☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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「5月5日 今日は水天宮様の縁日で」

2020-05-05 16:10:17 | 『都見物日記』

 ようやく第五章までこぎつけました〜 (実は今日はすでに5月17日

 

『都見物日記』(五)‥‥ ①

 五・五  今日も雨降りせわ敷也。六時に起き茶のみ、程なく七時 朝飯たべ 轟どのも日ぐらしに本などよみ、後 三人とも昼寝致し十一時過までいね候。起き候得ば少々雨も小降りに相也、夫故また御母上様と轟どのは水天宮様今日は縁日にてお札頂きがでける様にと、十二時頃より出かけなされ、私は今日は留守いたしおり候

 十二時過 やど屋にて昼飯たべ候 只々さみ敷お留守致しおり候、又さみ敷故 昼寝などいたしお待申居候。 先程は起きて待候得ば 私も水天宮様のお守り願上候得ば、もうしうけ下され候。四時頃にお帰り 茶などのみ、ほどなく夜入り 夜食たべ 十時頃には やすみし事。

 この日も朝から雨降り。仕方なく本など読み昼寝をして午前中を過ごし、小降りになった昼頃には川上のお母上様と轟とで、縁日の水天宮様へお札を頂きに出かけたようです。(水天宮は↑の画像上部、「人形町」近くにあります)

 この「水天宮様」は「安産、子授け、水難除けの神」として知られるそうで、轟の子供はこの後明治25年に男子、さらに明治27年には末娘を授かっております (私の祖父の末の弟と妹)

 

画像は手持ちのガイドブック(2011年版)より 

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