ようやく第五章までこぎつけました〜 (実は今日はすでに5月17日)
『都見物日記』(五)‥‥ ①
五・五 今日も雨降りせわ敷也。六時に起き茶のみ、程なく七時 朝飯たべ 轟どのも日ぐらしに本などよみ、後 三人とも昼寝致し十一時過までいね候。起き候得ば少々雨も小降りに相也、夫故また御母上様と轟どのは水天宮様へ 今日は縁日にてお札頂きがでける様にと、十二時頃より出かけなされ、私は今日は留守いたしおり候。
十二時過 やど屋にて昼飯たべ候 只々さみ敷お留守致しおり候、又さみ敷故 昼寝などいたしお待申居候。 先程は起きて待候得ば 私も水天宮様のお守り願上候得ば、もうしうけ下され候。四時頃にお帰り 茶などのみ、ほどなく夜入り 夜食たべ 十時頃には やすみし事。
この日も朝から雨降り。仕方なく本など読み昼寝をして午前中を過ごし、小降りになった昼頃には川上のお母上様と轟とで、縁日の水天宮様へお札を頂きに出かけたようです。(水天宮は↑の画像上部、「人形町」近くにあります)
この「水天宮様」は「安産、子授け、水難除けの神」として知られるそうで、轟の子供はこの後明治25年に男子、さらに明治27年には末娘を授かっております (私の祖父の末の弟と妹)