☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
☆記事・写真などの複写・転載はご遠慮ください

ブラタモリで「清水坂」

2020-05-16 22:47:46 | 『都見物日記』番外編

今日は一日中雨降り、雷もなりました

そんな中、当ブログでは『都見物日記』の「5月3日【後編】」↓をアップしました。

「5月3日 【後編】 イサさん、団十郎の道成寺に感激!」

 

ところで、今夜の「ブラタモリ」は2017年4月8日の「京都・清水寺」アンコール放送でした。

その中で「清水坂」についての話が出ていたのです。→ 「# 69」

「かつては現在より広い範囲」で、鴨川にかかる松原橋から東側に伸びる参道を指して「清水坂」と言ったそうです。

    

「4月26日 西京見物 2日目」』でイサさんたちが「清水坂の吉野屋」でお昼ご飯を食べた、と出ていたので、「清水坂」のことがわかってよかったな〜と思った次第です 

 

では、今夜はこれにて‥‥

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◇ 都見物日記 ◇ 目次 第六章(5/11〜5/16)

2020-05-16 16:30:39 | 都見物日記 / タイトル一覧

 いつもご覧いただき、ありがとうございます

前回の第五章目次に続き、第六章のタイトルを並べてみました  

《 PCでご覧の方へ 》

文字が小さく読みづらい場合は、左の「文字サイズ変更」で「大」をクリックしてくださいね 

 

第六章

①  「5月11日 上州日光山へ参詣」  ( 2020-05-11 18:39:11 )

②  「5月12日 日光より宇都宮まで参り〜東京へ帰る」  ( 2020-05-12 18:42:56 )

③  「5月13日 轟殿は電信の事、有川様が二度登場」  ( 2020-05-13 18:07:50 )

④  「5月14日 向島、堀切の菖蒲、桜馬場」  ( 2020-05-14 18:32:40 )

⑤  「5月15日 増上寺黒本尊前の通りでお買い物、夜は辰様と銀座の千歳で」  ( 2020-05-15 18:59:34 )

⑥  「5月16日 島津お染様、 佐原芳殿、 お出でにて」 ( 2020-05-16 12:35:54 )

 

   

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「5月16日(続き) 芳殿、吉村お仙殿、そして久良殿との再会に!」

2020-05-16 12:53:52 | 『都見物日記』

 今日から第七章ですが、前章十六日の続きで、佐土原島津氏お染様に続き、佐原芳殿がお土産を携えて京橋区加賀町の和田いく宿屋へ参られて‥‥‥

 

『都見物日記』(七)‥‥ ①

 五・一六(つづき) 夕方迄はなし 母どのは早くくれぐれに帰られ候。芳殿はゆるゆるとはなし居り候ところ 大村の方お出の事にて又少しひま取り、又どうどう(同道))にて芳村お仙どの方へ、途中は皆々てなみ(←※傍点有り) 此方三人、芳と四人連(ヅレ)にて尋ね行き、又これも大喜びの事。 煙草、玉子箱、この二品遣わし お筆殿へお逢申上たることうれ敷との事。 いろいろ馳走に相成り 又かとおみや品くれられ候て、十時頃には内に帰り候得ば、思い掛けなく久良どの此所の宿へ参られ お互只々大喜び申し、夫から茶飲み菓子などたべ 久々に珍らしく話致し、三人とも喜びで話し也。 今晩は四人とも此座にいね ゆるゆるとはなし候 

  (久良氏は筆者(※=川上いさ)の令息)

 

 「母どのは早くくれぐれに帰られ」とあるのがよくわかりません。。川上の母様の事だと思うのですが‥‥。

また、「大村の方」がどなただかわかりません。。以前出てきた?いや、出てきませんが、長崎の大村の人?

 芳村お仙どのが「煙草、玉子箱、この二品遣わし お筆殿へお逢申上たることうれ敷」とおっしゃったという事だと思うのですが、お筆どの(イサの妹で、轟の次姉)にお逢い申し上げるのは、お仙殿?(この辺り読みこなせない〜〜

 「久良どの」はイサさんの長男で、曽祖父・轟の甥。

久々に会って大喜び、ということは、鹿児島から出て暮らしていたという事でしょうか?

事情がわからないので、ここはそのまま受け止めます。

ともあれ、大喜びの様子、こちらにも伝わってきますね 

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「5月16日 島津お染様、 佐原芳殿、 お出でにて」

2020-05-16 12:35:54 | 『都見物日記』

 昨晩は九良賀野の「辰様」に銀座でご馳走になったイサさんたち、東京滞在の時も残り少なくなりました。

 

『都見物日記』(六)‥‥ ⑤

 五・一六 今日も六時に起き、天気は先ずよし。八時に飯、何かと今日はせわせわ敷 夜前(※ヤゼン=昨晩)より色々の片付、荷造りおかか様とおわさ(←※傍点有り)いたし、何もいろいろ片付いたし候也

 十二時頃に島津お染様、いろいろおみやものお持ち越しにてお出にてうれ敷、色々お話し致し 二時頃お帰り遊ばされ、私共三人 昼飯にそばたべに行き 直(スグ)と帰り候得ば、佐原よし殿、母と同道にて参られ、これ又みやげ物持ち越しの事に候得ば、轟殿 着物一枚下され大喜びに候(十六日の分つづく)

  十七日休養、十八日新橋発 横浜へ(若)

 

 佐土原島津氏のお染様、この日わざわざお土産を持って京橋区加賀町の宿屋までお出でになったようで、イサさんも本当に嬉しそうですね

 入れ替わりで午後にお出での佐原芳どのは、6日の日記に登場し、9日午後には宿屋まで来られ夜8時までお話されています。この日は轟に着物までお土産として下さって、一体どういう方なのでしょうね?

 次からは第七章。16日の続きから始まります

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