☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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「はだもち」とは?

2020-05-08 23:23:05 | 『都見物日記』番外編

ちょっとここらでひと休み的なお話です。

『都見物日記』の『「4月21日 兵庫着、神戸楠公社参詣」』に「はだもち着物一枚は寒さになり、‥‥」というフレーズが出て来て、以前読んだ時にもタイピングしながらもイマイチしっくり来なかったのですが、今日になってようやく理解できました!

 

たまたま鹿児島弁について調べていたところ、「はだもっ」という単語が二つ並んでいました。

意味は「気候」と「天気」とあり、

「気候」の例文として、「気候(はだもっ)がよくなってきた。」

「天気」の例文としては「秋の天気(はだもっ)は いい気分にさせてくれる。」

というものでした。

 

なので、イサさんの日記にあった「はだもち」は 鹿児島弁なのではないかと思います

前の文章から続けて表示すると、

「今日天気宜敷 少し風出(イデ)晴上り はだもち着物一枚は寒さになり、‥‥」 で、

「今日は天気良く 少し風が出て晴れ上がり、気候としては着物一枚重ねるくらいの寒さになり、‥‥」といったところでしょうか。

 

 鹿児島弁、地元そだちですがまだまだ知らない言葉が多く、なかなか難しいです。。 

ちなみに今日調べていた鹿児島弁は、「そがらし(大変、豊富な)」と「せからし(うるさい)」の違い、でした〜

 

ところで、4月28日までの分をまとめて30日〜5月1日までにアップし、しばらく更新できませんでしたが、

地図を添付することを思いつき、そのための画像を撮ったり、画像フォルダにアップしたりに費やしておりました。

 

4月29日〜5月1日の分は昨日(5月7日)にようやくアップできましたが、まだまだタイムラグが縮まりませんことをお詫びします。

(下書きは形ばかりのものを10日まで作ってあるんですけどね。。

 

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「5月8日 上野博覧会、美術館、九段坂招魂社」

2020-05-08 16:37:44 | 『都見物日記』

※ 九段坂は地図画像↑の左側中程、上野は中央上部に位置します(ご存知の方はご存知でしょうけど

 ようやく連日の雨も上がり、お出かけ日和となりました。明治23年の5月のことです。

 

『都見物日記』(五)‥‥ ④

 五・八 本日天気よし。早飯たべ、上野博覧会の方へ出掛け、馬車に乗り上野迄行く。直と美術館に行く、何も何もあきれ果て 感心の品計り。 今日は行掛けに 九段坂の招魂社祭日にて、此所へも行き賑々敷事と見申候。 其所 御参詣迄にて車にて馳通り 上野へ行き、五時過まで昼飯も食べずして見物いたし候得共、今日も迚(トテ)も迚も見済ましならず、先(マズ)は昼飯でもたべたらとて 博覧会の下に茶屋あり、そこにより 夕方に飯たべ ちんちん酒飲み、又ここより歩行にて帰り 途中より車に乗るつもり宿屋まで車にのらぬうち (※佐原)芳方へ一寸立寄り 直(スグ)と酒などいだし 大喜び也

 又すぐと宿屋へ急いで帰り候得ば、轟殿の知人、お筆どの方へお世話へなりし神田十助と申人、先程より待ち居りたりとの事(コト)故、又ゆるゆると色々の話いたし、久々の事にて酒肴、馳走などいたされ、夫より帰られ、直(スグ)と皆々やすみ申事也。

 馬車で上野へ向かう前に、祭日で賑わう九段坂の招魂社へも参詣したようですね。

(九段坂の招魂社って「靖国神社」の事ね、と思ったら1979年に現在の名称に改称したとありました)

 上野の美術館って、現在の物とは別なのでしょうね。画像のガイドブックによると、「国立西洋美術館」は昭和34年設立、「上野の森美術館」は昭和47年に設立とあります。すると、町田久成さんが尽力された「東京国立博物館」の展示を見たのかも知れませんね 

 展示物って、じっくりしっかり見て回ると結構時間が経ってしまうものですよね、私も経験あります。イサさん達も5時までお昼抜きで回ったようです。遅い食事を摂り、歩いて帰る途中で佐原芳どの方へ立ち寄っていますね。6日にも訪ねたばかりですが、お酒をいただいて大喜び(笑)

 轟爺さんの知人で、筆姉さん方へ世話になった「神田十助」って、どんな方なんでしょうね? 気になります。

 

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