☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

「5月1日(続き) ついに東京入り!」

2020-05-01 15:56:20 | 『都見物日記』

 ここから第四章です。やっと、やっとここまで来ました(ブログアップも遅れ気味。。。苦笑)

前回天竜川や大井川の鉄橋越えを楽しんだイサさん、日記ではそこから一気に東京到着(笑)

 

『都見物日記』(四)‥‥ ①

 

 五・一(つづき) もはや東京。高輪御殿山の下(シモ)てを通り、品川を片脇に見、よき景の所にて有之(コレアリ)、五十三駅の景色も色々眺め候うち、荒井の今ぎれ入海の所など実に感心也。

 いよいよ東京新橋停車場においり(※「降り」の意)、新橋の松元と云う宿屋へつき、此所にてゆるゆるといたし候。私は櫛田の紅葉屋にて四日あとに足の親指 少々けいはき(※この部分 傍点有り)、夫故 痛みはなはだしく、いつもいつも麁匆(ソソウ)々々々々。これは北八の手上(※テウエ)ともいうべく 実に実に大笑い也。 夫(ソレ)が為め両三日(※リョウサンニチ=2、3日)は風呂へもえ入出さず、いがやんばばのちかんちかんちかん (この部分 傍点有り)。ますます色も黒くなり、これはこれは見られたものでなし〳〵〳〵と申し大笑の事也。 早目に私はやすみ候、夕飯も夜入直ぐにたべる也、卅日の夜より一日の夜迄 終日汽車にて随分くたびれ候也

 

 日記にもある通り、さすがに少々お疲れのご様子。それでも笑い飛ばすところは天晴れ

 東京編が始まったばかりですが、さて、明日はどちらへ参られますでしょうか?

※「北八の手上」‥‥「てうえ」と読むのも意味も初めて知りました。辞書によると「その術や力などが他より勝れていること。うわて。」と云うことです。

※「北八」は「喜多八」とも書き、弥次郎兵衛とともに「東海道中膝栗毛」の主人公で滑稽な旅をする人物

 

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「5月1日 豊橋を出発、一路東へ」

2020-05-01 15:43:48 | 『都見物日記』

 5月に入りました。前日夕方には豊橋の壺屋という宿屋へ着き、久しぶりにゆっくりと過ごし早目に休んだイサさんたち一行です。

 

『都見物日記』(三)‥‥ ⑦

 

 五・一  今晩(※)は夜中の二時五十分には 此壺屋と申宿より出立、豊橋の停車場まで車にてゆき、夫より三時過には汽車にのり候也。入り海の大きな所などみ、途中にて夜明けいろいろ珍らしき所ばかり眺め、暗やみの処の瀬戸は 汽車も昼はあかりをつけ、十ところばかり通り実に実に感心とも恐ろしともいわれぬ事計り天竜川大井川などにも鉄橋かかりて其上を汽車にて行くもおもしろし。(つづく)

 「暗やみの瀬戸」とあるのはトンネルを指しての表現。「入海の大きな所」は浜名湖か(若) 

 

 「今晩」(※) とありますが、江戸時代は夜が明けるまでは前日の日付であると聞いたことがありますので、もしかしたらその名残りかな? いや、だとしたら昨夜となるかな‥‥

 ということで、豊橋を出たあと浜名湖などを眺めていると、途中で夜が明けた様子。昼間でもトンネルの暗闇では明かりをつける汽車(イサさん、トンネル体験初めてだったのでしょうね)。トンネルを10カ所ほど通りつつ、天竜川の鉄橋も越え‥‥‥

 大井川にかかる鉄橋も越えて‥‥‥(鉄橋を汽車で渡るのはお気に召したご様子のイサさんです

 更に更に、汽車は東へと進みます。(次章へ続く〜

 

 

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