし直す添乗員さんが可哀想だった。)

その割には拝観コースは短時間で
正月参賀の東庭と二重橋内側の眺めが目玉。
植木のお手入れは行き届いていて『流石!!』

窓明館(休所・待合所)へ全員を集めての説明時の
注意も記念品販売時間の説明も丁寧な言葉の中に
有無を言わさないぞという言外の圧力が…。
列を乱すな、歩道の敷石にも乗るな、○○するな…!
制止の言葉ばかり耳に残ってます。

説明の親切さも午後に回った国会議事堂の方がずっと上。

宮内庁や皇宮警察というのは一般庶民には近寄れない所だし、まあ大抵無縁ですしね(笑)

皇居東御苑(本丸・二の丸)の一般公開は月曜日と金曜日がお休み。
いつにしたって関東近辺でないとちょっと無理ですね。(笑)
でもブログに二日に分けて行かれた記事と写真があったので行ったような気になりました。



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皇居内拝観・議事堂内見学・築地・銀座・浅草見物というツアー本編
同じようなコースを行かれた方が撮影した写真をまとめてUPされた
ブログが幾つもあるから、少し違った風に感想を書き加えたものを
時間のある時に少しづつ載せてゆきたいと思っています。
もっとも、それがなかなか出来ないのですが…(笑)

でもやはり東京は見るもの見るものがとても刺激的で
『季節を変えて又来たい!』と帰りの新幹線で思いました。






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二泊三日の「東京おのぼりさん旅行」はキャピトル東急ホテルに連泊でした。
場所は永田町・国会議事堂裏・首相官邸斜め横!という絶好のロケーション

夕食の後と朝食から出発までの自由時間を目一杯探検に使いました。
ホテルの隣の背の高い山王パークタワーは残念ながら祝日でお休み。
上まで登れなかった。





キャピトル東急ホテルはビートルズも来日時に宿泊
先日は韓国スターヨン様も最上階スィートに泊まった
という外国人の多いホテル。

客室のデザインもオリエンタル・障子を使った
シックな内装でした。
11月で営業を休止。
4年後に新築28階の上8階分がホテルとなって
営業再開の予定とか。


ホテルは大正末期に陶芸家で美食家でもあった
北大路魯山人が開設したここ、星ヶ岡と呼ばれた地
"星ヶ岡茶寮"の場所に…
ホテル内レストラン「欅」や「星ヶ岡」の由来です。

また江戸二大祭りの山王祭で有名な日枝神社に
隣接しています。

ライトアップ写真を撮ろうと議事堂
正面まで地図のように歩きました。
日の暮れた高いビルの間から
思いがけず東京タワーの灯りが!

交差点の対角は首相官邸が
黒々と静まっています。
通用門なのか、車の出入りもあり
警官が数人通行止めのガードの
向こうで警備をしています。

ホテルへ帰る為物見高く官邸前の
警備車両が停る歩道を歩きました。





 祝日で国会も休会中とあってか
 まだ宵のうちなのに車も通りません。

 カメラを提げた中年のおばさん二人が
 無人で信号だけが光る交差点を行ったり来たり!

 桜田門への広い道脇に停車中の警備車両にしたら
 面白い眺めだった事でしょう

 官邸の正門対角にホテルのレストラン・結婚式場
 ・理髪店・ブテックや駐車場の入り口があります。

 B3F「村儀理容室」は小泉元・安倍現首相のご贔屓。

 小泉さんは自分で予約し歩いてきて散髪の最中は
 寝ていたとか、官房長官時代の安倍さんは忙しい時
 30分でやってと頼んだとか…新聞記事の場所を見て
 ニュースの中の人が生身の身近な人に感じました。


 ホテルの横の「日枝神社」は江戸の総鎮守
 徳川将軍の世継が決まると参詣した氏神様。
 江戸二大祭りの山王祭で神田祭と共に有名です。

 神田明神・深川八幡と並ぶだけに神域も広々清清しく
 建物はみな赤と緑で塗られた立派なお社でした。

 門の脇の神像が「日枝」→「日吉」の名前どおり
 立派な衣装を着た一対のお猿です。


 お社は星ヶ岡の名が示すようにかなりの高台なので
 大きい鳥居のある赤坂外堀通りからは階段以外に
 人の気配で点くライトとセンサー付きエスカレータ
 (角度を変え3階分)が広い石段横に設置されていて
 その気配りに感心しました。

 三日目の朝は日枝神社から見えるTBSビルがどの
あたりか、赤坂氷川神社を探しに神社の階段を下りて
外堀通りを渡りました。

勝海舟が明治になって暮らした場所近く
鬱蒼と樹木の茂った赤坂氷川神社本殿は
徳川吉宗の寄進で、昨年塗り直され
薄暗い木立の中、漆と金が艶やかでした。

掃除の宮司さん以外通りすがりに手を合わす
人もいない静かさで5日前の例大祭ポスターが
淋しげでした。ここも高台ですが辺りは住宅街。

時間の合間に地図を片手に歩き回った印象は

皇居内拝観・議事堂内見学・築地・銀座・浅草見物というツアー本編よりも強烈でした。





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Internetで「奥の細道・飛び石紀行」を読み、思い出しました。
先日の東京おのぼりさん旅行(06'9.18~20)で隅田川舟下りコース
(日の出桟橋→浅草吾妻橋)に乗った時の景色を、です。

「ゆるぱそ・奥の細道飛び石紀行」

舟で隅田川を通った時に清洲橋の上流・小名木川との
合流点で芭蕉記念館と分館公園を見ました。
その時はどうして松尾芭蕉の記念館があるのかと
驚きましたが、奥州に旅立つまで暮らした庵が
あそこ深川にあったのですね。

ほかにも深川八幡、木場、門前仲町、永代橋、八丁堀…
江戸時代の古い地名もまだあちこちに生き残っています。
貰った詳しい地図で発見して嬉しくなってしまいました。


友人との東京めぐり初ツアーで
隅田川を舟で日の出桟橋→
浅草吾妻橋へと上った時です。

東京湾岸も高速道路と地下鉄が
上下地下と縦横無尽に走り、
「ゆりかもめ」号も見ました。

東京タワーをビルの間に眺めて
隅田川に入り形の違う橋を次々に
くぐります。




船内は観光案内が放送され
写真を撮るのに忙しかった。

記念公園は庵を模した建物と
芭蕉像があり毎夕5時に
像の向きが変り
隅田川の方を向くそうです。

写真は記事からお借りしました。
私の写真は舟からの撮影なので
小さくて見難いのです。


深川から隅田川を上流に新大橋、
両国橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、
吾妻橋、言問橋、桜橋…千住大橋
千住は奥州街道・日光街道最初の
宿場。
芭蕉はここから旅立ったそうです。

芭蕉の頃は橋は両国橋と上流の
千住大橋だけ。
歩く以外の乗り物は舟が主で
渡しが沢山あったが橋が架かった
今はほとんど無い。


寅さんの葛飾区柴又近く荒川「矢切の渡し」は
まだやっていると教えられ堤防まで行きました。

東北や北陸を旅行するとあちこちに芭蕉の
足跡が残ります。「句碑」も建ってます。

学校でも習うし、観光の目玉になるほど有名な
「奥の細道」ですが、思いがけず芭蕉の暮らした
場所を目にして感動しました。


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